第4話『街へ行ったら“職人様”と崇められた』
異世界に来て一週間。
ようやく気づいたことがある。
――文明、欲しい。
水場は遠い。保存食はない。虫は多い。クマも多い。何より、風呂がない。
文明社会では考えられないが、職人のメンタルは衛生状態に左右される。
毎日鍛冶しても、汗でベタついたまま寝るのはキツい。精神衛生上、というか物理的にしんどい。
というわけで、湊は意を決して町へ降りることにした。
◇
地図を頼りに進むこと三時間。
木々が減り、石畳が現れ、遠くに柵と見張り塔が見え始める。
……街だった。
城壁に囲まれた、そこそこ大きな城下町。
異世界での“人間の痕跡”を初めて目にして、湊はテンションが下がった。
(人間、多そう……)
それだけで胃が痛くなる。
どうか誰も話しかけてきませんように、と願いながら門をくぐる。
「おーいそこの兄ちゃん!」
即、話しかけられた。
(やっぱりか……)
門番風の男が手を上げてくる。湊は言葉を発せず、黙って金貨を見せる。
町への通行料か何かと思ったのだ。
が、門番の目が見開かれた。
「ま、まさかその金貨……!?」
なぜかテンションが上がった。なぜだ。
「お前……もしかして、黒鋼の……!」
(……やばい予感しかしない)
◇
町に入って数分後、湊は異常事態に気づいた。
通りすがる人々が、みんな彼を見る。
「見て、あの人……!」
「片手に槌……腰に刀……黒い作務衣……」
「まさか、“森の隠者”!?」
「“伝説の鍛冶神”って、この人のことじゃ……!」
(…………は?)
なんでバレてんの?
あの猟師、何をどこまで喋った? ていうか勝手に“神”にすんなよ。
湊は帽子を目深に被り、顔を下に向け、全力で人目を避ける。
だがダメだった。噂は既に、町中に蔓延していた。
「“黒鋼の匠”、現る!」
「王都の貴族も探してるらしいぞ!」
「しかも、無口で寡黙!本物の職人だってさ!」
(いや、人見知りなだけだし……)
誰も、本人の意思を聞こうとしない。
静かに金を使って生活物資だけ買って帰る予定だったはずが、まるで祭りの主役である。
どこで何が間違ったのか。いや、たぶん全部だ。
そして最悪なことに、露店の呼び込みが湊を指差した。
「おおおっ!そちらのお方! “匠様”でございますな!? ようこそ我が店へ!」
(ちょっと待て落ち着け誰が“様”だ)
「本日特別!黒鋼ナイフ記念セール中でございます!」
「匠様にはもちろん無料! どうぞ!どうぞどうぞ!」
差し出されたのは、干し肉三本、謎の保存パン、そして**“黒いナイフを模した木製のお守り”**。
売り出されてる……!
黒鋼グッズ、もう作られてる……!
早い! 展開が早い!
(これが……異世界インフルエンサーの力か……!)
◇
全力でその場から離れ、ようやく目的の場所――不動産案内所へ。
地図にあった「物件案内所」らしき建物は、石造りの地味な一軒家だった。
中年女性の案内人が笑顔で迎える。
「あらまあ……あなたがあの、匠様?」
「……名前、言ってませんけど」
「うふふ、わたくし勘が鋭いんですのよ。お求めの物件、おひとつご案内しますわ」
選択肢はなかった。即決で連れていかれた。
◇
案内されたのは、町外れどころか森の入口すら通り越した場所にある――超絶ボロ小屋。
屋根は抜けており、壁は傾き、扉は紐で吊られていた。
「……うん、いい」
「え? 本当に? クマ出ますよ?」
「クマのがマシ」
案内人は驚いていた。
「まさか、ここを選ぶなんて……本物の職人様って、やっぱり俗世を離れた場所を好むんですね……!」
そうじゃない。ただ人間が嫌いなだけなんだ。
だがもう、訂正する気力もなかった。
「お支払いはこちらです」
湊は黙って金貨を出す。
「うわっ、こんなに!? 本当に“神造の鍛冶神”だわ……!」
「…………(またそれか)」
◇
契約完了。
人生初の異世界不動産取引を経て、彼はついに人里離れた小屋暮らしを手に入れた。
屋根は直せばいい。壁も作り直せばいい。
水場は近い。木もある。あとは鍛冶場を作るだけ。
何より、誰も近寄ってこない。
森の入口で、案内人が名残惜しそうに手を振る。
「匠様、また町へいらしてくださいませね! 匠様の“第二作品”、みんなでお待ちしておりますわ~!」
「…………(二度と行かない)」
湊は無言で森の中へ戻った。
小屋に入って扉を閉める。
そこで、ようやく深く、深く息を吐いた。
「……人、多すぎ」
人間とは、なぜこうも騒がしいのか。
せめて、もう誰も来ないでほしい。
……そう思った彼のもとへ、翌日、ひとりの少女が土下座しに来るのだった。
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