第4話 白石琴音4
言い忘れていた気がするが、今は世間はゴールデンウィーク。当然バイト先の店長に嫌になるほど連絡され、呼び出しされることも少なくない。
そんな激務の中、俺は白石琴音を自宅で養うことになった。まさか俺が他人を養う、なんてことになるとは想像もしていなかったが、案外適応は簡単だった。一人暮らしのアパートに他人がいる。それも無口で、あまり感情を表に出さない少女。奇妙な気分だ。
白石も俺と同じように、俺の生活リズムに驚くほど静かに、そして完璧に順応した。朝、俺が目覚ましより早く起き出せば、彼女も静かに布団から出てくる。俺が朝食を作れば、黙って席に着き、行儀よく食べる。夕食もそうだ。俺がバイトに出かける準備をすれば、邪魔にならないように部屋の隅でじっと本を読んでいる。まるで俺の生活の「背景」に徹しているかのようだった。
嫌な記憶を思い出すので切実にやめて欲しい。
「どこか行きたいところでもあるか?」
何度か、そう尋ねてみたことはあった。GW中だし、普通の女子高生なら友達と出かけるなり、遊びに行く場所の一つや二つ、あるはずだ。だが、白石はいつも首を横に振るだけだった。
「……別に」
と、消え入りそうな声で、たった一言。
よくよく考えてみれば、普通の女子高生ならばそもそも雨の中深夜に独りブランコで呆然としているなんてことはあり得ないのだ。だというのに無神経な発言を重ねて、俺は何をしているんだろうか。
ぶん殴ってやれ、こんなやつ。
彼女の口から語られる事情は一切ない。俺も、無理に聞き出すことはしなかった。それにどうせ知ったところで、俺には何もできない。それがこれまでの俺の客観的な分析であり、事実。だから、俺はただ彼女が家で静かに過ごせる空間を提供し、食事を与える。
それだけの関係だった。
そんな毎日が約一週間続いた。俺の日常に白石琴音という存在が音もなく、しかし確かに溶け込んでいく。最初は奇妙だった感覚も最近は少しだけ薄れてきた。
夜、俺が寝入る頃。
たまに白石が静かに体を起こし、俺の横顔をじっと見つめていることがある。気配を感じて、気づかれないように薄くを目を開けると、時折彼女の指先が伸ばされかけたところで、そっと引かれることが何回かあった。
「……き、みは……」
小さく何かを呟いて、暗闇の中布団に戻っていく白石。
よくわからない。彼女が何を考えているのか。何をしようとして、何を望んでいるのか。
そして多分、俺はそれをわかろうともしていないのだ。
▶
GW最終日の夜も、雨は降っていなかった。静かな夜を過ごし、そして、新学期が始まる朝を迎えた。
いつものように目覚ましより早く目を覚ます。体を起こし、リビングを通ると布団は既に畳まれていた。流石に学校が始まるから帰ったのだろうか。一言くらい挨拶があってもいい気もするが。と考えたところで、脱衣所から白石が出てきた。
白石はもう制服に着替えていた。ぴしりと、乱れなく。彼女が、昨夜着ていた俺の大きすぎるスウェットとTシャツを丁寧に畳み、テーブルの端に置いているのが見えた。
「……もう、行くのか」
俺の問いかけに彼女はゆっくりと振り向いた。その顔はいつもと同じ人形のようだったが、瞳の奥に、ほんのわずかな寂しさが宿っているように見えた。俺の気のせいかもしれないが、もしそうなら可愛げがあるやつだと思う。
朝食はいつもより少しだけ凝ったものにした。目玉焼きの横に、ベーコンも添える。白石はいつものように静かに席に着き、「いただきます」と小さく呟いてから、ゆっくりと食べ始めた。
食事が終わり、さっさと食器を洗おうと席を立った時だ。
「……ご飯、ありがとう。ゆう、くんのご飯。すごく美味しかった」
――――。
予想外だ。まさか白石が短文以外の言葉を口にできたとは。
「そうか。なら良かった。ワンパターンなものしか作れなくて悪かった」
動揺を隠すように、いつも通りに返事をする。もしかしたら少しだけ声音が変だったかもしれない。
「ううん。いいの。それでいい。私、ゆうくんのご飯がすきだから」
消え入りそうな声で、確かに言い切った。その言葉は俺の耳に突き刺さるように入り込んで、脳内をぐるぐると回って、
――す、き?
俺のご飯、が、おれの。
俺の?
っ。
思わず声が出そうになった。台所に食器を持って行って誤魔化す。深く鼻から息を吸って、吐く。
きもちわるい。
「……そうかよ。また食べたいなら、作ってやるさ」
震える声を上手く、誤魔化せただろうか。口の中に胃液の匂いが広がって、気持ち悪い。胃がひっくり返りそうになったのを無理やり収めたせいで心なしか頭痛もしてきた。
俺の体調とは裏腹に、彼女の精神状態は回復しているように見える。良かった。やはり人間に対する処方の正解は飯を食わせて、風呂に入れて、夜寝かせることらしい。やはり生き物ということか。
俺は無心で食器を洗う。振り返ることはできなかった。ただ流しの前で立ち尽くして、背後から感じる彼女の存在を考えないようにしていた。
……学校、行かないといけないのか。
めんどくせぇ。
「あ。白石。お前、教科書とかは?」
「……大丈夫。ここから近い。取りに行く」
「そうか。頑張れよ」
「うん」
どうにか、彼女の問題は何とかなりそうだ。
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