問いかけの部屋、笑いの部屋《三話後編》

次の問いが、ゆっくりと表示された。


『あなたは“母親を恨んで”いますか?』


アリアエッタの喉が、また震える。

一瞬、言葉が喉の奥で止まった。


視線が落ち、長いまつ毛がわずかに揺れる。


――正直な気持ちを言うのは、怖かった。

けれど、アリアエッタは――


ゆっくりと、口を開いた。


~~ ~~


「……わからない。恨んでるかも……って、思ったこともある。

 どうして、あのとき助けてくれなかったの?

 どうして、閉じ込めたの?

 ずっと……わからなかった」


声がかすかに震えた。

けれど、その次につづいた言葉には――ひそやかな意志が宿っていた。


「――それでも、知りたい。本当のことを。

 わたしは……それを知るために、ここまで来たの」


そう口にしたとき、彼女の肩から力がふっと抜けた。

同時に、頬をひとすじ、涙が伝う。


それを拭おうともせず、彼女は、つづけた――


「……わたしは……怖い。

 逃げるのも、傷つくのも――ほんとは、ぜんぶ怖いんだ」


今度は、その声がはっきりと響いた。

そのとき、床が音もなく、すうっとせり上がっていく。


やがて部屋の奥に、淡い光をまとう螺旋階段が姿を現した。


「姫殿……」


コッポラッタ大尉が、いつになく真剣な眼差しで見上げていた。


「……本音って、言うときすごく疲れるのね」


吐息のようにこぼれたその言葉に、コッポラッタ大尉は、こくりと頷いた。


「されど……重さの分だけ、次の一歩は軽やかになりますぞおお……」


アリアエッタは、ふっと笑った。

ほんの小さな、けれど揺るぎない笑みだった。


そして、すっと口を開いた。


「……行こう。まだ、終わってないんだもんね」


それは――過去を断ち切るための強がりではなかった。

前を向こうとする、彼女自身の“意思”だった。



***



螺旋階段を上りきると、また別の通路が現れた。


無機質な石の壁――その先に、ぽつんと何かが立っている。


「……え? 看板?」


アリアエッタは、目を瞬かせた。


通路の端に、場違いな木製の案内板が立てかけられている。

そこには、不釣り合いなほど丸っこい字で、こう書かれていた。


――『ごっこ遊びの部屋』


その文字を読んだとたん、アリアエッタは腰からガックリと崩れ落ちた。


「……なに、この部屋」


思わず漏れたのは、あまりのくだらなさへの呆れ。

そして、ひとこと。


「……ますます、やな予感しかしない」


もはや、ツッコミすらキレを失っていた。


コッポラッタ大尉が、どこからともなく懐中手帳を取り出す。


「ふむふむ。なるほど、ついにここへ来たでありますか……!」


「知ってるの? この部屋」


「ええ、自分のデータバンクによれば――

 この空間は《精神負荷の軽減と、情報整理を目的とした心理緩衝領域》と記されておりますぞおお!」


「……つまり?」


「――いわば、“強制的にボケとツッコミをさせられる部屋”でありますな!」


「なんで迷宮の中にそんな部屋があんのよっ!?」



***



『その壱――伝説のアイテム鑑定ごっこ』


――と、部屋の天井から、でかでかと書かれた垂れ幕がゆっくりと降ってきた。


「むむ、これは……『ただの木の棒』ですな! 素材はヒノキ……(たぶん)」


「そ、それだけ!? もっとこう……『古代王の杖』とかじゃないの!?」


コッポラッタ大尉は、首を横に振る。

どこか無念そうに。


「じゃあ、気になる鑑定額は!?」


「――7Gであります!」


「“G”って、どこの国の通貨単位よっ!」


そのツッコミに対し、大尉はひそひそ声でアリアエッタの耳元へ。


(姫殿……この場で大事なのはツッコミではなく――“役になりきる”ことでありますぞおお……)


「わああああああ!! 7Gすっっっごおおおい!!」


(このテンションでずっとやれってこと!? めんどくさーい!!)



***



『その弐――主従が逆転ごっこ』


――と、またしても天井から、でかでかと書かれた垂れ幕が落ちてきた。


アリアエッタは、額に手を当てた。


「……もう、やめてよ……」


ついに、その声にはっきりと疲労がにじむ。

だが、そんな彼女に容赦なく、コッポラッタ大尉の号令が飛ぶ。


「ふははは、姫殿! いまより主従は逆転!

 自分が主で、姫殿は――エルフメイド!!

 さあ、早速コーヒーを淹れてくるでありますぞおお!!」


「いやよ。……ていうか、どこにコーヒーがあるのよ、この迷宮に」


吐き捨てたつもりだった。


けれど、気づけば、そのツッコミにすら力がこもっていない。

言葉に――かつての鋭さは、もうなかった。


(……もう、どうでもよくなってきた)


もう一度、コッポラッタ大尉が耳打ちしてくる。

今度は――ニヤニヤと、あからさまに下心をにじませながら。


(これはこの部屋の規則でありますよ……姫殿。さあさあ、さあ!)


(うっ……)


釈然としない感情が、こころの奥にひっかかった。

納得できるはずがない。


でも――

これは、迷宮脱出という“大義”のため。


アリアエッタは、ほんの少しだけ目を伏せて、そして――覚悟を決めた。


すると、その決意に呼応するように――

迷宮の意思が、そっと反応した。


“ドロン”と、彼女を包むように白い煙が立ちのぼる。


しばらくして――煙が晴れる。

そこに現れたのは、白いブラウスに黒のフリルがついた、クラシックなメイド服姿のアリアエッタだった。


そんな気持ちが、背中を押したのかもしれない。


ふと、彼女の脳裏に浮かんだのは――

これまでの旅の中で、何度も「くだらない」と切り捨ててきたものたち。


けれど、その“くだらなさ”が、不思議と自分を救ってくれた記憶だった。


(……こうやって、笑い飛ばすことも。悪くないのかも)


彼女は、深く息を吸い込んで――言った。


「……かしこまりました。ご主人さま」


誠心誠意の礼を込めて、ぺこりと頭を下げる。

その声は、ほんの少しだけ――笑っていた。


「きたああああああ、ですぞおおおおおお!!」


「……」


アリアエッタは、ジト目でコッポラッタ大尉をにらみつけた。


▼ 三話完結編へつづく……

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