悲しき社畜のオートモード 4-2





「──なるほど。マーサ様。日々ご家族のために尽くしてこられたのですね……」

「う、ううう、そうなの、そうなの」



「〈旦那さまに感謝されたかった〉。〈「ありがとう」さえあれば、報われるのに〉と」

「そぉなのよお、それだけでいいのおぉぉっ」

「ええ。お気持ちはよくわかります」


「嫁いで20年、毎日毎日ラップル焼いてるのに、あの人ってば文句ばっかり、ううう」

「それはおつらい思いをされていますね。けれど、マーサ様の行いは、必ず誰かが見ていますよ」


「……ぐずっ、そうかしら?」

「はい。少なくとも、わたくしが今、伺いました。貴女の頑張りは、わたくしが見ています」



「……うっ、わあああああっ」



 粉屋の隅。

 小さなテーブルを囲んで。

 最早化粧も流れまくりで泣き続けるクレーマーのマーサに、モナは極無と慈愛の笑顔でうんうん頷いていた。



 簡単な事である。

 この客はただ、報われない想いをクレームに乗せて、当たり散らしたいだけだったのだ。


 話の内容から、開始早々それが分かったモナは、粉の品質には一切触れず、とにかく寄り添うことに徹した。

 

 モナは店の者ではないし、下手に粉の質について下げるようなことを言ってはいけない。それはタブーだ。店に喧嘩を売ることになる。



 そのあたりを考慮して対応した。

 どんなものでも、対象の製品が自社のものでない限り、軽率な批判はご法度なのだ。


 


 涙でぐしゃぐしゃになったマーサに(ふう……、やっと終わった)とこっそり息つくモナの前。マーサは綿のハンカチで目じりを拭うと、



「う゛う゛う゛う゛う゛……、ありがとね、話聞いてもらって、ずっぎりしちゃったわ」

「──いえ。お役に立てず申し訳ありません」

「なに言ってんの、はい、ごれ」


「え。」



 接客モードで振った首に、出されたのは銀貨三枚。

 思いもよらない出来事に停止する頭、動く瞳。

 見上げた先には綺麗な涙を浮かべたの顧客の顔。

 マーサは目じりを押さえながら、ずずっと鼻をすすって言う。



「えじゃないわよぉ。お礼よっ。あんた、話聞くの上手なんだものっ」

「──それは──」

 サポセンでカスタマーやってたから、それはそう──


 ──を、飲み込んで。

 モナは返答に迷った。



 自分はあくまで仕事モード、流れ作業で対応したつもりだったが、マーサの反応はどうだろう? 本当に救われたような顔つきで、涙を光らせながらこちらに微笑んでいるではないか。



 そんな、笑顔に、戸惑う。

 自分は今、どちらかというと(は~、おわった終わった)とスイッチを切った感覚だったのに。


 

 しかし、モナの内情を知らぬマーサは、感動を閉じ込めたような顔で彼女の手を握る。



「こんなに丁寧な対応されたの初めて。まるで貴族のお嬢さんみたいにもてなしてくれてありがとう……!」

「あ、いえ、あの」

「ふふふ、もう少し頑張ってみるわねっ。貴女素敵よっ、じゃあ、またねっ」


「──あ……ありがとうございました……」



 ぽかああん……


 足早に出ていくマーサを視界の中に、固まる身体、空回る思考。



 ──すてき? わたしが?

 接客して話を聞いただけ──って言うか、素敵だと感じられたのは接客マニュアルのおかげであってわたしは対応しただけなのにお金まで貰っちゃって、…………え。

 どうしようこのお金……?

 ──っていうか銀貨三枚って日本円にしていくら──



「ってかモナちゃんだいじょぶ?」

「はいダイジョブですすみませっ……、って、え!? ゼフィルさん!?」



 ころんと置かれた銀貨に指を添えようとしたその時。

 後ろから、きょとんと振ってきた声に、モナは背筋を伸ばして勢いよく振り返った。



 見るとそこには、何やら領収書らしきものを握るゼフィルの不思議そうな顔。

 オリーブグリーンの瞳も丸く、表情のパーツも若干広くなるほど呆気に取られている彼に、モナは焦った。



「え。あ、すいませっ……! 待たせてましたっ?」

「んー、まー、それなりに? ってか」


 ──すみませんごめんなさい気づかなくて──!


 が、滑り出す前に。

 ゼフィルは緩やかに腕を組み、右手で顎を触りながら、出口扉に目を向けると、



「あの人、人相変わって帰ってったな……すげえ。よく耐えたなぁ、モナちゃん」

「──あ……、いえ、えっと……」



 感心した、と言わんばかりの音に恐縮を返した。


 感心されるようなことをしたわけではないのだが、耐えていたわけでもない。


 それはきちんと伝えなきゃ。


 そう、胸に決めて。

 モナはすっと立ち上がり、両手を腹部の前で組むと、ゼフィルに向き直って、一呼吸。




「あの方は……〈クレーム〉と言えど、こちらに非があったわけではなく、ご自身の満たされない虚しさが根元でしたので……」


 思い出しながら語る、


 そう。

 ただ聞いてほしかっただけ。

 怒りをぶつけたいわけでも、嫌がらせをしたいわけでもなかった。



「完全にこちらが悪いケースではありませんでしたし、人格否定もされませんでした。セクハラもないし、なにより言葉が通じたので。どちらかと言えば余裕でした」


「……まじで?」

「はい。難易度2ぐらいです」



 ゼフィルのぎょっとした声に、モナはさらりと頷いた。



 言いながら思い返すのは、〈日本にいた頃〉。

 仕事で受けていたクレームはこんなものじゃなかった。「ありがとう」を言われることもなく、たただた熱のない音を返していた。



 ──それが、当たり前だったのに──

 今は少し、ほんの少しだけ、柔らかい気持ち。



 貰った「ありがとう」を噛みしめて。

 思わず小さく、唇を緩ませるモナに、突如。

 沈黙していたゼフィルから、その声は飛んできたのである。



「……なかなかできることじゃねーよ、それ」

「え?」



 言われきょとんとする。

 しかしゼフィルは真面目だ。

 そのチャラい風貌から緩さを消し、心底感心した色を瞳に乗せると、



「オレ無理だし。口挟みたくなるし、めんどくせえのに。モナちゃん、ずっと笑顔で真摯だしさ。くそ丁寧だし。マジで感心した。すげえ」

「いえいえいえ、そんなそんな……!」


「──だから今までどこで働かされてたのか気になるんだけど──」

「おいゼフィルこの子か! あのマーサを撃退したのは!」

「あ? コナのおやじ? そだよ」


 

 ゼフィルの言葉に割り込んで。

 勢いよく飛んできたのは、この店の店主だ。

 その割り込み方が不快だったのか、鬱陶しそうに振り返るゼフィルを通り越して、親父はモナに近づくと、


 ──がしぃッ!

「あんたぁぁぁ! ほんっとうに助かったよ! あの人には苦労してんだ!」

「え。あの、えと」

「あんたみたいな子、うちで欲しいんだけどね! どうかな!? 息子の嫁にぜひ!」

「──おーっと~、はい、ダメダメダメ~」



 ぐいーん、きゅっ。ぽすん。

 軽いゼフィルの声が聞こえたと思ったら、引かれて揺らぐ景色・両肩を持たれた感触・背中に当たったゼフィルの身体。


 〈あ、庇われた?〉と脳が理解し、ときめく前に。


 彼の、嫌そうな軽口は、モナの頭上を通過しおやじに届くのである。

 


「じょーだんキツイぜ。モナちゃんは〈うちの〉。いくらコナのおやじでも、譲るわけにはいきませーん」

「ぐぬぬ……っ」

「モナちゃんはものじゃねーし? はいはい、おさわり禁止~」



 ……ちょっ……っと……!

 そんな少女漫画みたいなセリフ、有り……!?

 不覚にもときめいちゃったじゃんっ……っていうかあなたに買われてるんですけど──!?



 ──かくして。

 コナのおやじとゼフィルの攻防を頭の上に。

 モナは、複雑に複雑を絡めながら沈黙したのであった……。






「──モナちゃん。言い忘れたんだけどさ。オレのそば離れないでくれる?」



 彼が唐突に言い出したのは、コナ屋のあと。

 ネルブア川のほとり、木々もしげる散歩道を行きながら、唐突に言うゼフィルに、モナは「え」と小さく声を上げ立ち止まった。



 時刻は大体昼の前。

 このあと仕事があるというゼフィルの後を、ぽやぽや観光気分で歩いていただけなのだが──


 ……逃げると思われてる?



 と、少々構えるモナだったが、返ってきたのは別の音。ゼフィルは、その整った顔を申し訳なさそうに染めると、



「ある程度はいいんだけどさ、離れすぎると、……ほら、わかるだろ?」


 言いながら、ゼフィルは自分の首をトントン。

 咄嗟にモナも首元に手をやり──、触れた、固い鉄の感触にはっとした。



 ──おそらく、首輪これだ。

 これにはきっと、何か魔法がかけられている。


 ……ごくん。


 途端吹き出す緊張に、モナが喉を鳴らした時。

 ゼフィルは言った。


「モナちゃんのためだからさ。逃げたい気持ちもあると思うんだけど、少しのあいだ辛抱しててな?」

「…………? いえ、……あ、はい……」


 素直に頷き、ゼフィルの微笑みを受けて。

 道を行く彼の後ろ姿をぼうっと眺めながら、モナの中、カラカラと廻るは真っ白い思考と、響く、彼の声。




 〈逃げたい気持ちもあると思うけど〉

 〈逃げたい気持ちもあると思うけど〉


 逃げたい気持ち。

 逃げたい気持ち。


 あるの? わたし?

 っていうか、あった? わたし──?



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