第4話『街へ行ったら“職人様”と崇められた』

異世界に来て一週間。

 ようやく気づいたことがある。


 ――文明、欲しい。


 水場は遠い。保存食はない。虫は多い。クマも多い。何より、風呂がない。


 文明社会では考えられないが、職人のメンタルは衛生状態に左右される。

 毎日鍛冶しても、汗でベタついたまま寝るのはキツい。精神衛生上、というか物理的にしんどい。


 というわけで、湊は意を決して町へ降りることにした。


 



 


 地図を頼りに進むこと三時間。

 木々が減り、石畳が現れ、遠くに柵と見張り塔が見え始める。


 ……街だった。


 城壁に囲まれた、そこそこ大きな城下町。

 異世界での“人間の痕跡”を初めて目にして、湊はテンションが下がった。


(人間、多そう……)


 それだけで胃が痛くなる。

 どうか誰も話しかけてきませんように、と願いながら門をくぐる。


「おーいそこの兄ちゃん!」


 即、話しかけられた。


(やっぱりか……)


 門番風の男が手を上げてくる。湊は言葉を発せず、黙って金貨を見せる。

 町への通行料か何かと思ったのだ。


 が、門番の目が見開かれた。


「ま、まさかその金貨……!?」


 なぜかテンションが上がった。なぜだ。


「お前……もしかして、黒鋼の……!」


(……やばい予感しかしない)


 



 


 町に入って数分後、湊は異常事態に気づいた。


 通りすがる人々が、みんな彼を見る。


「見て、あの人……!」


「片手に槌……腰に刀……黒い作務衣……」


「まさか、“森の隠者”!?」


「“伝説の鍛冶神”って、この人のことじゃ……!」


(…………は?)


 なんでバレてんの?


 あの猟師、何をどこまで喋った? ていうか勝手に“神”にすんなよ。


 湊は帽子を目深に被り、顔を下に向け、全力で人目を避ける。


 だがダメだった。噂は既に、町中に蔓延していた。


「“黒鋼の匠”、現る!」


「王都の貴族も探してるらしいぞ!」


「しかも、無口で寡黙!本物の職人だってさ!」


(いや、人見知りなだけだし……)


 誰も、本人の意思を聞こうとしない。

 静かに金を使って生活物資だけ買って帰る予定だったはずが、まるで祭りの主役である。


 どこで何が間違ったのか。いや、たぶん全部だ。


 そして最悪なことに、露店の呼び込みが湊を指差した。


「おおおっ!そちらのお方! “匠様”でございますな!? ようこそ我が店へ!」


(ちょっと待て落ち着け誰が“様”だ)


「本日特別!黒鋼ナイフ記念セール中でございます!」


「匠様にはもちろん無料! どうぞ!どうぞどうぞ!」


 差し出されたのは、干し肉三本、謎の保存パン、そして**“黒いナイフを模した木製のお守り”**。


 売り出されてる……!


 黒鋼グッズ、もう作られてる……!


 早い! 展開が早い!


(これが……異世界インフルエンサーの力か……!)


 



 


 全力でその場から離れ、ようやく目的の場所――不動産案内所へ。


 地図にあった「物件案内所」らしき建物は、石造りの地味な一軒家だった。


 中年女性の案内人が笑顔で迎える。


「あらまあ……あなたがあの、匠様?」


「……名前、言ってませんけど」


「うふふ、わたくし勘が鋭いんですのよ。お求めの物件、おひとつご案内しますわ」


 選択肢はなかった。即決で連れていかれた。


 



 


 案内されたのは、町外れどころか森の入口すら通り越した場所にある――超絶ボロ小屋。


 屋根は抜けており、壁は傾き、扉は紐で吊られていた。


「……うん、いい」


「え? 本当に? クマ出ますよ?」


「クマのがマシ」


 案内人は驚いていた。


「まさか、ここを選ぶなんて……本物の職人様って、やっぱり俗世を離れた場所を好むんですね……!」


 そうじゃない。ただ人間が嫌いなだけなんだ。


 だがもう、訂正する気力もなかった。


「お支払いはこちらです」


 湊は黙って金貨を出す。


「うわっ、こんなに!? 本当に“神造の鍛冶神”だわ……!」


「…………(またそれか)」


 



 


 契約完了。


 人生初の異世界不動産取引を経て、彼はついに人里離れた小屋暮らしを手に入れた。


 屋根は直せばいい。壁も作り直せばいい。

 水場は近い。木もある。あとは鍛冶場を作るだけ。


 何より、誰も近寄ってこない。


 森の入口で、案内人が名残惜しそうに手を振る。


「匠様、また町へいらしてくださいませね! 匠様の“第二作品”、みんなでお待ちしておりますわ~!」


「…………(二度と行かない)」


 湊は無言で森の中へ戻った。


 小屋に入って扉を閉める。


 そこで、ようやく深く、深く息を吐いた。


「……人、多すぎ」


 人間とは、なぜこうも騒がしいのか。


 せめて、もう誰も来ないでほしい。


 ……そう思った彼のもとへ、翌日、ひとりの少女が土下座しに来るのだった。

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