車夫

 車夫は、白骨の体を持っていた。その上に黒っぽい外套がいとうを羽織り、平たい鍋をひっくり返したような大きな帽子をかぶっている。


 貴族の子女でなくとも、その姿を恐ろしく感じるものは多いだろう。

 しかし、ロアールは美しいと思った。まるで車夫の人柄そのもののように、透き通ってつるりと滑らかな白い骨を。ぽっかりと空いた眼窩がんかには、眠りを誘う優しい夜の闇がわだかまっているように見えた。


 ギッ、ギッ、ギッ。

 人力車が進むうち、ロアールの心は、またも涙でいっぱいになり、れ物からあふれた雫が次から次へとこぼれ落ちる。


「お嬢さん、どうして泣いているんだね。この老骨に話してごらん」

 やさしい車夫の問いかけに、涙はいよいよ止まらなくなる。


「私は、悲しくて、悲しくて、悔しくて……!」


 私は、毎日贅沢ぜいたくなパーティーなど開いていません。男爵家の長女として、必要な集まりを選んで参加していました。屋敷でパーティーを開きたがるのは、お義母様と義妹です。彼らは権力を華やかな場で表現しなければ気が済まないのです。

 私は、領地の税を不当に引き上げたりなどしていません。むしろ事あるごとに税率を引き上げたり税目を増やそうとするお義父さまを懸命においさめしました。お義父さまは、権力を蓄財という確実な方法で表現しなければ気が済まないのです。

 私は、敵国の将と通じて、我が国の情報を漏らしてなどいません。気の弱い夫に代わり、前線の情報を取りまとめて王室へ報告し、兵に医薬品を、民に食糧を分配しました。夜は、教会にこもって、領地の安寧を祈りました。敵国の女と情を交わしていたのはむしろ――。

 ある日、私は捕らえられ、身に覚えのない罪への罰として、木にくくられました。集まった民たちの、あの恐ろしい目。みんなが私を「魔女」「売国奴」とののしりました。その意味を正しく知らないであろう幼い子どもさえ。

 数々の言葉とともに、火矢を浴びせられた私は燃え、ゆっくりと人としての形をなくし、煙と化して空へとのぼってゆきました。


 ロアールは、子どものように泣き叫んだ。

「どうして私がこんな目に! 私は悪くない! 私に、どんな罪があるというのですか!」


 ギッ、ギッ、ギッ。

 人力車は止まることなく、霧雨をかき分けて進んでゆく。


「あぁ、今宵も冷たい霧が気持ちよいねぇ。お嬢さん、そうは思わないかい?」

「……えぇ、えぇ、そうですね。冷たく心地良く、甘美でさえありますわ」


 前も後ろも、左も右も、地面にさえ霧が立ち込める宵闇の中、人力車はどこへ進んでいるのか。


 霧雨で涙を洗い流していたロアールは、ふと、停留所の存在に気付く。

 どれも、ロアールが座っていたのと同じおんぼろ停留所で、ふわっと浮かび上がっては、瞬く間に闇の中へ消え去っていく。その停留所にいる、たったひとりの人影とともに。


「彼らも、人力車を待っているのですか?」

「そうです。黄泉よみの国へと運んでくれる、人力車を待っているのです」

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