第2話

 一ヶ月後、俺は大統領官邸の警備棟で、ラジオに耳を傾けていた。


〈各国首脳陣は、中央通りを抜け、次々と国連本部へと向かっております。交通規制された道の両脇には大勢の民衆が押しかけており、各国首脳の登場を今か今かと待っております。……あ! 道の向こうから、黒塗りの車列が近づいてまいりました! フリザール人民連邦の車列です! 人々が歓声を上げています! 連邦首相のジュガー書記長が窓から手を振っております!〉


 警備棟の休憩室に設置されている古びたラジオは、レポーターの興奮した声を雑音混じりに流している。 現場は大盛り上がりらしい。

 一方、大統領官邸は静かなもので、黙々と仕事をする官僚を除けば、ほとんど人もいない。普段は大統領官邸内でふんぞり返っている要人たちが、今日は国連本部で会議に参加しているからだろう。


 その分、普段よりも人数の多い警官の姿が目立つ。サーベルを差した警官と、短剣や拳銃で武装した特別警備隊の隊員たちが、大統領官邸のあちこちに立哨し、警備を行っていた。

 よっぽどの事態が発生しない限り、これだけの警備を突破して大統領官邸に攻撃を仕掛けることは不可能だろう。

 問題があるとすれば、帝都の中心部から少し離れた場所に建っている大統領官邸の周囲は、通りかかる者もほとんどおらず、どれだけ厳重に警備をしていても、具体的な仕事は全くないという点だけだ。


 平和なのはいいことだが、退屈でもあった。

 だから、俺はこうしてラジオに耳を傾け、情報収集をしている。


「ミード警部」


 休憩室に設置された軋む安楽椅子に座り、ラジオを聴きつつのんびりしていた俺に、中隊伝令のジェルド巡査が話しかけてきた。


 若手で熱意もあるジェルド巡査は、よく俺に話しかけてくる。普段は警杖の使い方だったりとか、拳銃の上手い狙い方だったりを聞いてくるが、今日は、少し様子が違っていた。

 妙に落ち着きがない。普段から明るく、様々な訓練に駆け回っているために落ち着きがないジェルドではあったが、今日はいつもと別種の落ち着きのなさをしていた。


「どうした?」


「我々は、このまま待機を続けるんですか?」


 ジェルドは、少し不安げな様子で俺にそう聞いてきた。彼も、他の多くの隊員と同じく、せっかく厳しい訓練を積んでいるのにそれを発揮できる機会がほとんどない状況に対し、不満を抱いているのだろう。

 気持ちは分かるが、俺にはどうすることもできない。


「命令通りだ。我々は国連本部の警備には参加しない。ここで待機に徹する」


 俺は断言する。


「テロ組織のフォーランド帝国鉄命団が、国連本部におけるフォーランド帝国政府の姿勢を弱腰だと批判し、テロの実行を示唆しているそうです」


 ジェルドは言った。


「知っている」


 もちろん、俺もそれぐらいは知っている。部下の命を預かっている以上、情報収集は絶対に怠れない。警備中、帝都にどんな脅威が発生しうるのかについては、既に特別警備隊の幹部たちで念入りに話し合ってあった。


「フォーランド国際空港で、爆薬と散弾銃を持ち込もうとした不審者が警察に取り押さえられたそうです。これは、ハイジャックを企図していたと考えられます」


「分かっている」


「警察にとって、我々は切り札です。今こそ、国連本部を特別警備隊の手で守るべきではないですか?」


「それは上が決める」


 俺は断言する。

 活躍したいというジェルド巡査の気持ちも分からなくはないが、そんなことを考えたり望んだりする権利など、末端の警察官にはない。我々したっぱにできることは、ただ上層部の判断を忠実に実行するだけだ。


「ですが、もしもの事があったら」


「それを考えるのは上層部の仕事だ。与えられた仕事を黙々とできないなら、警察官とは言えない」


「しかし……」


「しかしじゃない。命令に従うのが嫌なら、警官辞めるんだな」


 俺は突き放すように言う。

 別に悪意はない。ジェルド巡査は優秀な警官だ。向上心もある。だからこそ、彼にはしっかりと命令に従える人間に育ってほしかった。

 発した命令に異を唱える人間を、法の執行者たる警察は好まない。


 ジェルド巡査は、言葉を失ったように黙り込む。


「なに。活躍するなと言っている訳じゃない。命令があった時にしっかりやればいいんだ」


 俺は、黙ってしまったジェルド巡査の様子に少し申し訳なさを感じて、諭すように言う。

 その時、休憩室のドアが開いた。

 休憩中だった警官たちは、一斉にドアの方を見る。


「あまり上から押し付けていると、若手の自主性が損なわれるぞ。それに、自己判断ができないようでは、優秀な戦闘員とは言えないしな」


 低く心地よい、それでいて傲慢で威圧的な声。


 俺は声の主に目線を向ける。そこには、近衛師団の軍服を着た、陸軍の高級将校が立っていた。


 貴族家の者たちが多く配属されている近衛師団は、陸軍の一般部隊が支給されている軍服とは違う、独自の軍服を支給している。

 膝ほどまである黒革のブーツ。真紅の継ぎ目線が入った、漆黒のズボンとジャケット。内側に赤地が使用された、黒のトレンチコート。金の帽章が輝く、黒の制帽。

 腰には革のホルスターを付けており、装飾された拳銃を収納している。

 陸軍の一般部隊とは比べ物にならないほど洒落た軍服は、着用する者に威厳と統制された機能美を与える。


 そこに立っていた近衛師団の高級将校は、近衛の軍服が似合う美しい人だった。

 やや癖のある濃い青髪と灰色の瞳に、すらりとした長身痩躯の体。

 顔立ちは中性的だが、胸と腰の様子を見るに、おそらく女性だろう。


「なぜ近衛師団がここに?」


 俺は、いきなり現れて、警官としてのやり方を否定されたことに対する不快感を感じながら、そう聞く。


「警視庁は国連本部ばかり見ていて、他の重要施設は手抜きだと聞いてな。余裕のある近衛師団が、各省庁や官邸の警備に兵力を割くことを決定したのだ。私の第七大隊は、ここ大統領官邸の他にも、帝国図書館、博物館の防衛を任されている」


「聞いてない」


 俺は抗議するような口調で言った。


「なぜ、軍の動きを逐一警視庁に知らせねばならんのだ?」


 高級将校の高圧的な態度に抗議しようとしたその時、大統領官邸の正門で立哨に当たっていた警官の一人が、サーベルをあちこちにぶつけながら走ってきた。


「ミード警部! 大変です! 正門に近衛師団が!」


 俺はその様子に驚いて、安楽椅子から立ち上がると、窓の外を確認する。

 警備棟の二階にある休憩室からは、ちょうど正門の辺りを見る事ができる。


 大統領官邸正門の前には、茶色に塗装された陸軍のトラックが列を成していた。

 車体には、近衛師団を意味する龍のマークが描かれている。

 そして、黒い軍服を着た近衛兵と、深藍色の制服をきた警官が、正門のところで押し問答をしていた。


 警備を担う警官としては、なんの連絡もなくやってきた近衛兵たちを入れるわけにはいかない。予定外の事態を、独自の判断で発生させてしまうと、そこが警備の致命的な綻びになりかねないからだ。


 一方、近衛兵たちは絶対に入らねばならない。

 もう官邸の中には、どうやったのか知らないが連中の高級将校が一人入っており、その上、彼らは上官から大統領官邸の警備に参加するよう命令を受けている。軍人は、任務を達成するなら多少荒っぽい手段でも躊躇わない。


 どちらかが挑発的な態度でも取ったのか、両者、かなり殺気立っていた。特別警備隊の隊員には、警棒を抜いた者までいる。

 このままでは、まずいことになりかねない。


「お前ら! そいつらを官邸に通せ! 味方だ!」


 俺は窓を開けて、そう怒鳴る。

 危ないところで、警察と軍が衝突する事態は回避された。

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