ハーデース

「つい先程、神様からメッセージをもらい受けたのだけれども」


 なにやら興奮気味な村長さんがソーワー家の屋根の下に駆け込んで来て、暗く重たげな面持ちで、ご両親にそう報告しておりました。うーん、まあ、そりゃあ、急に [赤子を連れて冥界に来い] だなんて、しかもテーマパークちゃんが名指しで命令されて、それで喜ぶ人はまずいないでしょうね。村長さんは、お前ら何したんだと言いたげな憐れみと、神の理不尽に対する仄かな怒りと、どうしたらいいのか分からない戸惑いの混じった感情が、眼の上に深く刻まれた皺に凝縮されていました。


「・・・・・・何を仰られたんですか?」と、ジョゼッペ。


 村長さんはすぐには答えようとせず、玄関で苦しそうに息を切らした胸を右手で押さえ、ナザリアは彼のために椅子を差し出し、村長さんは謝意と感謝を交互に口にしながら腰掛け、ようやく絶え絶えに言葉を紡ぎました。あまりに切れ切れで、2人が要領を得るまでにはなかなかに時間が掛かりました。


「つまり、神様はテーマパークをハーデースに連れて行くようにご命じなさったと」

「そういうことだ。すまないね、あまりに驚いてなかなか話がまとまらなかった」


 ワハハという村長さんの無味乾燥な短い笑いの後に、俯いている大人たちの間に走る沈黙を養分に、目蓋に変わって目の前を覆う絶望の空気が膨れ上がり伸び育つのを、ああもう見てられないので私は彼らから目を背け、今は席を外している神様の座の方をギュッと睨み付けました。


 その最悪の空気を壊したのは、ドアを勢い良く開けた男の子でした。


「ジョゼッペおじさん!井戸の桶が紐から外れて水が汲めなくなった!」

「それは大変だ。今すぐ行こう!」


 ジョゼッペはすぐにいつもの頼もしい大男に戻り、村長さんに目配せをして家を出て行きました。


「私たちも行きましょう」


 開けっぱなしの扉を見て、ナザリアはそう言いました。村長さんは冥界へ通じる洞窟への道案内をするついでに、ナザリアとテーマパークを守る人員として、同行すると申し出ました。村の外には魔物も多く、子どもたちは基本的に村の中から出られないようにするのが鉄則のあの世界で、赤子を連れて両手が塞がった母親だけで村の外に出るというのは無謀以外の何者でもないです。村長さんの決断は特別称えられるべきというわけでもなく、村の長たる者なれば当たり前のことなのでした。


 件の洞窟には人間の時間で過去2000年ほど、誰も訪れることがありませんでした。ですから、そこへ向かう道のりに道はありません。村長さんの魔法で空を飛び、一向は冥界へと向かうのでした。


「いいですか。ハーデースでは何も口にしてはいけません。地上に戻って来れなくなりますからね」


 ナザリアは静かに頷き、村長さんの背中に続いて冥界の中に入っていきました。真っ暗で、ジメジメとして、ひんやりとほの蒼く水晶が光る神秘的な空間を歩いている途中、彼らは魔物には会いませんでした。


「・・・・・・危ない!」


 村長さんが咄嗟に張った魔力のバリアーは、急に飛んできた火球を辛うじて防ぎました。


「ほう、我の炎を打ち消すとは。何の用だ、人間よ。ここは生者の来るところではない」


 ナザリア達の前には何者の影も現れず、ただ何もかもが溶け出してしまったかのような暗闇の向こうから、不審者を歓迎しない不快そうな声が届いてくるばかりです。


「ハーデース様、突然のご訪問ご無礼いたしました。ここに来るようにと命じられて参った次第なのですございますが、何もお聞きでないのでございましょうか?」

「誰に命じられて来た」

「神様でございます」

「あいつか・・・・・・、それは申し訳ないことをした。客人であるならばもてなしをしたいところなのだが、なにぶんここは冥界なのでな。何も出せないのだが、ご容赦願いたい」


 ハーデース様に連れられて、ナザリアたちがやって来たのは、冥界を流れる川の前でございます。2人は立ち止まった声の主の影を見上げ、戸惑った様子でありました。


「どうした?この川が目当てなのだろう?」


 ハーデース様がそうお尋ねなさっても、2人はまだどういうことなのかを飲み込めていない様子でした。あまりにも報連相が杜撰な神様の仕事ぶりを馬鹿にする意味でフンと鼻を鳴らし、目の前に流れる冥界の川についての説明をなさいました。


「この川に触れると、触れた部分が不死になる。きっとこの子は英雄に選ばれたのだ」


 ハーデース様がそういうと、先程までまったくそのような気配を見せていなかったテーマパークが突然泣き出しました。ワンワンと大きな声で、洞窟全体を揺らしてしまうほどに。それはとてつもない不快感を訴える鳴き声でした。


「何か気に入らなかったのだろうか」


 ハーデース様は誰にも聞こえない独り言を零し、遥か高く暗闇の中に溶けて見えない頭の後ろ辺りを掻きました。


 ナザリアは抜け目のない人でありました。やがてテーマパークが落ち着くと、湯浴みをする要領で彼女を冥界の川に浸し、その頭の上から足の先までちゃんと水に触れさせておりました。もちろんアキレス腱も忘れずにしっかりと。

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