73 捨て犬②

 夜の十時半頃、コンビニに行こうとした私の前に突然佐藤が現れた。

 気持ち悪い、どうやって私の住所が分かったの? まさか、尾行されたのか? いつ? 全然気づいていなかった。そしてさっきからずっと私の方を見ているけど、何を考えているんだろう。


 目の前にいる佐藤はそのままじっとしていた。


「何? 時間遅いから早く帰れ!」

「俺はさ……。椎名のためならなんでもするつもりだった」

「…………」

「だから、失敗してももう一度やればいいと思ってずっと連絡をしたのに、どうしてずっと無視したんだ?」

「はあ……、もういい。あんたは役に立たないから」


 最初からできないってことくらい知っていた。

 それでも1%の可能性を信じて頼んでみたけど、その結果が停学だなんて、くだらない。そもそも私が佐藤みたいな人と付き合うとか、そんなことできるわけないでしょ? どうして私の話を信じたのか分からないけど、アホには相応しい結末だ。


 もういらない。こんなクズは。


「俺……! 頑張るから! 頑張るからさ! 椎名」

「聞こえないの? もういい。あんたはいらない。帰れ」

「…………」


 すると、佐藤が私の方に近づく。あの顔はいつ見ても気持ち悪いな……。


「もう一度……、俺に……」

「だから、いらないっ———」


 その時、お腹のところにものすごい衝撃が感じられた。殴られたの……? 私。

 それはあっという間に起こったこと。周りが薄暗くてよく見えなかったけど、その痛みだけはちゃんと感じていた。すごく痛い、痛くて涙が出そう。そして急に息ができなくなって、そのまま地面に倒れてしまった。


 佐藤悠真……、このクズが。


「ケホッ……。な、何……」

「どうして……、どうして俺を捨てたんだ? 俺は椎名のためならなんでもするって言ったのに……」


 声が上手く出てこなかった。

 それに涙が出ている。痛い……、痛いよ…………。


「ちょっと話をしよう。二人っきりで……」


 そう言いながら佐藤は私を持ち上げた。どこに連れていくのか、声が出てこないから何もできなかった。このままじゃこの人に襲われるかもしれない。でも、声が出てこなかった。


 どうして……、私にこんなことをするの?


「ここならゆっくり話ができるかもしれない。どこから話せばいいんだろう」

「…………」


 マンションから遠くないところに大きい公園があって、そこは夜になると真っ暗になる。街灯もないし、この時間には人もあまりこない。

 この場所に連れてきたってことは……、つまり———。


「俺、停学されたからさ。だから、時間が多くてずっと考えてみた。どうして椎名に捨てられたんだろうって」

「そ、それが……。どう、したの?」

「椎名に献身するのが俺の生きがいだったのに、捨てられた俺はこれからどう生きればいいんだろうとそれも考えていた」


 くだらない。


「…………」

「俺は椎名と付き合って、椎名と結婚して、椎名の子供が欲しかったんだ。だから、椎名の話ならなんでも聞いて、椎名の願いを叶えてあげようとした! そんな俺を捨てるなんて」

「ふ、ふざけないで! 誰があんたなんかとけっこ———」


 その場ですぐ顔を叩かれた。痛い……、耳鳴りがする。

 やばい、全然抗えない。男の人ってこんなに強いの……? こんなに怖かったの?


「ちょっと黙ってて……。俺の話がまだ終わってないから」

「……っ」

「泣かないで、泣きたいのは俺の方だ。ああ、どこまで話したっけ。そうだ、俺は椎名と結婚したくてあんなことをした。それほど椎名のことが好きだったのに、どうして俺が捨てられたのか分からない! 納得できねぇよ。それと椎名と宇垣が双子ってことを聞いた」

「…………」

「夕日はさ、ほぼ毎日学校で宇垣とイチャイチャしてたぞ? 分かるかな? 毎日、人けのないところでハグをしたりキスをしたりしてさ……。俺はそれがずっと羨ましかったんだよ。俺も椎名とそうなりたかった」

「…………」

「好きだよ……、椎名」


 結局、私とエロいことがしたいってこと……? くだらない。

 こんなクズとそんなことできるわけないでしょ? 耳元で囁くその声も、目の前にいるあの顔も、気持ち悪すぎて耐えられない。誰か私を助けて……。助けてぇ。夕。


 なんで夕しか思い浮かばないの? こんな時に。


「どうせ、捨てられるんだったら……。俺、椎名と一度やってもいいんじゃないのかなと思ってさ」

「嫌だ……」

「そんなこと言わないで、一回でいいからさ。優しくないのか? 他のやつだったら一回で済まないぞ?」


 何気なく胸を触る佐藤に精一杯抗っていた。

 でも、そのたびに強く私のお腹を殴って力が抜けてしまう。何もできなかった。


「うわぁ、すごい……! あの二人はいつも自分の彼女とこんなことをしていたのか。こんな気持ちいいことを……」

「…………」


 これは……、犯罪なのに。


「椎名ってこういう下着が好みなんだ。可愛いよ、俺が想像していた下着とそっくりで可愛い!!!」

「や、やめて……」

「大丈夫、俺……やったことはないけど、上手いからさ! 緊張しないで!」

「やめ———っ!」

「うるさいな」


 何回も顔を叩かれて、声を出すたびにお腹を殴った。

 早くここから逃げないと、本当にこのクズに犯されてしまう。どうすればいいのか、ずっと悩んでいた。私の体に乗っかって気持ち悪い顔をしている佐藤から、どうすれば逃げられるんだろう。


「俺……、椎名とキスがしたい! 口を開けて」


 今までたくさんの人たちと出会ったけど、どうしてクズばかりなのか分からない。

 石井先輩も、中島も、そして佐藤まで……。どうして私の周りにはこんなクズしかいないんだろう。無理やりキスをされた私はずっと涙を流していた。でも、こんなバカみたいな状況で悲しむ暇はない。


 私はここから逃げる。


 そのまま思いっきり佐藤の舌を噛んで、爪でその顔を引っ掻いた。

 これで少しは時間を稼げる。服を全部脱がされて下着姿になってしまったけど、そんなことを気にする暇はなかった。


「うっ! くっそが! 何をしたんだよ! 椎名」


 苦しがっている佐藤が立ち上がった瞬間、股間を蹴る。思いっきり蹴る。

 その後、地面に落ちたスマホを拾って佐藤を押し倒した。


「ああああっ!!!!!!」

「はあ……」

 

 時間がない。走りには自信がないから、精一杯この公園から逃げ出した。

 一秒でも早く。

 急がないと———。


 でも、この公園は広いし、道路があるところまで走っても人がいない可能性が高い。

 すぐ通報するしかなかった。

 スマホの電源まだ残ってるし、佐藤はまだあそこにいるから走りながら110番に電話をした。


「助けてください……」


 その時、後ろから聞こえてくる佐藤の声。早い、早すぎる。


「椎名!!!」


 仕方がなく、公園にある女子トイレに急いで身を隠した。

 早く来てほしいけど、通報したばかりだから時間がかかるかもしれない。ここで時間を稼がないと……。でも、どうやって?


「椎名、ドアを開けてくれ。俺は……、一回でいいんだよ!」

「ふざけないで、あんたの話など信じない」

「どうして俺を避けるんだ? ずっと椎名だけを見ていたのに、俺のどこが気に入らなかったんだ!? 椎名、話してくれ」

「顔、性格、全部!」

「…………なんだと?」


 寒い、早く……早く来てください。

 そして「どんどん!」と拳でドアを叩くたびに、怖くて心臓がドキドキしていた。

 どうして私が……、こんな酷い目に遭わないといけないの? どうして……。


「何もしないからドアを開けてくれ、本当だから。俺は椎名のことが好きだ。それだけだよ。ずっと好きだった。でも、俺を見てくれないから……。なんで先生の前で嘘をついたんだよ」

「…………」


 ずっと無視していた。

 それから十五分後、公園で私を探していた警察が来て佐藤を逮捕した。


「大丈夫ですか?」

「は、はい……」

「この服……、ここから少し離れたところで拾いましたけど……」


 私の服を拾ってくれた警察官を見て涙が出る。

 すると、向こうから佐藤の声が聞こえてきた。


「離せ! 俺は……! 椎名と! 椎名と———!!!」

「もう大丈夫です。安心してください」

「はい……」


 そのまま服を着て、地面に座り込んだ。


「…………」


 本当に地獄みたいな一時間だった。

 怖くて、怖くて、立てられない。

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