「あなた、霊が取り憑いていてよ」
いかろす
1-お姉様の声
うら寂しい道だ。
高校への通学路だった。なんの変哲もない閑静な住宅街を、バス停までに徒歩五分。朝の清々しい陽気が差しているが、辺り一帯は誰も居ない。
「あなた、タイが曲がっていてよ」
耳元で、唐突にささやかれた。
慌てて左右と背後に視線をやるが、周囲には誰も居ない。ついでに言えば、胸元のリボンタイも曲がっていない。視界に映る人影は、遠くでゴミ出しをしている地域住民くらいのものだった。
むずがゆさと心地よさを同時に覚えさせる、つややかな女性の声だった。
──使い古された文言ね。
というのも、彼女は〈百合〉と呼ばれるジャンルの物語を愛好していた。
ささやきのそれは著名な百合作品のセリフによく似ている──というより、ほぼそのままである。当然、深空の知識にもしかと刻まれていた。
有名ということは、すなわち多くのユーザーの心に届く力を持つことの証左である。だが、長く使われた概念は陳腐化していく。強い力を持つからこそ、使い所を考えねばならない。
深空にとって、唐突に投げつけられたその言葉はどうしても耳慣れた陳腐なものに聞こえた。そして、普段からしている自身の
深空の心をより強く捉えたのは、その声だった。
セリフに大事なのは、文脈やシチュエーションだ。少なくとも、物語においてはその通り。
しかし、誰が言うかも同じか、それ以上に大事な要素であった。
──エロい声だったな。
深空は、お世辞にも背が高いとは言えない体躯を有していた。
そうなると、背が高いお姉様に見下ろされながら『曲がっていてよ』と直される側に回るのが筋というものだろう。
なるほど、そう考えると、今の幻聴も悪くないように思えてくる。
では、そのエロい声の持ち主はどんな容姿をしているだろう。やはり黒髪? ここはがっつりフィクションに寄せて銀髪にしてしまってもよいだろうか。
むくむくと湧き上がる妄想を前に、深空はカバンからスマートフォンを取り出した。普段なら、通学のお供はWEBに投稿されている百合小説たちだ。
しかし、今日の深空はメモ帳アプリを開き、考え出した妄想を綴る。深空は読むだけでなく、書く方も嗜んでいた。納得いくものができず、投稿したことはなかったが。
思いつくままにプロットを書き連ねながら、深空は友人にして同好の士──つまるところ百合オタクの山村のことを思い出していた。
山村とは高校で出会った。お互い探り探りに知り合う中で、完全に趣味が一致していると見て深空の方から仕掛けた。オタクあるあるの腹の探り合い。結果は大成功だった。
彼女もまた、読むだけでなく書く方も嗜む人間だった。そんな山村がつい先日、こんなことを言ってきたのだ。
『声が聞こえたんだよね』
そう、山村も言っていた。
『お姉様の声』
その時は、小説のセリフが頭の中で脳内再生されることの例え話くらいに思っていた。
だが、そうでないとしたら。
考えながら、深空の指はテキストを打ち込み続けている。怪しげな思いつきが妄想を加速させていた。これはこれで使えるアイデアかもしれない。
唐突に表示された友人からのメッセージ通知が、滾る深空の妄想をせき止めた。
「山村、倒れたって」
〈つづく〉
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