第五節 生きなくてはいけなかった。
第五節 生きなくてはいけなかった。
桜田ゲート・イーストの眺望は豊かで平和な東京そのものだった。
構造上の欠陥が判明し、ここ三週間ほどは工事が止まっている桜田門を前にした二十階建のオフィスビル――。
詩乃は資材が置かれ、コンクリート打ちっぱなしの無骨な内装のなかで東京の夜景を眺めていた。
腕や腹部が痛い。
蒼司を助け出すときに負ったケガが、ずきずきと痛んでいる。
制服は汚れているし、内堀通りから桜田濠に突っ込んだ際に水に濡れ……嫌なにおいを放っている。
「クリーニング、出さなきゃ」
ぽつりと詩乃は呟いた。
あの商店街で、クリーニング店を営む沙知と息子のたっちゃんの姿が思い浮かぶ。
数日前に公園で話をしたはずなのに、何年も昔のように思える。
思い返せば、沙知が息子をヴェール財団の留学プログラムに参加させたことがきっかけだった。それが人身売買のスキームであり、子どもを取り返すために詩乃は五十嵐慧に相談をし、立ち上がった。
それが……これほどまでに尾を引く重大事件につながるとは想像もしていなかった。
時計を見る。
約束の時間まで、あと五時間――。
玲子と善治が国外への脱出路を整えている。
それまで都内に潜伏し、準備が整い次第……消える。
内堀通りを走る車の列が、桜田ゲート・イーストの敷地を目指して進んでくる。
詩乃は無言のまま資材の上に置いたグロック19を手に取った。
弾はかき集めてきた。
代えのマガジンが制服のポケットに入っていることを確かめる。タントーナイフも腰に忍ばせてあるが、戦闘になったときは心許ない。
『聞こえる、詩乃?』
「聞こえる」
『まだ経路確保できてない。追手が、あんたの居場所を特定した。たぶんリレー捜査で割ったんだと思う』
こくりと頷く。
「人数は?」
『SUVが三台ほど来てる。二十人ちょっとだと思う。あと城戸もいる』
想定よりも人数が多い。
『逃げなさい』
「城戸がいるなら、逃げない。あいつを消さないと悲しみの連鎖は止まらない」
『なら、玄月で殺しておけばよかったんじゃないの?』
「そうすると本当に悪い奴らが証拠を消す。あのときは、まだ城戸には生きていてもらわなくちゃいけなかった」
『そーですか。頑固な子ですこと』
呆れ気味に玲子は言ってから、少し口調を落ち着かせた。
『たぶん、相手も同じことを考えてる。あんたを殺さないと仕事がいつまでも終わらないって』
「だから、決着をつける」
詩乃はそう言って非常階段をくだった。
低層階に侵入してきた城戸と部下たちは、三人一組(スリーマンセル)の分隊で行動していた。
一階部分はテナントが入居するフロアとなっており、区画ごとに壁が入っていた。
分隊は声をかけあって遮蔽物ごとに位置を確認し合いながら前に進んでいる。
詩乃は不意を突くようにグロックを発砲した。
暗がりのなかからの急襲で短い悲鳴があがったが、すぐに分隊は詩乃を捉えるべく前進を再開した。
四発を放つ。
タクティカルライトがぎらりと闇を切り裂く。
詩乃は場所を移動しながら発砲を繰り返す。
第二撃、第三撃と攻撃を重ねるほどに命中精度は落ちた。
相手も物陰に隠れ、警戒を強めている。
マガジンを入れ替え、動かないエスカレーターを駆け上がる。
振り向きざまに発砲して二階へとあがった。
あとを追ってきた二人を撃ち倒し、東側の階段からあがってきた一人を撃った。
暗闇にまぎれてフロアへ散ったらしい城戸の部下たちが、自動小銃を撃ってきた。
フロアに身を伏せて、詩乃は非常階段の位置を確認する。
わずかに銃声がやんだ隙を見計らって、非常階段を目指して走った。
三階のオフィスエントランスを横断し、滑り込むように防火扉の下をくぐってエレベーターホールへ入った。
銃弾がフロアを爆ぜたのは、詩乃が防火扉の向こう側に消えた瞬間だった。
「上だ。上に追い込め!」
城戸の声だろうか。誰かの怒鳴るような声が聞こえた。
エレベーターホールの脇にあるオフィスエリアの階段を駆け上がる。
四階から上はオフィスエリアで、まだ間仕切りのような壁が入っていない。
積んである資材が身を隠す盾となるが――。
難しい事は最初から分かっていた。
それでも詩乃はやらなくちゃいけなかった。
生きなくてはいけなかった。
四階に侵入してきた城戸の部下に詩乃は発砲する。
数発があたったが、その数倍の弾丸が詩乃を目掛けて飛んできた。
応射するために引き金を引いたが、弾切れの悲しい音だけが響いた。
マガジンを交換して撃ち返すが、もう予備はない。
あと数発で十数人を片付ける……無理だ。
四名が倒れて痙攣しているのを認めて、詩乃は五階へ上がるべく階段を目指した。
暗いフロアに弾丸が爆ぜる。
必死に足を動かしながら、詩乃は上階を求めた。
再び五階でも劣勢的銃撃戦を繰り広げ、ここで残弾が底をついた。
繰り返す。六階を目指す。
相手の数は着実に減っているが、まだ十名ほどは詩乃を追っていた。
六階の闇のなかに制服のジャケットが漂う。
ひとりの兵士が、的確な射撃で詩乃の制服を撃ち抜いた。
弾丸で激しく踊る詩乃の制服であったが、闇にまぎれた詩乃が……鋭く槍手を脇腹に突き刺した。手ごたえとして被膜下出血を起こした感覚があった。あばら骨もぽきりと割れた気配を感じた。
「うぐううっ……!!!」
殴打を受けた兵士は背を丸めて呻いた。
その顔に身を捩って後ろ廻し蹴りをお見舞いする。
ごろんごろんと階段を転がり落ちた兵士を前に、仲間たちは銃口を詩乃に向けて発砲してきた。
詩乃は身を倒すようにして避けて、銃撃がやんだところで飛び込んだ。
中階段で五人の男たちに対して、詩乃は丸腰のまま近接戦を挑んだ。
闇にまぎれながら、直突きを顎に叩き込み、掌底打で銃口を横にはじき、低蹴りで相手の脛を砕いた。
突然の近接戦闘で敵の銃口は迷いを見せたが、すぐにナイフのきらめきが東京の夜景に反射して煌めいた。
詩乃は身体を捩ってそれを避け、代わりに掌底打を男の顎下に叩き込んだ。
顎が外れるような手応えを感じつつ、崩拳で相手の腕をからめとり、中心線の軸を揺らすようにして階段の奈落へ背負い投げた。
仲間を巻き込むようにして男は階下へと転がり落ちる。
詩乃は上階へ退避しながら上がって来る敵を待ち伏せた。
銃口を掌底で弾き、脛や腰骨を拳が殴打する。
刃物の鋭いきらめきのなかで詩乃は息を止めて正拳を胸部に打ち込む。
強烈な拳法の連続に食いついて来る男たちも、数が減り始めていた。
そんな十六階で……。
ぽつんと階段から投げ込まれたのはペットボトル。
最初はなにかわからなかったが、続いて硬い音を響かせる手りゅう弾が放り込まれ――詩乃は猫のように慌てて飛び退った。
炸裂する。
爆薬とニトロ――。
強烈な爆風が高層階の窓ガラスを破り、ニトロがねっとりとした火焔を周囲にまき散らしている。割れた窓から流入してくる夜の風が、大いに火焔を煽っていた。
火災報知器の音が聞こえる。
猛烈な消火の水がフロア中に降り注ぐ。
ずぶ濡れになりながら、詩乃は階段を上って来る城戸を認めた。
両手を浅く広げ、笑みを浮かべ、ずぶ濡れになった城戸は叫んだ。
「決着をつけよう。ここまでお互いの仕事がこじれたのだから、どちらかが死ぬ以外に着地点は見出せんだろう」
城戸と接敵した――。
そう玲子に告げようとしたとき、耳のインカムがないことに気が付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます