38話 悪女

 地面に突き刺さったゲイボルグそっくりの黒い槍。


「これは……“魔具”ですか……!?」

「槍がひとりで飛んできたんか!」

「ゲイボルグに妙に似てるぞ!?」


 ノーミアとレイブンとシエル先輩が驚きの声を上げる。


「みんな近寄っちゃだめだ!」

 

 僕に引き倒される形で尻餅をついたノーミアを庇うように、前に出た。

 

 僕の直感が告げている。

 この槍は危険だ。

 

 この槍がゲイボルグと同じなら、きっと遠隔操作が出来るはず。使い手がいなくてもこの槍は戦える。使い手がいないからって、少しの油断も出来ないんだ。


「レイブンさん! シエル先輩! ノーミアを連れて町から逃げるんだ! 今すぐ!」 

「ツキ様は!?」


 ノーミアが立ち上がる気配を背に受けても、振り返らない。僕は槍から目を逸らせない。


「僕は後から追いつく。セレナを連れて」


 僕の言葉に、ノーミアが短く息を呑む気配がした。


「ここに……残るって言うんですか!? ダメです! ツキ様も私たちに一緒に!」

「ノーミア……僕にはわかるんだ。この場所に脅威が集まってる。誰かが残って、脅威を引きつけないときっと逃げられない。そして生き残る可能性が一番高いのは僕だ」

「嫌です! ツキ様を置いていくなんて!」

  

 ノーミアは僕にすがろうとした。だが、レイブンが「あかん!」とノーミアを抱き止める。


「あのツキが判断したんや。ウチらを逃がすには自分がここに残らなあかんってな! それは……ウチら戦士でないもんにはわからん領域の話なんや……指揮官なら、戦士の覚悟をくんでやらんか!」

「汲みたくありません!」

「ドアホ! 撤退を決めたんはノーミア様やろ! 指揮官が自分の決断に従わんでどうするんや!」

「う、うう……でもツキ様がぁ……」


 ノーミア……。泣いてるのか。

 槍と僕がにらみ合っている隙に、セレナがじわじわと後退する。


「ノーミア! レイブンさんの言うとおりなんだ。上手く言葉に出来ないけど、僕はここに残るべきだって本能が言っている。それにセレナには個人的な借りもあるんだ……だから早く行って!」

「ツキ様ぁ……」


 そこへセレナに向かって空中から1本の矢が降ってきて、セレナの足に突き刺さった。


「いた~~~~~~~っ」

  

 矢の痛みにセレナが喘ぐ。

 ノーミアがタスク先輩に狙撃させたのだろう。

 

「タスク様に……セレナの機動力を奪ってもらいました。せめてツキ様が捕らえやすくなるように……」


 タスク先輩の矢は残り少ないとノーミアは言っていた。ノーミアたちが逃げるにも矢は必要だから、おそらくこれ以上の援護射撃は望めないだろう。

 

「ありがとう……みんなの援護、無駄にはしないよ。さあ行くんだ、ノーミア……振り返らずに」

「はい!」

 

 黒い槍が空中に浮き上がった。それは僕の腰あたりの高度で浮遊し、穂先を僕に向けた。瞬間、凄まじい速度の突きが僕に向けて繰り出された。僕は半歩横に移動してその突きを躱す。

 躱しながら、下から掬い上げる軌道で槍を払い柄を絡ませる。擦れ合う槍が金属音を立てる合間に僕は踏みこみ、黒い槍を両手で掴んだ。僕の手から逃れようと、槍が暴れる。


「こいつ、おとなしくしろ!」


 僕は必死で槍を押さえ込む。そうしている間にノーミアたちの気配が遠ざかって行くのがわかった。ずいぶん速い。たぶん、シエル先輩かレイブンがノーミアを背負って走っていったのだ。

 

「ツキ様! 必ず! 必ず追いついてください!」

「ああ! ノーミアも!」 

「はい!」


 ノーミアの返事が遠ざかって行く。


 ふと、もう会えないかもという思いがよぎった。僕は一瞬だけ、後ろを振り返った。遠くにシエル先輩の肩に担がれたノーミアが手を振っているのが見えた。

  

 ノーミア……どうか無事でいてね。

 必ずセレナを連れて追いつくから。

 

「隙あり~!」 


 セレナの声が僕を感傷から引き戻す。

 目の端に、複数の操り人形が僕に向かって石を投げつけてくるのが映った。大きな石が次々に風を切って迫って来ている。いつの間にか準備していたのか。投石の波状攻撃、凄まじい攻撃の密度だ。防ごうにも、今、僕の両手は塞がっている……けど何とかするしかない。


「ゲイボルグ!」


 僕はゲイボルグに念じ、投石攻撃を防がせた。槍は僕の間近で風車のように回転し、次々に迫る投石をはじき返していく。


 しかし敵の手はそれで終わらない、操り人形と化した市民たちが、僕に向かって突進をはじめたのだ。その中には全身が火に包まれている人もいる。

 軽い石ならゲイボルグの回転で弾くことができる。だからより重い人間そのものを矢のように突撃させてきた。それも大量に。操られた生身の人間が僕に向かってなだれ込んでくる。

 

 これをお前に止められるの? 

 

 セレナに、僕の覚悟を問われている気がした。舐めるなよ……僕の手はとっくに汚れてるんだ。


穿うがて!」


 僕は彼らの突進を止めるためにゲイボルグで遠隔操作の突きを放った。その突きには、いつもの非殺傷を目的としたものとは違い、明確な殺意を込めている。

 殺意を込めるだけで槍の技の威力は上がる。高速で繰り出す連続突きが、迫り来る市民の足のつけねに大きな穴を空けていく。穴によって胴体から足が切り放され、バランスを崩した市民が血を吹き出しながら転倒していく。

 失った脚は、聖水の癒しでも元通りにはならないだろう。

 

 ごめんね。でもここまでしないと、君たちを止めることは出来ないんだ。


 心の中で謝罪する。僕はまだ死ぬわけには行かない。ノーミアとまた会うまでは。ノーミアは泣いていたんだ。僕が戻らないと、きっとノーミアの涙は止まらない。

 だから、ごめん。


 ゲイボルグは鋭い突きを繰り出し、その度に敵の足が失われていく。そうして突進してくる敵を16人ほど倒すと、僕に向かってくる者はいなくなっていた。脚を失った敵が、両手で這いずりながら向かってきているが、もう戦闘能力はない。近づかなければ問題はないはずだ。

 

 パチ、パチパチパチ……。


 まばらな拍手が僕に向けられた。拘束から脱出したセレナが男に支えられて立ちあがっていた。操り人形による波状攻撃を僕に向けたのは、脱出の時間を稼ぐためだった。


「さっすがツキ様。罪のない人たちの脚をあっという間に奪っちゃった。かわいそ~」

「セレナ」 

「おかげで私は拘束から逃げられたけど」

  

 セレナを横で支えているのは、セレナの部下。補給隊の男たち。数は5名。その中にルミエールの町で僕と手合わせしたローク・マーシャルの姿もあった。ロークおじさんたちの目は虚ろだ。間違いなく呪水によって操られている。


「さてどうされますか、最強戦士のツキ様? 彼らと戦いますか?」


 補給隊の面々は魔具の継承者ではないが、歴戦の猛者たち。その強さは市民の比ではないだろう。彼らを足止めにして、逃げるつもりか……僕は未だに手の中で暴れる黒い槍を掴んだままだ。こんな状態で、勝てるのか……?


 それに……さっきからキンキンと頭痛が続いている。痛みはどんどん強くなっていて、ほんの一瞬だけど、意識がぼうっとするんだ。まったくうっとうしいな……。


 僕の焦燥を読み取るように、セレナはクスリと笑った。


「ツキ様……あなたがここに残った理由……本能がどうとか言ってたけど、本当は違うよね?」


 ウフッとセレナが吹き出す。


「聖水の原料は聖女の体液……って知ってた? 聖女の体には聖水の原液が流れてるんだ。濃ゆ~いやつがね。ツキ様は私とキスをした。互いの唇が触れるキスを。そして私は呪水の聖女……唾液に呪水の成分を含む。後は言わなくてもわかるよね?」

「それは、僕も……呪水を……」

  

 ドクンと心臓が強く脈打つ。頭痛は激しさを増していく。


「ツキ様、頭が痛いんじゃない? その頭痛は呪水の影響だよ。ツキ様は自分の体の異変に気づいてた。あなたは仲間を逃がすために残ったんじゃない。――仲間を自分の手で殺さないために残ったんだ」

 

 意識が薄れていく……セレナが僕にキスをした理由……呪水のキスで僕を操るためだったのか。

 意識が薄れた一瞬で僕の手の力が抜けた。抑えていた黒い槍が飛び出し、セレナのそばでピタリと停まる。僕はそれを止めることも出来ずぼうっとながめていた。


「『天槍ロンギヌス』……おかげで逃げられた。私を助けに来てくれたの? いい子ね……」


 セレナは黒い槍をひと撫ですると、隣で立つロークおじさんに手渡した。


「ロンギヌス……今はローク・マーシャルの体を借宿としなさい」


 黒い槍……ロンギヌスを握りしめたロークおじさんの瞳に光が宿る。ただし以前の生命力に満ちた光ではなく、邪悪な意思に満ちた光だ。


「セレナ様……これは……? 力が溢れてきますぞ……」 

「おめでとうローク。あなたは魔具継承者になりました。もっともロンギヌスには本来の所有者がいるから、かりそめの力だけどね」

 

 ロークおじさんは「かりそめの魔具継承者か。そりゃあ私らしくていい」と歯茎をむき出しの野性的な笑みを浮かべると、セレナをかばうように前に出て槍を構えた。さすがに隙のない構えだ。他の補給隊メンバーもロークおじさんに続いて武器を構える。

 補給隊5名によるセレナの防御陣が完成した。

 おじさんたちを倒さないと、セレナにはたどり着くことはできない。

 

「ツキ・ランセリア。そろそろ意識を保つ限界が近づいているはずよ。あなたも傀儡になるの。そして私のために働くのよ」 


 頭が痛い……意識が……これが呪水の支配なのか……そうか。もう少ししたら僕の“心”が。


「フフフ。ツキ・ランセリア。一番欲しかった人形が手に入る……墜ちたあなたを見たら、ノーミアちゃんはどう思うかな? 考えただけでゾクゾクする」


 セレナは腕を交差し自分の肩を抱くと、ブルブルと体を震わせた。その顔には薄暗い恍惚こうこつの差す、邪悪な笑いが浮かんでいる。

 

「……そんなに僕が欲しかったのか?」

「は?」

 

 僕が言うとセレナのニヤニヤ笑いが消えた。瞳に怒りの色が灯る。

 

「……キスしたからってうぬぼれないで。私が欲しいのはノーミアちゃんの心よ」


 セレナは、ノーミアのことを嫌いだと思っていたけど、ちがったみたい。

 

「そういうこと……だったらセレナに渡すわけにはいかないな」

「なに? あの子は自分のものだっていう気」


 セレナが片眉をつり上げる。


「ちがう。ノーミアの心はノーミア自身のものだ。誰のものでもない」

「ふん。傀儡の分際で……」

 

 僕はゲイボルグを強く握りしめた。ごめん、ノーミア。僕はたぶん君の所へは帰れない。約束は守れそうもない。


「決めた。ノーミアちゃんの前で見せつけてやるわ。傀儡になったあなたと私が愛し合うところ。きっとノーミアちゃんの心はズタズタになる……うふ」

「させない」

 

 そして僕の体も、僕の心も、僕のものだ。呪水に侵されて、セレナのものになるなんてまっぴらだ。


「僕が、残っているうちに、」


 女の体に宿った男の心……ツキ・ランセリアはもうすぐ消える。僕を長年悩ませた体と心のちぐはぐさが、まさかこんな形でなくなるなんて。

 僕はずっと、自分のことがよくわからなかった。ノーミア、君は僕の心が男だと知って、それでも僕を気味悪がらなかった。僕に使命を与えてくれて、かわいい格好をするのが好きだった“僕”を思い出させてくれた。君と出会えて、僕は僕のことが好きになれた気がする。

 セレナが僕の体を使ってノーミアを傷つけるつもりなら、僕はそれを許さない。

 

「残った僕の全部を使って、セレナ……君を終わらせる」 

 

 僕はゲイボルグを構えた。

 セレナを守る補給隊の面々もいっせいに身構える。


「やれるものならやってみなさい!」


 セレナが口角を吊り上げ獰猛に笑った。時間がない。一撃で、全部を終わらせる必要がある。セレナを守る5人を突破して、セレナを倒す。

 

「やってやる! 僕はツキ・ランセリア。ノーミアを守る槍だ!」


 槍を構えたまま一歩踏み出す。大地を力の限り蹴り上げ、僕はおそらく最後になるであろう技を繰り出した。

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