黄昏に羽ばたく―⑤
ザボオオンッとにごった水音を立てて、台地を流れる川に沈む。
いきおいよく、水蒸気が上がる。
あたりに、真夏の生ゴミのような
魔物の頭と胴体だったものは、しばらくしてから、足、しっぽと同じように、大滝をすべり落ち、下の湖に浮かんだ。
空中のシャルルが、ウジェーヌに向かい、頭の上で手を組み、◯をつくった。
ウジェーヌはシャルルを支えていた風魔法を止める。
さすがに、ウジェーヌにも
ふう、と、ため息をついて、シャルルが降りてくるのを待った。
シャルルは、まずふわふわと宙を平行に移動し、
ウジェーヌがぎょっとして、魔法の詠唱を始めるより早く、
シャルルが水面に叩きつけられる寸前、吹き上げる風が少年の体をつつみ、衝撃を吸収した。
しかし、風は持ちこたえられずに、
はげしくうず巻く滝壺の中から、シャルルを引き上げたのは、カインだった。
激流をものともせず、少年を背面からかかえ、立ち泳ぎで岸まで運ぶ。
近くにいた兵士がわらわらと手助けに行った。
岩場に横たえられたシャルルは、真っ青な顔をしてぐったりとしていた。
ウジェーヌが、息や脈を確かめた。
駆けつけたルゥルゥが、気つけの魔法をかけてくれた。
さいわい、すぐにシャルルの意識は戻った。
どうやら、
「自分の限界くらい、意識しないでどうする」
特に大きなけがなどしていないことを確かめたあとで、ウジェーヌが、さっそくチクリと物申した。
「すみません……」
身を起こしたシャルルは、
そのころには、魔物の
シャルルの周りに、
「まあまあ、ウジェーヌ様。
ルゥルゥが、ウジェーヌをなだめた。
ウジェーヌは、むう、とした表情で、雑に温風をシャルルに送って、冷えた身体を乾かしてやった。
意外とかげんの難しい複合魔法を使っている。
ほこほこしたシャルルは、
「あ、カインにも」
と、気をきかせたが、カインの方は、ルゥルゥの手伝いをしていた光魔法士の力を借りて、すでに自分でなんとかしていた。
落下したシャルルが水面に叩きつけられなかったのは、カインのおかげだった。
カインもまた、魔法が使えるのだ。
「いやあ、それにしても、魔法士さまがたは、すばらしかった」
国軍の司令官、ゲラン大佐が近づいてきて、
シャルルの
愛国心はあるが、現実の戦場を知らぬおまけの学生だと
しかして、財務大臣の三男である。
きもちよく、軍の活動を体験してもらい、彼の経歴に花をそえてやるかわりに、軍備の増強を後押ししてもらえれば、という
「とくにシャルル=キュイーブル殿、いまだ学生の身でありながら、よくぞあの魔物に立ち向かってくださった。あなたさまの力なくしては、この作戦は成功しなかった。司令官として、心からお礼申し上げます」
突然始まった司令官の、芝居がかった
「あなたさまのご活躍は、全国の若者のあこがれとなり、語り草となりましょう!」
身ぶり手ぶり、大げさともとれる
いち早くゲランの意図に気づいたウジェーヌとルゥルゥの目が、次の手を考える
シャルルは、赤面した。
「語り草だなんて、そんな。……あの、できれば、わたしが湖に落っこちたことは、ないしょにしていてほしいのですが」
そこには、国軍の
魔物に対し、冷静かつ
戦場にまれに現れる血に酔った戦闘狂の存在は、軍関係者ならば、見聞きして知っている。
敵にすると
たいてい、扱いには注意が必要だ。
だが、戦場にない
人間だ。
ふつうの人間なのだ。
ギリギリまで
「ああ、まったく、光の5勇士の誕生に立ち会えるとは、なんという幸運でありましょうか! ウジェーヌ=ソワレ殿、アーブル子爵を
ゲラン大佐の声が熱を帯びる。
彼にも野心はある。
本日の主役は、魔法士たちだった。
しかし、この作戦の司令官は、自分なのだ。
こちらも人生を賭けている。
いただけるものは、いただかせてもらう。
「みなのもの、彼の名はシャルル=キュイーブル殿。キュイーブル伯爵家のご子息にして、ウジェーヌ=ソワレ殿の愛弟子。そして――、新しき5勇士だ!!」
兵士たちは、爆発した。
彼らは、司令官のその名付けに、ようやく彼が「なにもの」であったのか、そして、自分たちが「何」を目撃したのかを、悟った。
自分たちは、伝説の生まれる瞬間にいたのだ。
あれこそが、そうだったのだ。
ああ、恐れを、怖れを、畏れを抱いたとて、当然ではないか。
魔物が
夜に沈みゆく
光の乙女と5勇士は、人々を絶望の
この世界は、終わらない。
再び平和は
魔物は滅びる。
そのための戦いをしている。
そのために、我らは命をかけているのだと。
戦場を駆け、見たこともない生き物を相手に、剣を振るう。
知性はあるのに倫理観を持たない
領土が拡がるわけでも、国が豊かになるわけでもない、防衛のためだけの戦い。
200年前は、7年かかった。
100年前は、5年弱。
我々は、何年もちこたえればよいのだ。
何年生き延びることができれば、ゴールにつくのだ。
欠けてゆく仲間。
兵士たちは、切望していた。
この
英雄を。
光の乙女と5勇士。
それは、希望のともしび。
あちこちで、持ってきた灯りがともされ始めた。これ以上の今日の作業は、もうできまい。
湖面に岸辺の
日が暮れる前に、魔物を
圧倒的な力を見せつけた魔法士たちのおかげだった。
みな明るい気持ちになり、テキパキと片づけをしながらも、
5勇士の
正規国王軍が、勇士を守り戦った。
ルミヌ教
騎士伯の息子ドリアン=フェールの登場で、武門の存在感はやや増したが、シャルルが国王軍と共闘し、最大級の魔物に完全勝利したことで、軍部の力が知らしめられることになるだろう。
国王軍に身を置く兵士たちの意気は高く、彼らの表情は晴れ晴れとしていた。
「ソワレ先生、ありがとうございました」
魔法士たちは休んでいてくれと言われ、シャルルとウジェーヌは、
この片付けが終わったら、移動するのだ。
今夜はキャンプではなく、ギアンダ集落の家屋を借りて寝ることになっている。
集落の者は避難しているため、どの家も空っぽなのだ。
「何に対して?」
「ここに連れてきてくださって」
「『烈火のジュリエット』の
ウジェーヌが問うと、
「それもありますが、正直、魔物を前にしたとたん、恨みは忘れてしまっていたというか……」
シャルルはもごもごと答えた。
「ずいぶん、お楽しみのごようすだったねぇ」
シャルルは、ほおを赤らめた。
「楽しかったですもん」
「魔物を倒すことが?」
「魔法を使うことが」
「……そうか、魔法は楽しいか」
ウジェーヌが、うなずいた。
魔法を志すものならば、それは、だれしもが共感できることだった。
少年は、敵に対して、いかに効率良く倒せるか、魔法を試し続けていた。
自分の恨みを晴らすため、いたずらに相手を苦しめようとはしていなかった。
最終的に生きながら炎で焼いたのも、あれは、「殺すついでに浄化してやろう」と考えたからに違いない。
彼は、きっとジュリエット=クレマンがそうであれと望み育てたように、魔法を使った。
彼の愛する魔法を
それが、まっとうな魔法使いというものなのだった。
「ときに、先生、質問なのですが」
シャルルが、まじめな顔つきで、ウジェーヌのそばににじり寄った。
ないしょ話をする距離である。
とうに辺りは真っ暗だったが、お互いの顔は、よく見えた。
「なんだ、5勇士くん、今後の身の振り方か」
「そんなのは、あとでいいです。それより! 最後のアレ、なんだったんです?」
シャルルは、ウジェーヌの瞳をひたと見つめた。
「アレとは、ドレだ」
「空に上がったタヌ吉に、何かしたでしょう」
「ああ……、惑乱の闇魔法だよ」
シャルルが、じいっと、ウジェーヌを見つめたまま、
「なぜ、魔物に、あんなにもてきめんに闇魔法が効くんです」
と、問うた。
「あれには知性があった。あいつの情報は、先の戦からも取れていた。過去の例と照らし合わせた。そして、推測して、あらかじめいくつかの魔法を作っておいた。そのうちのひとつをぶつけた。以上」
シャルルが悔しそうに唇を噛んだ。
「お願いします。教えてく」
「あげるよ」
シャルルが、目を見開いた。
「わたしの持っている闇魔法は、すべてきみにあげるつもりでいる」
闇の1級魔法士は、夜のふちで、静かに、だがはっきりと、弟子にそう告げた。
「そ、それじゃ、いまから」
つかみかからんがばかりに、シャルルは言った。よだれを垂らして主人にご飯をねだる大型犬のようである。
「今からは、しない! 明日から!」
師は、ぴしゃりと拒否する。
「え。ええー?」
「えーじゃないよ、まったく。ところで、近いっ! きみ、なんで魔法の話をするときは、いつもこんなに近いんだい? 離れたまえよっ」
ウジェーヌが、イヤそうに、ぐいぐいと、シャルルを押し戻しながら言った。
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💫次回更新予定💫
2025年10月2日 木曜日 午前6時46分
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