第4話「作戦前夜」
火曜日の夜、裕一は眠れなかった。
明日、僕たちは本当にあの巣を落とすのか——
ちゃぶ台で夕食を食べながら、明日のことばかり考えていた。
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火曜日の朝、学校では誰もが空を見上げていた。
雲が厚くなってきている。天気予報通り、明日は雨になりそうだった。
「本当にやるのか?」
健太が休み時間に僕の席にやってきた。ポケットのビー玉をカチャカチャと鳴らしている。いつもより音が小さく、か細い。
「やるよ」
僕は教科書をめくりながら答えた。でも、手が震えているのが自分でも分かった。箸を持つように教科書を握っても、指先に力が入らない。
「昨日の夜、ずっと考えてたんだ」
健太が小さな声で言った。
「もし失敗したら、どうなるんだろうって」
僕も同じことを考えていた。
もし親ガラスに見つかったら。
もし巣を落とせなかったら。
もし、もし——。
千春が図書室から戻ってきた。いつもより分厚い本を抱えている。
「調べ直してきたの」
千春は席に着くと、本を開いた。
「カラスの
僕たちは千春の周りに集まった。
「カラスは巣を襲われると、三日間は周辺を警戒する。その間に犯人を見つけると……」
千春は一度言葉を切った。
「三倍の勢いで攻撃してくる」
僕は背筋がぞっとした。
「でも、犯人が分からなければ、一週間くらいで諦めるのよ」
「つまり、見つからなければ大丈夫ってことか」
健太が希望を込めて言った。
「そういうこと。だから、作戦は
放課後、僕たちは一人ずつ秘密基地に向かった。
時間をずらして、別々のルートで。まるで本当のスパイみたいに。
防空壕に着くと、すでに芳雄と昭二が来ていた。
「調子はどうだ?」
芳雄がランニングシャツの襟を直しながら聞いた。
「無線機のテストは完璧だ」
昭二が改造したトランジスタラジオを見せた。小さなマイクとイヤホンがついている。
「通話距離は二百メートル。電池も新しいのに替えた」
敏夫と信吾が一緒にやってきた。信吾は大きな軍手をはめている。
「兄ちゃんのより大きいけど、大丈夫」
信吾が
「よし」
芳雄が頷いた。
「明日の作戦を最終確認しよう」
僕たちは地図を囲んだ。駅前の電柱に赤い○印がついている。
「午後四時、駅前集合」
芳雄が指で地図をなぞった。
「健太は商店街の角から、ビー玉で親ガラスの注意を引く」
「分かった」
健太が虎目のビー玉を握った。
「昭二と敏夫は見張り。信吾は緊急時の連絡係」
「裕一と僕で電柱に登る」
最後に千春が口を開いた。
「私も行く」
「え?」
僕たちは千春を見た。
「千春は危険だ。女の子だし……」
芳雄が言いかけると、千春が眼鏡を光らせた。
「女の子だからって、何もできないわけじゃない」
千春の声は普段より強かった。
「それに、カラスの行動を一番よく知ってるのは私よ」
確かにそうだった。千春がいれば、作戦はより確実になる。
「分かった」
芳雄が頷いた。
「でも、絶対に無理はするな」
千春が小さく笑った。
「ありがとう」
僕たちは作戦の細部を詰めた。
集合時間、
一つずつ確認していくと、だんだん現実味を帯びてきた。
明日、本当にやるんだ。
「天気はどうだ?」
敏夫が心配そうに聞いた。
昭二がラジオのスイッチを入れた。
「……明日の天気は曇りのち雨。
「完璧だ」
芳雄が拳を握った。
「雨なら、カラスの動きも鈍くなる」
でも、僕の胸の奥では何かがざわついていた。
本当に大丈夫なんだろうか。
そのとき、敏夫が紙袋から何かを取り出した。
「これ、みんなで分けよう」
「明日のために、
僕たちは笑った。でも、どこか緊張した笑いだった。
ラムネ菓子の甘い味が口の中に広がった。
一瞬だけ、子供の声が防空壕の中に弾けた。
でも、それはすぐに消えた。
明日の戦いを前にした、最後の平和な時間だった。
夕方六時。
僕たちはそれぞれの家に帰っていく。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
いつもの挨拶なのに、今日は特別な響きがあった。
家に帰ると、母が夕飯の支度をしていた。
「お帰り、裕一。今日も遅かったのね」
「友達と遊んでた」
僕はまた嘘をついた。でも、もう慣れてしまった。
母がちゃぶ台の端をそっと拭いた。
でも、今夜はどれも味がしなかった。箸が妙に重く感じた。
「どうしたの? 食欲ないの?」
母が心配そうに僕を見た。
「大丈夫。ちょっと疲れただけ」
父が工場から帰ってきた。夜勤前の短い夕食だ。
「裕一、最近カラスはどうだ?」
「まだいるよ」
「そうか。気をつけろよ」
父は焼き魚をほぐしながら「早く解決するといいな」と
母は「カラスに気をつけてね」と繰り返すけど、僕が明日、どんなことをしようとしているかは知らない。
僕はただ、うなずくしかなかった。
夕食後、僕は自分の部屋に向かった。
机の上には明日の宿題が置いてある。でも、今は勉強する気になれなかった。
窓の外を見ると、雲がさらに厚くなっていた。街灯の光が雲に反射して、空が薄ぼんやりと光っている。
明日は本当に雨になる。
僕はベッドに横になった。でも、目が冴えて眠れない。
明日の作戦のことを何度も頭の中で繰り返した。
午後四時。
駅前集合。
健太のビー玉。
芳雄の登り。
僕の役割。
そして、カラスの反撃。
時計を見ると、夜の十時を過ぎていた。
そのとき、遠くから電話のベルが聞こえた。
誰からだろう。こんな時間に。
廊下に出ると、母が電話に出ていた。
「はい、村田です」
母の声が緊張している。
「え? 敏夫くんが?」
僕は階段の陰から聞き耳を立てた。
「分かりました。すぐに確認します」
母が電話を切った。黒電話の
「お父さん、敏夫くんが熱を出したって」
「そうか。明日は学校を休むのか」
僕は愕然とした。背中が冷たくなった。
敏夫が熱?
明日の作戦はどうなるんだ。
急いで自分の部屋に戻って、窓を開けた。
外は静かだった。でも、どこかから小さな鳴き声が聞こえる。
カラスだ。
まるで僕たちの混乱を知っているかのように。
まるで、作戦を邪魔しようとしているかのように。
僕は窓を閉めた。
布団に潜り込んでも、心臓がドキドキして眠れなかった。息が浅くなっている。
敏夫がいなくても、作戦は決行するのか。
それとも、延期するのか。
でも、延期したら、いつできるんだろう。
もう後戻りはできない。
僕たちは、もう戦士なんだ。
時計の針が十二時を回った。
カチ、カチ、カチ——。
水曜日。
運命の日が、ついに始まった。
あの夜、僕たちの中の何かが変わった。
子供から、戦士へ。
遊びから、現実へ。
そして、もう振り返ることはできなかった。
七人の小さな戦士たちは、ついに運命の日を迎えたのだった。
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