第4話 家族

 ライアンはハワードという名の家名に違和感を覚えながらもオリオンの近くにいたヴィミを見て「彼も僕と同じ辺境の田舎貴族なんだろうな」と勘違いした。

 植民地の者をメイドにするというのは、帝国国民のメイドを雇えないほど金回りが悪い貴族だと言っているのと同じだった。

 現に、ライアンは貴族でありながらメイドを付けていない。その方が舐められないのだ。


 園舎の中に入ると、教師と思われるローブ姿の女性から九月上旬の入学式の案内が書かれた用紙と学園の地図が手渡された。

 ドラグフィード学園は全寮制であり、寮の中で学ぶ単位もある。


 オリオンとライアンは同じ寮という偶然に運命を感じ、オリオンの馬車で寮に移動した。

 寮に到着すると、目の前に現れた建物は、まるで王立の教育機関、ドンロンスクールの校舎かと錯覚するほどの規模だった。

 三階建ての重厚な造り。外壁は赤褐色のレンガで隙間なく積まれており、雨風にもびくともしない堅牢さを感じさせる。

 壁面を這う蔦が年月を物語り、背後にそびえる尖塔は、まるで歴史そのものがここに根づいているかのようだ。

 扉や窓枠には黒鉄の装飾が施されており、ただの学生寮とは思えないほど威厳に満ちていた。


「貴族の長男として経済学、高度な数学は確実に身に着けないと……」

「なんだ、ライアも長男なのか。俺様もだ」


 オリオンとライアンが入った寮には、主に貴族の長男や政治に関わる大臣の子息が集められていた。

 知識を必要とする職種の者たちばかりかと思いきや、騎士の家系も多く、学問と武術共に精通する者が集まっている。もちろん、女はいない。完全な男子寮だった。


「はぁ……、俺様、もう、やる気なくなっちゃった……」


 一人部屋に通されたオリオンは、ベッドの上で、豚の丸焼きのように手足を持ち上げながら横になっていた。馬車に座りすぎて脚が痺れていたため、血流を良くしようとしているだけだ。

 磨き上げられた床は木目が美しく、天井に取り付けられた魔導式のランプが柔らかな光を灯している。

 机や棚は高級感のある黒檀で統一された格式ある寮にふさわしい、上等な空間。

 だが、そんな部屋の静けさを、オリオンの脱力した姿がすべて台無しにしていた。


 オリオンにとって女がいないというのは、生きるための空気が無いのと同義。

 ヴィミがいるため、窒息は免れているが三年間も息苦しい思いをしなければならないと思うと、億劫である。


「たまにはいい薬ですよ。園舎の方に行けば、教室に女子がいると思います。そうなるためには、寮の試験でいい成績を納めないといけませんね。最悪の場合、園舎の方でも男ばかりのクラスに振り分けられるかもしれませんよ」


 五年以上一緒に生活しているヴィミはオリオンの扱いに慣れていた。これ以上最悪の状態になるかもしれないという危機感が、オリオンの重々しい尻を持ち上げさせ、勉強机に向かわせる。


「勉強するから、あとで膝枕してくれよ」

「はいはい、わかりましたよ」


 オリオンが勉強中、ヴィミは紅茶を淹れ、茶菓子も用意する。彼の勉強に甘い品は必要不可欠だった。砂糖が大量に使われている品は選ばず、紅茶の甘い香りで甘味を誤魔化せるように配慮している。勉強中だと、菓子に意識が向きにくいため、オリオンも許容していた。


 寮に住んでいる教員から渡されたクラス分け試験のテキストをざっと解き終えたオリオンはぱっと見、げっそりとしていた。ふらふらと歩きながらベッドの縁に座るヴィミのもとにより、膝枕に頭を乗せる。いや、ヴィミの股の間に顔を埋めている。


「疲れた……。ちょっと、眠る」

「もう、好きにしてください」


 オリオンはスキル『完全睡眠』によって寝つきがよくなっていた。五分も経たず、眠れる。

 二〇分ほど経った後、自然に目を覚まし、寝返りを打った。視界の半分を遮る大きなヴィミの胸が眼前に広がり、絶景以外の何ものでもない。

 彼女もこくこくと頭を動かしながら目を瞑っていた。同じように馬車に乗って来たのだから、彼女も疲れているのだろうと察する。このまま眠らせておこうと思っていたら、ヴィミが「……父さん、兄さん」と呟きながら目尻に涙を流している姿が視界に入った。


「ヴィミも家族と離れ離れで寂しいのか。そうだろうな、俺様も母様の怒り顔が少々恋しいぞ」


 オリオンはヴィミを自分のベッドに横倒らせ、シーツを肩まで掛ける。


「さて、眠って気分もよくなった。もうちょっとだけ勉強するかな」


 オリオンは勉強机に戻り、解けなかった問題をもう一度解いてみる。すると、自分でも不思議なくらい問題がスラスラと解けた。

 いつも、便器の上にいるのかと思うほど唸っていたが、便器に座った瞬間に自重で排便できた時のような爽快な気分になる。

 勉強を楽しいと思った覚えは一切無いが、出来なかった問題がこうもあっさり解けると気持ちいい感覚があった。

 女が一杯いるクラスに割り振られるためという不純な動機はあれど、サボらずに勉強する当たり、優秀な生徒である。


 ☆☆☆☆


「くっ! これっぽっちでどうやって生活しろって言うんだ! どうして、帝国の奴らは国がこんな状況だってのに、もっと支援してくれないんだ!」


 虎耳を逆立て、鋭い犬歯をむき出しにしながらルークス帝国から送られてきた荷物を船から運びおろす青年が吠える。

 ルークス帝国の植民地になって一〇年近く。バーラト王国はルークス語を話すように指示されている。ただ、まだつたない。


「うるさいぞ、獣風情が。支援物資が届けてもらえるだけありがたいと思え」


 船に乗っていた帝国騎士が、奴隷のように働くバーラト王国の民に言い放つ。すでに慣れた待遇だったが、ルークス帝国の支援に不満を持ったカルティクは叫ばずにはいられなかった。


「こっちは、一日で千人以上死んでるんだよ! 栄養のある食べ物をもっとよこしやがれ!」

「数が減っているなら、その食糧だけでも十分だろう? 何をいら立っているのか、獣の考えは理解できんな」


 騎士はポードンの指示に従い、カルティクの叫びに真面に取り計らわず、食料を移動させたのち、すぐさま帝国に船を戻らせた。疫病が蔓延しているバーラト王国に滞在する予定はなかった。

 港から離れていく戦艦を見ながらカルティクは両手を握りしめる。鋭くとがった爪が手の平に突き刺さり血がしたたり落ちていた。


「糞が。散々取り立て託せしやがって、国が危険に陥ったら捨てるのかよ……」


 カルティクは八年近く前にルークス帝国に売られて行った妹の姿を思い浮かべる。こんなことを思うのはバーラト王国民として最低かもしれないが、妹だけでも病気で死なずに済むのならよかった。

 だが、また会いたい気持ちは胸の中にくすぶっている。死んでいない、直感でわかる。妹は必ず生きている。そう信じて今まで生きて来た。


「……兄ちゃんが、必ず助けてやるからな」

「そこの君、ちょっといいかな?」

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