37話 豹変

 僕はノーミアのことを優しい子だと思っていた。

 そのノーミアが冷酷な一面を見せた。補給隊のメンバーを容赦なく射殺すことを命じた。ノーミアの背負った使命は“戦争を終わらせること”。使命のためならノーミアは、きっといくらでも自分の手を汚す。

 

「セレナちゃん、背中痛そうだね」

「…………」


 セレナは両腕を縛られたまま地面にうつ伏せになっている。右肩には矢が突き刺さっていた。

 

「シエル様、セレナちゃんの矢を抜いてあげて」

  

 ノーミアの呼びかけにシエル先輩は頷いた。シエル先輩がセレナに近寄り、セレナの矢に手を掛けた。が、


「……」


 シエル先輩は引き抜くのを躊躇した。やじりには返しがついているから、簡単には引き抜けない。強引に引き抜けば、セレナは痛い思いをする……シエル先輩はたぶんセレナのことをおもんぱかったのだろう。シエル先輩のためらいは僕の目にも明らかだった。ノーミアが察しないわけがない。

 

「シエル様、乱暴に引き抜いて構いません。聖女は常に癒しの加護を受けていますから、傷はすぐに治ります」

「はっ」


 シエル先輩は頷くと、セレナに刺さった矢を強引に引き抜いた。ノーミアの命令は、人を冷酷にする。先ほどとは打って変わった躊躇のなさだ。たぶんこれも聖女の力の一端なのだろう。


「~~~~~~~~~っ」


 痛かったはずだ。だがセレナは叫び声を上げなかった。だが奥歯の隙間から強い吐息が激しく漏れて、絶叫の代わりをしていた。

 

「痛かったかな? ごめんねセレナちゃん」


 セレナの背中にノーミアが話しかける。その口調はいつもと同じ。友達に対する親しみが籠っているようにすら感じる。


「セレナちゃん。ここじゃ人目につくから、支部でゆっくりお話ししようね?」

「…………」


 投降した補給隊のメンバーは、すでにレイブンが縛り上げていた。レイブンが捕らえた彼らを馬車に放り込んでいく。


「セレナちゃんは私たちと歩いて行こうか。立って」

「…………」 


 セレナは微動だにせず、沈黙を保っていた。


「どうしたの? 立ってよ、セレナちゃん」


 ノーミアが首を傾げる。なんだろう。胸がざわざわするような、この感じ……。

 頭も少し痛いような……。頭の中で何かがキンキンって騒いでるみたい。


 本来静まりかえっていたはずの夜の町は、僕たちが倉庫に突入した騒ぎを聞きつけてざわついていた。住民たちが、倉庫の様子を遠巻きに伺って、人だかりを作っているんだ。倉庫の外には携行用のランタンの明かりがポツポツと見えている。

 人だかりからは「何があったのか、説明してくれ」、「まさか例の闇の聖水が?」などの話し声も聞こえている。


 何か起こりそうな予兆が現実になったのは人だかりの中から「お前どうした。そんなに震えて」という声が聞こえた時だった。


「う、うわああああ~~!!」


 人だかりから絶叫が上がったのだ。


 僕たちはいっせいにそちらの方向を見た。人だかりを形成していた住民のひとりが、他の住民を襲いはじめたのだ。手にしたランタンを振り回し、隣の女の人の頭に叩きつける。するとランタンのガラスが割れて、中のアルコールとローソクが飛び散った。女の人の服にべったりと付着したアルコールに、ローソクの炎が触れた。


「あ、あぎゃ~す!!」


 炎が広がり、女の人の体が火だるまになる。混乱は瞬く間に広がって、人だかりが狂乱に包まれた。


「これは……まさか呪水の操り……? セレナちゃんがやっているの!?」

「……」


 セレナは沈黙している。

 僕の頭の中のキンキンって音もだんだん大きくなっている。頭痛もひどくなってきた。


 ノーミアの表情が青ざめ、余裕が消えた。慌てた足取りでセレナのそばに駆け寄ると肩を掴み、仰向けにひっくり返す。土で汚れたセレナの顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。脳裏に、僕にキスをしたあの時のセレナのがイメージと重なる。

 ノーミアはセレナの胸倉を掴み、上体を起こした。セレナは目を細めてニヤニヤと笑った。


「やられました。すでに住民たちに呪水を飲ませていたんだね」

「そうだよ」

 

 ウフフフ、とセレナは笑いはじめた。


「呪水はね。ほんの少し聖水に混ぜるだけでいいんだ。そうすれば聖水の中で呪いが育っていく。時間が経つにつれてね」

「昼に配った聖水……全部が呪水を含んでいたって言うの」


 アハハハ、とセレナは声を上げて笑いはじめた。


「そういうこと。でも困ってたんだここの町の人は聖水に関心が薄くて、ひとりじゃあんなにたくさんは配れなかった。ノーミアちゃんが手伝ってくれて助かっちゃった」

「セレナ!」

 

 バシッと乾いた音がした。ノーミアの平手がセレナの頬をぶったのだ。


「アハハハ! 怒った? 怒ったんだ! いつものかわい子ぶった余裕はどうしたの!?」

「お前が死ねば、この混乱は止まるの?」

「そう思うならさっさと殺せば?」


 セレナは不敵な表情を崩さないまま、顎をくいっと上げて首を差し出して見せた。


「こいつ……!」

 

 シエル先輩がセレナの喉元に剣の切っ先を突きつける。が、ノーミアが「待って!」とシエル先輩を止めた。


「殺してはダメです」

「しかし……!」

「助けてくれるの? ノーミアちゃん、やっさしい~」


 セレナが悪意に満ちた笑顔で言うと、ノーミアは再び平手を見舞った。「痛ったいなあ~アハハ」とセレナは笑って見せる。ノーミアが怒らせられたことを心底嬉しがっている。

 

「すいません、取り乱しました。おそらく……セレナを殺しても呪水の操作は止まりません。ならば生かして、操られた人を止めるための情報を吐かせたい」


 たぶんノーミアは、ルミエールで廃人になった人たちのことを思っている。セレナを捕らえれば、彼らも元に戻せるかも知れないのだ。

 

「吐くわけないだろ、バ~カ」


 そしてセレナは自分の情報源としての価値をわかっている。「殺せるはずがない」そう確信しているから、挑発的な態度がとれるのだ。

 シエル先輩はセレナを憎々し気に見つめながら突き付けた剣をひっこめた。

 

「しかしノーミア様、こいつの言葉が真実なら多くの住民が呪水で操られることになる。どれだけたくさんの人間が飲んだか……おそらくこの町の人口の半分はくだらない。その規模の人間がいっせいに暴れたら、俺たちだけじゃどうしょうもありませんよ」 


 たしかに町全体規模の操り人形を、僕たちだけで何とかするなんて不可能だ。魔具継承者がいくら強いと言っても限界はある。


「いえ、まだ町の人全員が操られると決まったわけでは……これは私の推測ですが、これまで、呪水に操られた敵はせいぜい10人程度でした。セレナが同時に操れる人間の数には限りがあるのではないでしょうか……?」

「アハ」


 ノーミアが自信なさげに披露した推測を、セレナの短い笑いが即座に否定した。希望的な憶測にすがりかけた僕たちの意識が一瞬で現実に戻る。

 これまでの敵が10人程度の規模だったからと言って、今回もそうとは限らない。これまでは操る人間の数を抑えていただけかもしれない。


「どうしますか、ノーミア様。たぶん、こいつは町の全員を操れますよ!」

「……天使様に聞いてみます」

 

 ノーミアは険しい表情のままどこか遠くを見ていた。きっと天使様に御伺いを立てているのだろう。全知の天使様なら最適な解決方法を提示してくれるはず。しかしノーミアの表情は険しいままだった。


「天使様……今回も何も答えてくださらないのですね」


 ため息を吐くノーミアを見ながらセレナがニヤニヤと笑っていた。 

 

「仕方ありません」


 一瞬の逡巡とともに、ノーミアの目に鋭さが宿った。ノーミアの中で決断が下されたのだ。


「私たちは速やかにこの街を脱出します。できればセレナを連れて」


 ノーミアの下した決断は脱出。町のあちこちから火の手が上がりはじめていた。混乱は確実に広がっている。たしかにこのままだと僕たちもこの混乱に飲み込まれてしまうだろう。だけど……。

 

「でも、町の人たちを見捨てていくの?」


 きれいごととわかっていても、問わずにいられなかった。こんなことノーミアが考慮していないはずがないのに。

 

「ツキ様……この町を救うには私たちは少なすぎます。私とクラウソラスを失なってしまえば、ダルトンとの戦いに勝つこともできなくなる。忸怩じくじたる思いですが、ここは逃げて、終戦の希望を繋がねばなりません」

 

 人がひとり燃えているのに、人だかりはしんと静まりかえっている。異常な事態なのに誰ひとり騒ぐ者がいない……それが異常だった。狂気の伝播は一巡し、次のフェーズに入ったのかも知れない。


 と、その時、人だかりの中から、石が投げられた。拳大の石がノーミアに向かってすごい速さで飛んでくる。


「石が!」


 シエル先輩が剣で石を弾いた。石は次々飛んでくる。どの石もノーミアを狙っていた。シエル先輩に僕も加わり、石を撃ち落とす。


『タスク様……お願いします』


 ノーミアが通信する。と同時にどこかから矢が何本も飛んできて、石を投げようとしているものの頭を貫いていった。石の攻撃が一瞬止んだ。


「タスク様の矢が尽きそうです、急ぎましょう。包囲されてしまう前に」

「せやな。セレナはちょいと気絶してもらうか」


 とレイブンが言ったその時――


 ――この町の片隅から凄まじく鋭い殺意が放たれた。その致命的な殺意はまず空中に放たれ放物線を描いて降下しながらまっすぐにノーミアを目指している。


 シエル先輩もレイブンもノーミアも、それに気づいていない。僕だけが殺意の到来を察知していた。


「ノーミア! レイブン! 危ない!」


 叫びながらノーミアの襟首を背中側から掴み、セレナから引き剥がす。レイブンは僕の声で危機を察知して、その場から跳びずさった。


 直後、ノーミアが立っていた地面に、上空から飛来した物体が突き刺さる。それは白い光沢を帯びた1本の槍……色こそ違うがその槍の形状は僕のよく知っている槍にそっくりだった。


 ゲイボルグ……僕のものとは違う、もうひとつの魔槍が、空から降ってきた。


 


 




 

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