嘘発見の部屋と、心の鍵《三話中編》

こうして、アリアエッタは忘却の牢檻《ダルザカン》の最深を越え、

ひとつ、上の階層へと進んだ。


自分の足で、そして意志で。


~~ ~~


「姫よ……」


ネメザールの声が、風にまぎれて背後から届いた。


「その名を、いつか誇れる日が来ることを――願おう」


アリアエッタは、振り返らなかった。

けれど胸の奥では、あたたかな光がひとつ、そっと生まれていた。


歩き出す彼女の背に吹いた風は、

たしかに、誰かの意思を受け取った者へ贈られる、やさしい追い風だった。



***



ネメザールが次の道を示すと――

ふたりは再び、罠が連続する区域へと足を踏み入れた。


天井から吊られた振り子の刃。

崩れる床。

幻覚に視界を奪われ、気づけば見知らぬ部屋に転移していることすらある。


容赦なき罠の連打が襲いかかり、

忘却の牢檻《ダルザカン》は、その意志をもってアリアエッタを試しつづけた。


牙をく狂気は、じわじわと彼女のこころを蝕もうとする。

だが、今の彼女には――仲間がいた。


「姫殿、そこ!

 床石の目地が違う!

 踏めば毒針の雨でありますぞおお!」


「わかった! ありがとう、ポッタ!」


思わぬ感謝に、大尉の頬がポッと赤らんだ。


「じ……自分を誰だと思っておられる!?

 軍事工学の生きた遺産! 迷宮の管理責任者代行であるぞ!」


「その肩書き、どう考えても勝手に名乗ってるでしょ?」


「ば、ばれたでありますかああああ!」


アリアエッタの判断力と、大尉の機巧知識で、罠はひとつずつ切り抜けていく。


「次っ! あのランタン型の魔導具!

 あれは擬態する監視型モンスターである!

 自分の故郷の裏路地によくいたやつだ!」


「どんな土地で育ったのよ、ポッタ……!」


次々と迫る罠。


冴えわたる、コッポラッタ大尉のマニアックすぎる知識。

そして、突拍子もない直感が、ふたりを幾度となく危機から救っていった。


ふたりの歩調は、少しずつ――だが確実に、かみ合ってきている。


「ふふん!

 自分ほどの熟練構造分析能力があれば、これしきの罠など児戯に等しい!」


「そのわりに、さっき溝に落ちてなかった?」


「落ちたのではない!

 戦術的に塹壕ざんごうへ飛び込んだだけである!」



***



そんなふたりの快進撃も――

ここで、いったん立ち止まることになった。


――《嘘発見の部屋》


天井に明かりはなく、薄青い光が、床下からぼんやりと立ちのぼっている。


部屋の中央には、ぽつんと“質問台”が設置されていた。

アリアエッタはその前に立ち、ゆっくりと周囲を見回す。


「この部屋……なに?」


視線を引いたのは、壁に浮かぶ文字板だった。


『汝、己の真実を語らぬとき、この場は汝を呑み込む』


その下で、足元の床が――

砂のように、音もなくきしんだ。


「……やな予感しかしない」


こころの声が、知らぬ間に唇をすべっていた。


「名前を述べよ」


「え……?」


あたりを見回しても、誰の姿もない。


ただ、どこからともなく――


「名前を述べよ」


同じ声が、また部屋に満ちた。


「アリアエッタ・ルヴィ・エール……です」


名乗った声が届いた、その刹那。

質問台の上に、淡く光る文字が浮かび上がる。


『あなたは今、自分を信じていますか?』


「信じてるわ」


――ガタリッ!


「うわっ!? 床が……崩れた!? いまの、嘘だったから……?」


「姫殿、まずいですぞおおっ!

 この床、嘘をつくたびに崩れていく仕組みのようであります!!」


コッポラッタ大尉の叫びが、アリアエッタの焦りに拍車をかける。

胸の奥で、恐怖がじわじわと膨らんでいく。



***



次の質問。


『あなたは“誰かに救われたい”と思っていますか?』


突きつけられたその言葉に、アリアエッタの喉がひくりと動いた。


「……そんなの、思ってない……」


口からこぼれた声は、あまりにもかすかで、

自分の耳にさえ届いたのか――その程度だった。


直後、ガコン、と足元の床が鋭く沈む。

突き上げるような揺れが、彼女の身体を大きく揺らし、視界がぐらりと歪んだ。


「ッ……!? くっ……!」


必死に体勢を立て直しながら、アリアエッタは両手を広げ、バランスを取る。

だが、その衝撃よりも――胸の奥に、もっと深く響いたものがあった。


(……いま、わたし……うそ、ついたんだ……)


喉が、ひくりと震える。

心臓は、早鐘のように高鳴っていた。


(ほんとは――助けてほしかった。

 誰かに、気づいてほしかった。

 閉じこめられて、怖くて、どうしようもなくて……

 なのに、それを口にするのが……ずっと、怖くて)


言葉にした瞬間、すべてが壊れてしまいそうで。


ずっと――こころの奥に、鍵をかけていた。

その鍵がいま、音を立てて崩れ落ちていく。


彼女は唇をきつく噛みしめ、震える息を整えようとする。


けれど、もはやそれも意味をなさなかった。

込み上げる感情は、もう――止めようがなかった。



***



次の問いが、ゆっくりと表示された。


『あなたは“母親を恨んで”いますか?』


アリアエッタの喉が、また震える。

一瞬、言葉が喉の奥で止まった。


視線が落ち、長いまつ毛がわずかに揺れる。


――正直な気持ちを言うのは、怖かった。

けれど、アリアエッタは――


ゆっくりと、口を開いた。


▼ 三話後編へつづく……

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