第25話 なんでも無い時間 5月22日木

 中間考査が終わった次の日、俺は久しぶりに凛花と会った。三日間会えず、俺は少し寂しさを感じていたのだが凛花は思った以上にいつも通りで少しだけ拍子抜けした。


 教室での様子を一日中見ていたが、クラスの中で風花として過ごす凛花の姿は本当に凄かった。正体を知っている俺ですら一瞬風花に見えるほど凛花の動きは完璧だった。


 しかし、体育になると風花の動きだけは再現できないようで、少しだけクオリティが落ちたのが分かった。


 もっとも、クオリティが落ちると言ってもごくわずかな差しかないため、普通にやっていたら気づく人はいないだろう。少しだけ調子が悪いのかな? で済んでしまうレベルだった。


 凛花も風花と同じように俺をからかってきたり、授業中にこっそり話しかけてきたりするのだが、風花と比べると絡んでくる回数はやや少なかった。元々の性格が真面目なのだろう。風花よりも真剣に学習に取り組んでいるようだった。


 ただ、凛花は目が合うと少しだけ微笑んでくれる。その時だけは演技をしていない凛花を感じられ、とても嬉しかった。


現在は午後3時30分。


 俺と凛花は二人で図書館の図書準備室にいた。委員会の時間はもうすぐ終わっているのだが、新刊にラベルを貼る作業がまだ終わらなかったため、俺たちは30分ほど残って作業をした。


 今は最後の新刊本にラベルを貼り終えたところだ。二人がけの赤いソファに隣同士で腰掛けている。


「はぁー、流石に疲れたわね」


「そうだね。多分百冊以上あったんじゃないかな。多かったね」


「でも、遥斗くんも一緒だったからあまりしんどくなかったわ。ありがとう」


 凛花は穏やかな笑みを向けてくる。


 ソファーのすぐ左隣に凛花は座っている。その笑みを見て、昨日風花に抱きしめられた時のことを思い出してしまった。


「どうしたの? 顔赤いけど?」


「べ、別に、なんでもないよ……」


「ふーん」


 凛花はどこか怪しむような視線をこちらに向けてきた。


(何を考えているんだ俺は。今隣にいるのは凛花だ。恥ずかしがる必要なんてないだろ……)


(だいたい風花……いきなり抱きしめてくるなんて……。流石に早過ぎだろ!)


 俺は昨日、風花に抱きしめられてから、ずっとそのことが頭から消えなかった。家に帰っている間も、夜に任務で杉並に行った時も、風呂に入っている時も……


 自分の頭がおかしくなってしまったのかと思うほど思い出してしまった。風花の温もりが忘れられない。


 俺の感覚では、付き合ってから手を繋ぐまでに3ヶ月、ハグまでに半年、キスまでに一年ぐらいの期間で進展していくものだと、なんとなく考えていた。


 それなのに、付き合ってわずか5日でハグまで進んでしまった。このままのペースでいったらどうなってしまうのだろうと、俺は少し動揺していた。


 隣を見ると凛花がペットボトルの紅茶を飲んでいた。その瞳は何もない壁に向けられており、なにを考えているかは読み取れなかった。


 二人きりでいるとよくわかるのだが、凛花と風花は全く纏っている雰囲気が違う。


 風花は明るくエネルギッシュで、天真爛漫なイメージが強い。間違いなく陽キャ中の陽キャだろう。むしろ太陽と言ってもいいかもしれない。太陽のような明るさでいつも周りを照らしている印象だ。


 もっとも、陽キャと言っても、調子に乗っているような印象は皆無で、女子、男子に関わらず、誰からも好かれるタイプの人間だ。自分の感情を曝け出すことが苦手な俺からしたらすごく羨ましい性格をしている。学園のアイドルにふさわしいと思う。


 風花に比べたら凛花はかなりタイプが異なる。クラスでは風花そっくりに明るく振る舞っているが、二人きりの時は全く違う。物静かで、冷静で、どこか儚げで、凄く大人な印象だった。

 

 風花ほどの強烈な光はないがまるで月のように柔らかい光で周りを照らしてくれるような印象だった。


 一緒にいる時も、風花は自分の話したい話題をマシンガンのように話し続けることが多い。それに対して凛花は基本的に聞き役にまわってくれることが多かった。


 明るく無邪気でパワフルな風花も、落ち着きがあり、大人で、少しだけミステリアスな凛花。タイプは違っているが、俺はどちらも好きだった。


 ただ、凛花とはしばらくの間は昨日のようなことはないだろうと思っている。ゆっくり歩みを進めるような早さで付き合っていければそれでいいと感じていた。


(それにしても横顔が綺麗だ)


 ペットボトルに口をつけ、紅茶を飲んでいる姿につい見惚れてしまう。なにか飲料を飲むCMに出たら間違いなくその商品はヒットすることだろう。


「遥斗くんは喉渇かないの?」


 俺の視線に気付いたのか、凛花が口を開いた。


「もう飲んじゃった」


「じゃあ、飲む? 今回は風邪ひいてないよ」


 凛花はこの前と同じように悪戯な笑みを浮かべている。少しだけ怖気付きそうになるが俺は硬い意志と共に口を開いた。


「飲む」


 俺の言葉を聞いた瞬間、こちらを見つめてきていた凛花から悪戯な笑みが消え、恥ずかしそうな顔に変わった。頬を赤くしている姿がとてもかわいい。


「そうだよね。もう恋人同士だものね。どうぞ。飲んでください」


 凛花は紅茶を手渡してきた。


 俺はペットボトルに口をつけた。冷たい液体が流れ込んでくる。


(美味しい……)


 その紅茶にはわずかな甘みがあった。また、香りもよかった。飲みなれているはずの紅茶が今日はとても美味しく感じた。


「ありがとう」


 ただ紅茶を一口貰っただけなのに結果的に俺もなんか恥ずかしくなってしまった。別になにもやましいことをしているわけではないのに。不思議だ。


 俺はやや速くなった心臓の鼓動を感じながら、凛花にペットボトルを返そうとした。


 そのとき、軽く右腕を掴まれ身体を引き寄せられた。凛花の顔が近付いてきて柔らかいものが唇に触れた。ほんの一瞬だったけど、確かに……


(えっ!? えぇーーー!?)


 あまりの出来事にフリーズしてしまった。顔には出さないが。心の中では大声で叫んでいる。


(いまキスされた!? 凛花に!? 勘違いじゃないよな。いや、でもまだ感触が残っている……。ま、まじか……)


 心臓が爆発しそうだ。


「ごめん。三日間も会えなかったから?なんか我慢できなくなっちゃった……。嫌だったかしら……」


 凛花は申し訳なさそうな表情を浮かべながら上目遣いをこちらに向けてくる。顔は真っ赤だ。


「まさか! めちゃくちゃ嬉しかったよ!」


「私も……」


 目が合っているのだが、なんか恥ずかしくて俺は一言も喋れなかった。凛花も俺も、前向きに座り直した。静寂が部屋の中に広がっていく。


「ご、ごめん! 自分からしといてあれだけど、なんか恥ずかしいから私もう行くね!」


「あ、ああ」


 凛花はそう口にするとバッグを持ち、立ち上がると部屋を出て行こうとする。しかし、扉の前で足を止めて振り返るとはにかむように笑いながら口を開いた。


「ふふ。紅茶を飲む度、思い出しちゃいそう……。遥斗くん、大好きだよ! またね!」


 凛花は足早に部屋を出て行った。ドアが閉まる直前、凛花の黒髪に夕日があたり紅く輝いて見えた。


「とんでもない姉妹だな……」


 誰もいない部屋で俺は一人呟いた。

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