冤罪です――そう言っても誰も聞いてくれずに、地下牢獄に閉じ込められた聖女の話

よし ひろし

冤罪です――そう言っても誰も聞いてくれずに、地下牢獄に閉じ込められた聖女の話

 ポタリ……


 剥きだしの岩肌の天井から、水滴が床へと落ちる。その床もタイルなど張っていない天然の岩盤のまま……


「はぁ~、本当に素敵な新居ね……」


 誰にともなく私はつぶやく。

 ここは王都の聖女神殿の遥か地下深くにある天然の地下迷宮、その最奥の洞窟を切り開いて造られた牢獄。空気は湿り気を帯び、鼻をつく土と苔の匂いが漂う。人が住むには最悪に近い場所……

 時折、天井から落ちる水滴が、ポタリ、ポタリと音を立て、暗闇の静寂を破る。その音が、私の心臓の鼓動と重なるたびに、胸がきゅっと締め付けられる。


「ああ、どうしてこんなことに……」


 国家反逆罪の罪に問われ、ここに閉じ込められて、三日の時が過ぎていた、たぶん……。日は昇らず、月も見えず、時間の感覚は曖昧なので、正確にはわからない。ただ日に二度運ばれる食事が、朝と晩の物だとすれば、三日が過ぎたということになる。

 明かりは、岩壁や天井に生えるヒカリゴケによるものだけ。暗闇に眼が馴れ始めてきたので不自由はないが、何もない牢獄内では見えていようがなかろうが、あまり変わり映えはしない。


「国王様…、いったい誰が……」


 私の具体的な罪状は、国王の暗殺容疑――私が殺したのではないことは私が知っている。国王暗殺など、考えたこともない。神に誓って、私はそんな罪を犯していない。


 なのに、なぜ私はここにいるの?


 冤罪――誰かが、私をこの闇に突き落とした。何者かが、巧妙に仕組んだ罠……

 スズランの聖女として全力を尽くしてきた。民の為に祈りを捧げ、癒しの奇跡を施し、皆の笑顔に囲まれていた。あの温かな光の中で、私の言葉は真実として受け入れられた。だが、今、その私の叫びは誰にも届かない。

 「私は無実だ」と叫んでも、審問官の疑いの言葉が、その声を打ち消す。彼らは私の言葉を信じない。いえ、はなから私が犯人だと決めつけていた。

 言葉を尽くしても無駄だという無力感は、まるで心に突き刺さる刃だ。民の信頼、神の加護、すべてが遠ざかり、私はただの罪人にされた……


 いったい誰が私を陥れたの?


 ここに閉じ込められてから、幾度も浮かび上がってきた疑問。様々な可能性が浮かんでは消え、また別の疑惑が湧き上がり、そんなはずはないと、自ら否定を繰り返す。その中で、常に頭に浮かぶのは彼女の姿――


「バラの聖女……やはり、彼女なのかしら?」


 脳裏に艶やかな美女の顔が浮かぶ。燃えるような赤髪をした美人――バラの聖女・スカーレット。


『ミュゲ、あなたには負けないわ! わたくしがこの国一の聖女なの。スズランなどに決して負けない!』


 事あるごとに私にそう宣言してきた彼女。スズランの聖女たる私と何かと張り合ってきたが――まさか、彼女が、私を陥れたのか……?


 バラとスズラン――二人の聖女はこの国を守る双壁。もっとも、同年代の二人の聖女が揃うことは歴史的に珍しいらしい。聖女は望んでなるものではない。神に選ばれ、突然、そうなるのだ。ある朝目覚めると、知識が、力が、その身に授けられ、聖女となる。左の手のひらに浮かぶスズランの刻印、それがスズランの聖女の証。


「……神様」


 手のひらの聖印を握りしめ、私は目を閉じ、思いを馳せる。


 私はもともと田舎で牧場を営む平凡な家の娘だった。それが十三歳の春、突然聖女に選ばれた。

 神様も余計なことをしてくれる。私は、馬や牛たちとのほほんとして一生過ごすのが当然だと思っていたのだ。それが、王都に呼ばれ、神殿に入り、今まで見たこともない上流階級の人々と付き合っていかなくてはならなくなった。


「はぁ~……」


 思い出しただけでもため息が出る。田舎の村娘であった私にとっては、王都での暮らしはまさに異世界!

 聖女という立場上、付き合わなければいけない貴族様方と、まあ、話が合わないこと。家の格式、しきたり、立ち居振る舞い――すべてが私を混乱させ、頭を悩ませた。その中に、彼女もいた。


「スカーレット……」


 もう一人の聖女。彼女の実家は伯爵家――つまり、根っからのお姫様。現に第一王子の婚約者候補の一人でもある。気高く、華やかな美女。彼女の髪は、まるで夕陽を溶かしたような鮮烈な赤で、聖女神殿の祭壇に立つたび、まるで炎が揺らめくように輝いた。彼女の瞳もまた、紅玉のように鋭く、情熱的に光る。白い聖女のローブさえ、彼女がまとうとまるで舞踏会のドレスのように優雅に見えた。平民の出である私とは違い、彼女は生まれながらにして高貴な血と、誰もが振り返る美貌を持っていた。

 バラの聖女――その名の響きに負けない艶やかな人……


 私とは何もかもが正反対。そのせいか、平民である私のことを目の敵にしていた。どんな些細なことも張り合って――本当にウザい。私は求められるから聖女をしているだけで、できるなら実家に帰って、のんびり生活したいのよ。


 全部あなたに任せて、聖女なんて引退したいわ――そう言った時のスカーレットの怒り顔を今でも覚えている。


『ふざけないで! ミュゲ、あなた、聖女を何だと思っているの! それだけの力を持ちながら――負けない。あなたがそう望むなら、わたくしが実力であなたを引退させてあげる!』


 ああ、この人、聖女であることに並々なる誇りを持っているのね――そう私は感じた。


「実力で…、そうね、彼女じゃないわね。こんな形で私を失脚させても、あの人は喜ばないわ……」


 そう信じたい。

 私たちはライバル、共に神に仕え、切磋琢磨してきた。彼女の祈りは、時に私の心を打ち、彼女の癒しの力は、私にない強さを持っていた。夜遅くまで聖典を読み込み、議論を交わした日々。民のために力を合わせ、共に汗を流した祭祀の記憶。彼女の態度は時に冷たく見えたが、その産まれながらに身に付いた気高さ――彼女が私を陥れるような人間だと思えない。


 でも……


「では、誰が、こんな策謀を――」


 心が揺れる。この牢獄の闇が、私の心を惑わせる。


 聖女になってから三年――私、頑張ったよ。与えられた力を存分に使って、人々を助けてきた。そのおかげか、私の評判はうなぎ登り、国王様もすごく褒めてくれていた。なのに――


 あの晩、ラファール地方を襲った魔物による騒乱を二人の聖女の力で見事収めた祝いの晩さん会――その席で突然倒れた国王。私もそのすぐ傍にいた。彼女、スカーレットも。

 二人の聖女の前で、国王様は苦し気に胸を押さえ、そして――聖女の癒しを授ける間もなく息を引き取った。いくら聖女でも死んだ者は生き返らせられない。

 後の調べで、ワインに毒が盛られていたことが判明した。特殊な毒。スズランを用いて作られた魔法の毒薬。そして、私にその嫌疑がかけられた――


「スズランの聖女が、スズランの毒を用いるなんて――そんなあからさまなことするわけないじゃない……」


 だが、全てのお膳立ては整えられていたようだ。私に弁解の余地などなく、今こうしてこの暗い牢獄の中にいる。


 ポタリ、ポタリ……


 水滴の音が、私の残された時間を数えているように牢内に響き渡る。


「はぁ~、困ったわね。これは…詰みかしら? ここで、死ぬのね……」


 聖女は神から選ばれた者。どんな罪を犯しても、聖女であるうちは、何人なにびとにも断罪することはできない。故に用意されているのがここ。この部屋では、聖女の力は使えない。ここに閉じ込めることだけが、罪を問うすべて。


 このまま、ここで死ぬのだろうか?


 恐れが忍び寄る。この闇の中で、誰にも知られず、名誉を奪われたまま、朽ち果てるのだろうか。ふとした瞬間に、その光景が浮かぶ。私の身体がこの冷たい石の上で動かなくなり、魂が神のもとに還ることもなく、ただ闇に溶ける……

 恐怖が心を締め上げるたび、諦めがその後を追う。もう、誰ももう私を救ってくれないのかもしれない。神さえ、私を見捨てたのかもしれない。聖印を握る手が震え、祈りの言葉を呟こうとしても、声は途切れていく……


「はぁ~……」


 冷たい石の床に、ごろりと転がった。岩肌に生えるヒカリゴケのおかげで、室内はぼんやりと明るいが、太陽の光には到底及ばない。

 目を閉じると、鮮やかな情景が瞼の向こうに浮かぶ。


 青い空、白い雲、きらめく太陽、流れる清らなそよ風――私の故郷の風景。


 丘陵に広がる牧場は、まるで緑の海のようだ。春には、柔らかな新芽が風に揺れ、夏には濃い緑の草が太陽の下で輝く。牧場の端には、スズランの花が群生し、白い小さな鈴のような花がそよ風に揺れて甘い香りを漂わせる。

 朝、霧が丘を覆う中、父が牛を連れて歩く姿が見える。木の柵に沿って、牛たちののんびりした足音と、遠くで鳴く羊の声が響き合う。

 母は小さな畑で、色とりどりの野菜を育て、夕暮れにはその収穫物を籠に詰めて笑顔を見せた。

 妹は、牧場の小川で水遊びをし、笑い声を響かせていた。あの小川の水は、透き通っていて、太陽の光を受けてキラキラと輝いていた。川辺には、野イチゴの赤い実が点々と実り、摘むたびに甘酸っぱい味が口に広がった。

 牧場の空は、どこまでも高く、青く澄んでいる。夜になれば、星が無数にに瞬き、丘の上に寝転がると、宇宙の無限の広さを感じた。

 あの頃、私はただの村娘だった。聖女などという重荷も、国王暗殺の冤罪も知らない。スズランの花冠を編み、家族と笑い合い、風に髪をなびかせながら走った。あの自由な日々。あの温かな時間。聖女に選ばれ、王都へ旅立つ前、私が確かに持っていたもの……


「二度と見られないのかしら、あの風景……」


 涙が無意識に零れ、頬を伝った。冷たい床に落ち、すぐに闇に溶ける。泣いても、誰も聞いてはくれない。


「神さまぁ、私、何か悪いことしました…?」


 思わず愚痴をこぼす。もちろん答えなど返ってこないのはわかっていた。ところが――


「いいえ、あなたは何も悪くありませんよ」


 岩壁に涼やかな声が響く。


「えっ?」


 私は驚き、飛び起きた。入口――いや違う。奥の岩壁にいつの間にか、ぽっかりと穴が開き、そこから一人の男が顔を見せていた。


「あなた――ハヤテ!」


 そこにいたのは、聖女である私の影の護衛役の一人、ハヤテだった。投獄される寸前に会ってからまだ数日、でも無性に懐かしさを感じる。短く刈った黒髪に、誠実な茶色の瞳。スズランの聖女になってから常にそばに付き従い、陰からいつも静かに見守ってくれていた存在。その姿が、こんな場所で、こんな時に現れるなんて――


「聖女様、迎えに来ましたよ」


 穴から身軽に飛び出し、平然とした様子でハヤテが言う。


「え、なんで――?」

「なんでって…、これが俺の役目だから」

「でも、私、国王様暗殺の――」

「あなたがそんなことをしないのは、わかっていますから。――さあ、逃げますよ、こんなところから」


 ハヤテが右手を伸ばす。


「え、でも……」

「ぐずぐず言わない。時間はそれほどないんです。この隠し通路、すぐに閉じちゃいますから。それとも、ここでしわくちゃの婆さんになるまで過ごしますか?」

「……わかった、行くわ」


 私はハヤテの手を取った。その温もりが、私の凍えた心に染み入る。



 長く狭い隠し通路を抜け、地上へと続く急坂を登る。冷たい空気が少しずつ柔らかくなり、遠くに朝の匂いを感じる。やがて、出口の光が見えた。眩しい朝日が、洞窟の外に広がる世界を照らしている。


 眩しい……


 暗闇で数日過ごしてきた私の目には強すぎる光。私は思わず足を止め、その光にゆっくりと目を慣らした。

 空がはっきり見え始める。故郷の牧場を思い出させるような澄んだ青。そこは、すでに王都の外。地平線には、柔らかな金色の光が広がり、まるで天が微笑むように輝いている。

 ハヤテに加え、イザナとミケルの二人も合流していた。皆、スズランの聖女影の護衛隊のメンバーだ。


「これからどうするの?」

「東へ。我らの里に一旦身を隠します。その間に、他の仲間があなたの身の潔白を、真犯人をあぶりだしますので」

「……真犯人、別に見つけなくてもいいかなぁ」

「えっ? どうしてです」

「私、なんか全部どうでもよくなちゃった。このまま普通の村娘に戻って、ゆっくりと暮らしたいわ……」


 疲れていた。色々なことに、私は疲れていた。もう聖女なんてどうでもいい。それが本音だった。


「そうですか…。それも悪くありませんね。――でも」


 ハヤテの茶色の瞳が真っ直ぐ私を見る。


「左手の聖印、それはまだあなたになすべきことがある印。人々があなたに聖女であって欲しいと望んでいる証。それを、すべて捨て去るのですか、ミュゲ様?」

「それは……」


 私自身が望んだことじゃない。こんな聖女の印――でも……


「わかったわ、もうしばらくスズランの聖女をやりましょう。故郷でゆっくりするのは、もう少し後ね……」


 このまま全てを捨て去ったら、きっと後悔する。後味が悪い。私に罪を着せたのが誰か知らないが、そんな奴らが王国の中枢に居座り、思うがままに権力をふるえば、きっとロクなことにはならないだろう。国が傾けば、田舎の家族も、日々真面目に懸命に生きている多くの人たちも、困ったことになる。

 仕方ない、頑張るか、もう少し……


「では、行きましょうか、スズランの聖女。追っ手がかからないうちに」

「ええ、わかったわ」


 そうして私たち四人は、朝日が昇る中、東へ向け旅立った。



 待ってなさい、私を陥れた者たち。いつの日か、私は戻る、この王都に。そして、アンタらをギチョンギチョンにしてやるんだから――!



おしまい

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