第16話

タゴとかいう小柄な男を茂みの中で喰らい終え、俺は再び焚き火の場所へと戻った。

傷の男と痩せた男は、まだタゴの不在に気づいていないのか、あるいは気にも留めていないのか、相変わらず下卑た笑い声を上げながら酒らしきものを酌み交わしている。

俺が戻ってきたことに気づくと、傷の男が尋ねてきた。

「おう、カイとやら。タゴの奴を見なかったか? あいつ、どこで油を売ってやがるんだ」

その声には、仲間を心配する響きなど微塵もない。ただ、自分たちの取り分が減ることを気にしているだけなのだろう。

こいつらは、やはりそういう種類の人間だ。喰らってしまっても、誰も悲しまない。

俺の中で、最後の躊躇いが消え失せていくのを感じた。


「いや、見ていない。俺も少し、用を足してきただけだ」

俺は、できるだけ平静を装って答える。口の周りについた血糊は、暗がりのおかげで気づかれていないようだ。

「ちっ、使えねえ野郎だぜ、タゴも、お前もよ」

傷の男は、忌々しげに吐き捨てた。

痩せた男が、ニヤニヤしながらそれに相槌を打つ。

「まあまあ、頭。そいつは腹が減って動けねえのかもしれませんぜ。俺たちがたらふく食ってる間、指をくわえて見てるしかなかったんだからなあ」

その言葉には、明確な侮蔑と嘲りが込められていた。

俺は、黙ってその言葉を聞き流す。

怒りなど感じない。ただ、こいつらを喰らった時に、どんな力が手に入るだろうか、ということだけを考えていた。

タゴ一人では、まだ足りない。この二人を喰らえば、俺はさらに強くなれるはずだ。


やがて、傷の男が立ち上がった。

「さて、俺もションベンしてくらあ。レイド、お前は見張ってろ。そこのカイとかいう役立たずが、妙な真似をしねえようにな」

レイドと呼ばれた痩せた男は、面倒臭そうに頷く。

傷の男は、タゴと同じように、茂みの奥へと消えていった。

好都合だ。これで、一人ずつ確実に始末できる。

俺は、レイドに気づかれないように、ゆっくりと立ち上がろうとした。

その瞬間。

「おい、カイとやら」

レイドが、低い声で俺に話しかけてきた。その目は、先程までの侮蔑の色とは違い、どこか探るような光を宿している。

まずい。何か感づかれたか?

「なんだ?」

俺は、できるだけ自然な口調で答えた。

「お前さん、さっきタゴの奴が向かった茂みの方から戻ってきたよな?」

「…ああ。それが何か?」

「タゴの奴、本当に見なかったのか?」

レイドの目が、俺をじっと見据える。その視線は、まるで俺の心の奥底まで見透かそうとしているかのようだ。

こいつ、意外と鋭いのかもしれない。


「見ていないと言っているだろう。しつこいな」

俺は、少し苛立ったように言った。

「ふうん…そうかい。まあ、いいけどよ」

レイドは、そう言うと興味を失ったように視線を逸らした。

だが、俺には分かった。こいつは、俺を疑っている。

タゴが戻ってこないことと、俺が同じ方向から戻ってきたこと。その二つを結びつけて、何かを察したのかもしれない。

悠長に構えている暇はなさそうだ。

レイドが傷の男に何かを伝える前に、こいつを始末しなければ。


俺は、一瞬の隙を突いてレイドに飛びかかった。

「なっ…!?」

レイドは、俺の突然の動きに驚き、咄嗟に腰の短剣を抜こうとする。

だが、遅い。

俺の拳が、奴の顎を砕いた。

ゴシャリ、という鈍い音と共に、レイドは短い悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。

意識を失ったようだ。これなら、騒がれる心配もない。

俺は、倒れたレイドの身体を茂みの中へと引きずり込み、そして、その首筋へと牙を立てた。

二人目の「食事」だ。

タゴよりも肉は少ないが、それでも、確かな生命力が俺の身体へと流れ込んでくる。

力が、さらに増していく。

身体の奥底で、何かが覚醒していくような、そんな感覚。

飢餓感が、急速に癒えていく。

そして、それと同時に、俺の心から人間としての何かが、また一つ剥がれ落ちていくような気がした。

もはや、罪悪感など感じない。ただ、力を得るための「作業」として、俺は淡々とその命を喰らっていた。


レイドを喰らい終え、俺は焚き火の場所へと戻った。

あとは、傷の男だけだ。

あいつは、まだ茂みの中で用を足しているのだろうか。

それとも、仲間たちの異変に気づいて、警戒しているか。

どちらにしても、俺がやるべきことは一つだ。

あいつを喰らい、この「食事」を完成させる。

そうすれば、俺はさらに強大な力を手に入れ、この世界の理不尽に立ち向かうことができるのだから。


俺は、剣を抜き放ち、傷の男が消えた茂みの方へと慎重に近づいていった。

耳を澄ますが、物音一つ聞こえない。

静かすぎる。まるで、嵐の前の静けさのようだ。

俺は、茂みの中に足を踏み入れた。

月明かりが僅かに差し込むだけで、視界は悪い。

だが、今の俺の目には、暗闇の中でも獲物の姿を捉えることができる。

「…どこだ…?」

俺は、低い声で呟きながら、周囲の気配を探る。

その時。

「ここだぜ、化け物!」

不意に、頭上から声がした。

見上げると、木の枝の上に、あの傷の男が立っていた。その手には、弓が握られている。

しまった! 罠か!

俺は咄嗟に身をかわそうとしたが、既に遅かった。

ヒュン、という風切り音と共に、矢が俺の肩を貫いた。

「ぐ…あああっ!」

激痛が走り、俺は思わず膝をつく。

人間を喰らったことで得た超回復能力も、この深手にはすぐには対応できない。

「へへへ…やっぱりな。お前さんが、タゴとレイドを喰ったんだろう?」

傷の男は、木の上から俺を見下ろし、下卑た笑みを浮かべていた。

「最初から、お前さんのことは怪しいと思ってたんだぜ。あの目つき…ありゃあ、人間じゃねえ。飢えた獣の目だ」

こいつ、俺の正体に気づいていたというのか。

そして、俺を誘い出すために、わざと一人で茂みに入ったと?

なんという、狡猾な男だ。


「だが、それももう終わりだ。お前のような化け物は、俺がここで始末してやる」

傷の男は、そう言うと、再び弓に矢をつがえた。

まずい。この距離では、矢を避けるのは難しい。

しかも、肩の傷が酷く、思うように身体が動かない。

「くそっ…!」

俺は、地面に転がっていた手頃な石を拾い上げ、力任せに傷の男へと投げつけた。

「うおっ!?」

傷の男は、咄嗟にそれを避けるが、その隙に俺は体勢を立て直し、木陰へと飛び込む。

矢が、俺が先程までいた場所の地面に突き刺さった。

危なかった。


「逃げられると思うなよ、化け物!」

傷の男の声が、背後から聞こえてくる。

奴は、木の上を猿のように移動しながら、俺を追ってくるようだ。

厄介な相手だ。弓を使う上に、地の利もある。

このままでは、ジリ貧だ。

何か手はないのか…?


そうだ。あの力を使うしかない。

黒いオーラ。あれを使えば、こいつの弓矢など、恐れるに足りない。

だが、あの力は消耗が激しい。それに、使えば使うほど、俺の精神が蝕まれていくような気がする。

しかし、今はそんなことを言っていられない。

生き残るためには、どんな手段でも使うしかない。

俺は、覚悟を決めた。

「うおおおおおおおっ!」

俺の身体から、再び黒いオーラが噴き出した。

周囲の木々が、その禍々しい気配にざわめく。

「なっ…!? なんだ、その力は…!?」

傷の男が、驚愕の声を上げるのが聞こえた。

「これが、俺の力だ! これで、お前を喰らってやる!」

俺は、黒いオーラを纏ったまま、傷の男が潜む木へと突進した。


木の幹を蹴り、一気に枝の上へと駆け上がる。

傷の男は、慌てて矢を放ってくるが、黒いオーラがそれを弾き返す。

「馬鹿な…! 矢が…!」

「もう終わりだ!」

俺は、傷の男の目の前へと躍り出て、その首筋へと剣を叩き込んだ。

手応えは、あった。

だが、傷の男は、最後の力を振り絞り、俺の身体にしがみついてきた。

「道連れだ…! 化け物め…!」

そして、俺もろとも、木の上から真っ逆さまに落ちていく。

まずい! この高さから落ちれば…!


俺は、咄嗟に傷の男の身体を盾にするようにして、地面に激突した。

ドシン、という鈍い衝撃と共に、全身に激痛が走る。

だが、致命傷は避けられたようだ。傷の男が、クッションになってくれたおかげだ。

俺は、ぐったりと動かなくなった傷の男の身体を押し退け、ゆっくりと立ち上がった。

黒いオーラは、もう消えている。身体はボロボロで、肩の傷口からは、まだ血が流れ続けている。

だが、俺は勝ったのだ。

そして、目の前には、三体目の「食料」が転がっている。


俺は、傷の男の亡骸に近づき、その肉を貪り喰らった。

これで、三人分だ。

力が、身体の奥底から湧き上がってくる。

先程までの疲労感が嘘のように消え去り、肩の傷も急速に癒えていくのが分かる。

これだ。これこそが、真の力の向上。レベルアップ。

人間を喰らうことでしか得られない、至高の感覚。

俺の心は、もはや何の罪悪感も感じていなかった。

ただ、得られた力への満足感と、そして、さらなる渇望だけが、そこにあった。


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