仕込み刀の救世主

 頭上から降ってきた関西弁。

 きっとこの女が発したんだと思う。


 バケモノ、牛鬼の悲鳴。

 きっとこの女が上げさせたんだと思う。


 どうやって?


 まさか、さっきのジジイの杖みたいに両手で突いている和傘が

 アレがコイツに突き刺さっているとでも?


 この巨大な怪物の、たくましい肉体に?

 女の細腕で?


 ていうかこの女自体、どうしてそこにいるんだよ。


 よじ登ったのか?

 上から降ってきたのか?


 どのみち細腕がどうとかいうレベルじゃないぞ。


「あー、ほな、アレやな。今はコイツで我慢せなアカンな」


 女は女でなんか頷いている。

 突き立てていた傘を肩に担ぐと、


『ぶおおっ!!』


 バケモノから血がブシッと吹き出る。

 公園の水飲み水栓みたいだ。


 やっぱり刺さってたんだ。

 てかアレにも血は通ってるんだ。


 いや、この感想は我ながら、ちょっとすぎるな。

 でも、


「ほっ」


 苦しむバケモノを背景に、

 傘を開いた拍子に飛び散る、先端に着いていた血。

 その直後、ふわっとこちらへ降りてくる物騒なメリー・ポピンズ。

 いや、見た目は袴にブーツで大正の女学生なんだけど。



 とにかく、これにどうやって真面目な思考で追い付けと?



 血が一滴左目の下に飛んでくる。

 膝から力が抜ける。

 外だし地ベタだしバケモノがいるけど、ダメだ、座り込んでしまう。


 その目の前に女が着地して、


「あんさん、こないなこと巻き込まれはって、エラい災難やな。ケガあらへん?」


 意外に柔和な顔でこちらを見下ろす。


「あ、あ」

「なんや、脳みそケガしたみたいな返事やな。ま、ええわ」


 女は傘を持っていない左手で後ろ髪をファサッと払う。

 肩甲骨や鎖骨に掛かるくらいか。

 セミロングか? そんなに長くはないようだ。


 それより、ずいぶんと余裕ありげな態度だな。


「あんさん、お名前は?」

「へ?」

「名前や」


 この状況でそれか!?

 余裕ありすぎだろ!


 そんなことしてるもんだから、



『ぶおおおおおん! ぐおおお!!』



 今は彼女の背後になっている牛鬼が、怒りマックスの雄叫び。


 クモの体の尻を、サソリの尻尾みたいに反らせてこっちへ向ける。


「う、う、後ろ!」

「後ろが名前かいな」


 そうじゃねぇよ!

 せっかく人が教えてやってんだぞ! 振り返れよ!



『ぶぅん!!』



 荒い鼻息。

 同時にバケモノの尻から白いビームみたいなのが飛び出す。



 クモの糸の束だ!


 あんなの絡まれたら身動き取れないどころか、まず質量でペチャンコにされる!


 オレと牛鬼のあいだには女が立っているが、関係ないだろう。

 どうせまとめてペチャンコだ。


 かといって今は、腰が抜けているから逃げられない。

 女には悪いが、庇うことも突き飛ばして逃すこともできない。


 どうする、どうする……?



 ヤバい、言ってる間に糸はすぐそこだ!


 終わっ






「なぁ」


 ん?


「『これから死ぬヤツに名乗る名などない』みたいな、カッコええセリフありますやろ?」


 いや、言っている意味がよく分からない。

 京都弁か?

 祇園の料亭で修行したとき、女将がこんなイントネーションだった。


 でもこれ、走馬灯じゃない。


 てことは?


 本能的に頭を抱えてたみたいだ。

 でも顔を上げると、殺意の塊みたいなのは来てなくて、


「つまり逆に言うたら、生き残る相手にはあいさつ大事ぃ言うわけや」


 広げた和傘を盾に糸束を受け止める、

 涼しい顔の女がいる。


 彼女はクールに口角を上げる。



「ウチは花倉はなくら花弥子はなやこ

 生き残るんやったら覚えとき。


 あんさんは?」



「き、菊池博樹」



「よっしゃ。聞いたからにはウチが生かしたる」



 花弥子と名乗った女性の笑みが、少し優しい感じに変わった瞬間、



『ぶおあああ!!』



 牛鬼が雄叫びとともに、思い切り腰を跳ね上げる。


 飛び出している糸は傘に張り付いている。

 その傘を握っているのは彼女なわけで、


「花屋さん!!」


 デカいバケモノと、大学生くらいに見える女の子。

 やっぱり力比べなんてものにはならない。

 一瞬で宙へ跳ね上がる。


 生かしたるなんて言ったそばから一本釣りだ。

 くそっ、勝負あったりか……



「花屋ちゃう。花弥子や。失礼な」



 いや、まだだ。

 地上数メートル、天地が逆の体勢になった彼女は


「ウチはもう覚えたんに。



 菊池博樹、ええ名前やで」



 余裕そうに敵から目を離して、

 明らかにオレを見てウインクした。


 そのまま逆さまから体が一回転、重力に従って落ちていく。

 だけど、


「あっ!」


 その先には、オレを食おうとした、地獄の釜みたいに真っ赤な口!

 ヤバい! 今度こそもないぞ!


 そう思った瞬間、



 するっ、と


 和傘の柄が抜けた。



 中から出てきた、アレはなんだ?

 真っ直ぐに伸びた、銀の棒?


 いや、そうか。漫画とかで見たことある。

 アレは、



 仕込み刀ってヤツだ。



 糸に捕えられていたのは傘の部分。

 つまり今の花屋さん、もとい花倉さんは完全に自由。


 刀を片手から両手に握りなおし、逆手に持ち替えて振りかぶる。



「もう朝や。人目につくまえに終わらせよか」



 昇り始めた朝日を照り返し、



『ぶおおおお!!



 ぎゃっ』



 切っ先を牛鬼の眉間に突き立てた。



 すると、律儀に『人目につくまえに』という言葉に従ったのか。

 ヤツは特に断末魔を上げることもなく、クモ型なので倒れることもなく、


 ベチャッと地面に伏せて、動かなくなった。


「これにて一件落着、やな」


 花倉さんは刀を引き抜き、ピャッと血振りをすると、こっちへ振り返る。


「どや。約束は守ったやろ」

「は、はい」


 今度は屈託のない笑顔。

 その昇る朝日と被る輝きに、


「ふ、はあぁ〜……」


 ようやく緊張が解ける。

 ずっと尻餅をついた体勢で腰を抜かしていたが、それを支える背筋や腕も脱力する。


「あああああ」

「何してはんの。そないなとこで寝とったらバッチいで」

「いいいいい」

「ううううう。ま、ええわ、好きなだけゴロゴロしはったら。通勤中のリーマンに通報されへんうちに帰りや」


 花倉さんは呆れたようにため息をつくと、大の字のオレを無視して牛鬼の方へ。

 まぁ構ってもらっても困るしな。


 それより、そのモンスターの死骸の方が通報されんじゃねーかな。

 どーすんだろな。


 なんて思いながら背中を眺めていると、


「よっ」


 彼女は身軽に牛鬼の背中へ乗り、



「……いただきます」



「へっ?」



 対マンモス原始人アニメのように噛み付いた。

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