‘A’は、アホの子の‘A’―②

 桔梗ききょうの間は、王宮の中では、比較的小さな客室である。

 と言っても、席をもうければ、30人が宴会を開けるくらいには広い。


 派手ではないが、紫を基調きちょうに品良くまとめられているこの部屋は、気のおけない友人たちとの王妃のお茶会などによく使われている。


 王宮でも、やや奥まった位置にあり、貴婦人たちがきわどいうわさ話に興じても問題ないていどには気密性きみつせいが高い。


 アリスティドが入室したとき、その場には、きららのほかに、彼の父母であるドール国王、王妃、バンジャマンの父親である宰相のアルジャン侯爵、国王のいとこにあたるソワレ公爵とその息子がいた。


 きららは、胸元に黄色の刺繍ししゅうの入った、清楚せいそな水色のワンピースを着ていた。

 よく見ると、きららが天から降りてきたときにいていたくつしたの刺繍とよく似ている。


 さすがに、王室おうしつ御用達ごようたしの職人たちは、真似まねぶのがうまい。

 今年の流行は、このギザギザしっぽを持つ黄色いハムスターもどきに決まりだろう。


「こんにちは、アリスティドさま。エルくん」

 アリスティド達を見たとたん、きららが、ぱっと顔を輝かせて、まっさきにあいさつした。

 天真爛漫てんしんらんまんなその笑顔に、アリスティドは、一瞬、なすべきふるまいを見失った。


「アリスティド様、ごあいさつを」

 こそりとエルがささやいた。

「あ、ああ」

 アリスティドは、きららに軽く黙礼してから、礼儀を守り、まずはこの国で最も地位の高いふたりに言葉をかけた。


「父上、母上、ごきげんうるわしゅう」

「うん、おまえも元気そうでなにより」

「ありがとう、アリスティド」

 上座かみざに座っていた国王夫妻がゆったりと答える。

 アリスティドの黄金の髪と空色の瞳は、この母親ゆずりだ。


 国王夫妻は、昨年より中流貴族で流行しはじめた格好をしていた。完全に同じものではなく、「同じ素材でデザインも似ている」シャツとブラウスを身につけていた。

 かんたんに言うと、仲良しペアルックである。

 流行を取り入れた、親しみやすい装いだが、うす黄色に染色された絹の光沢こうたくを見ればわかる。一級品だ。


「久しゅうございますな、アリスティド殿下」

 次に口を開いたのは、国王のいとこのソワレ公爵である。口ひげをたくわえた、かっぷくのよい紳士だ。


 元はふさふさとしたじまんの黒髪だったが、いまは、前髪の生えぎわが後退し、白髪が目立つ。

 意地の悪い政敵などは、失われた前髪を補うためのちょびヒゲに違いないとかげ口をたたいている。


 ソワレ公爵親子は、国王夫妻から見て、左側に立っている。

 これは、二番目に位が高いことを意味する。


「公爵閣下、お久しぶりです。またいとこ殿も、しばらくぶりです」

 アリスティドは、年上の親戚に、ていねいに応じた。


 アリスティドのまたいとこであるウジェーヌは、父親ソワレ公爵の若かりし頃にそっくりらしい。

 中肉中背で、ゆたかな黒い髪を後ろでひとつに結んでいる。こはく色の瞳のほうは、母かたの遺伝だ。


「やあ、王太子殿下、お久しぶり。新学期から、また、よろしく頼むよ。今度から高等部をみることになったんだ」

 ウジェーヌ=ソワレは、王立学園で教鞭きょうべんをとっている。先学期までは、中等部で「基礎きそ魔法学」を教えていた。


「転属ですか? どうして」

 意外なニュースを聞いて、アリスティドが問う。

「うちのリュンヌが、いよいよ新学期から高等部に入学するのでね。病弱で家から出たことのない子だから、心配で」

 妹の名を出して、ウジェーヌ=ソワレ先生は説明した。


 リュンヌ=ソワレは、アリスティドと同い年だが、3年前に大病たいびょうわずらって以来、ほとんど表に出てこない。

 小さい頃は、親戚のアリスティドともよく顔を合わせていたものだが、さっぱり見かけなくなってしまった。


「そうですか。彼女には、ずいぶんと会っていませんが、学園に通えるほど元気になったのなら、良かったです」

 ウェーブがかった黒い髪の同い年のまたいとこの姿を思い浮かべながら、アリスティドがうなずくと、

「ありがとうございます。この休みのあいだに、いちど遊びに来てやってもらえないですかな。学園の話など聞かせてもらえると、娘の不安もふきとぶことでしょう」

 すかさず、ソワレ公爵が口をはさむ。


 リュンヌ=ソワレ公爵令嬢は、血筋や家格から、アリスティドの婚約者候補の筆頭と、何年も前から言われているのだが、いまだ正式に婚約は結ばれていない。


 かんじんの本人が引きこもっているため、父親は必死だ。

 機会を見つけては、こうしてせっせと売り込んでくる。


「……わたしなどより、兄君のウジェーヌ殿のほうが、よほど学園に詳しいですよ」

 アリスティドの歯切れの悪さに、ソワレ公爵は、こころもち目を細めてその真意をはかろうとする。


「お久しゅうございます、王太子殿下」

 そこにするりと、バンジャマンの父親が、ことばをすべりこませる。

 バンジャマンは眼鏡をかけているが、父親も眼鏡だ。

「ああ、アルジャン宰相」


「このたびは、ご英断えいだんでしたな! 殿下のご活躍、愚息ぐそくから聞いております。光の乙女のもとに、真っ先に駆けつけ、その身をお守りなさったと。実におみごと!」


「王太子として、当然の判断をしたまで。ほめられるようなことは何も」

 言いつつ、アリスティドはまんざらでもない。


「ご謙遜けんそんを。乙女が殿下の間近にご降臨こうりんされたこと、これぞ運命。間違いなく、殿下は伝説の5勇士のひとりでありましょう」

 アルジャン宰相は、うむうむと、ひとりうなずく。


「宰相、については、まだ何もわかっておらぬ。軽々けいけいに口にするでない」

 ドール国王がアルジャン宰相をたしなめた。


「ややっ、これは、先走りすぎましたかな。申しわけございませぬ。としがいもなく、つい、浮かれもした。なあに、早晩そうばん、真実は明らかになりましょう。わが息子からは、光の乙女の降臨について、ことこまかに聞いております。王太子殿下のおかげで、バンジャマンも乙女の降臨に立ち会うという僥倖ぎょうこうを得ましたゆえ」


「……なにが、言いたい」

 ソワレ公爵が、腕組みをして、むっつりとアルジャン宰相に問うた。


「おお、これはこれは。ご子息のウジェーヌ殿も、あの夜には、学園にいらっしゃいましたな。とうぜんのごとく、我が愚息めらとともに、乙女にまみえたはず。公爵閣下も、ご令息から、乙女の清らかなるごようすなと、とっくにお聞き及びでしょうて」

 アルジャン宰相は、トレードマークである銀ぶちの丸眼鏡をくいっと引き上げ、公爵に向かって、しゃあしゃあと言う。


 教師であるウジェーヌ=ソワレも、きららが天から降りてきた夜、たしかに、アリスティドたち学生と同じく、学園の敷地内にいた。

 ただ、彼は、25歳で、教師だった。

 分別のある大人の一員だったのである。

 すなわち、きららをすみやかに自分で保護したかったアリスティドと、反対の立場をとっていた。


 きららが、王宮に移り、5日。

 すでに、彼女は、専門家によってホンモノの光の乙女であると認定されている。

 結果として、アリスティドや彼を擁護ようごした者は賭けに勝ち、反対したウジェーヌは、負けたのだ。


「勇士は5人。乙女の良き理解者、守護者が選ばれると言われておりますな」

 アルジャン宰相は、にやにやと笑う。


「ほーう? まるで、ただアリスティド殿下のそばにいたのバンジャマン殿がそこに選ばれるとでもいうかのようだな、宰相」

 ソワレ公爵は、まなじりをつり上げる。


「はっ、はっ、はっ、まさか。まぁ、しかし、光の乙女の真偽しんぎを問うようなまねをされた方々は、論外ろんがいでございましょうなぁ」

 と、アルジャン宰相はわざとらしく笑い、

「なんだとぅ」

 ソワレ公爵は色をなす。



 

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