第32話 祟り神の力を
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「澪の力というのは、知っている場所へしか使えないのか?」
風呂上がりの桐吾にいきなり尋ねられ、澪はきょとんとした。桐吾が心配事を抱えているみたいだと思っていたが、それに関係あるのだろうか。
なんだか悩みながら帰宅した桐吾。気になって澪はようすをうかがっていた。長風呂を注意するぐらいに。
帰るなり白玉が邪気をペロペロ舐めていたが、根本の悩みを取り去ることはできないはずだ。澪にできることがあるなら嬉しい。
「私の……消えて、出てくるアレ?」
「そうだ」
「うーんと……知らないところへは行けないんじゃないかしら?」
中空を見つめて澪は考えた。
祟り神というか、幽霊っぽい澪のその挙動は元々が〈愛〉。気になる場所にかけた想いをたどり、そこにあらわれる。
「そうか……」
桐吾はやや残念そうにした。そんな顔をされると澪は悲しい。
「……私、力になれませんか?」
「ああいや、気にするな。ちょっと伯父のことを調べているだけだ」
「伯父さま? あ……桐吾さんが好きになれないと言ってた方」
最初に「祟れ」と言われた相手。そうと気づいて澪は寂しくなった。怒りと向き合うようなことを桐吾はしているのか。それは邪気もたまるだろう。
だが澪のいたわる視線で桐吾は少し楽になる気がした。
(好きになれない、か……嫌いとか憎んでいるとか言わないところが澪らしい)
澪の心のもっとも深いところにあるのは、愛。
そういう人だから手放したくないのだ。澪の人となりは、こうした言葉の端々からよくわかる。
「爺さまにも伝わったのかもな……」
「伯父さまとお爺さまに何かあったの?」
思わず漏らした言葉に澪は首をかしげた。その頭を桐吾はポンポンとする。今は澪も子ども扱いだと抗議しなかった。それより桐吾が心配だし、本当は桐吾にふれられるのが嫌じゃない。桐吾に頼られるぐらい大人になりたくて拗ねていただけだ。
「伯父が仕事で不正をしていると情報があって、調べるよう言われている」
「もしかして本家に行った時……?」
「そうだ」
澪が席を外していた間のこと。詳しい話を桐吾は言わないし、澪は聞かなかった。双方が考えたから。澪に心配かけたくないし、踏み込むのは桐吾に失礼だと。
「証拠を探るのに澪の力が使えたらと……気にするな、俺が自力でやるべきだな」
「ちょーっと待ったぁ!」
明るい少年の声が割り込んだ。白玉だ。ポンと気軽に人の形になった祟り猫を見て桐吾が天井を仰ぐ。
「……なんだ」
「ちっちっち。澪をみくびってもらっちゃ困るよ」
「おまえ今日はしゃべり方おかしいな?」
水干姿だとむしろこれは違和感がある。すると澪が照れ笑いした。
「昼間二人で映画を観てたの」
探偵物だった。現代の人間模様を勉強するために、最近はドラマや映画をたくさん鑑賞するようにしている。
「……それで影響されたのか」
「ふん、別にいいであろ」
白玉の口調が戻った。いちおう恥ずかしかったのかもしれない。
「そんなわけで今の我は名探偵白玉じゃ。証拠探しと聞いちゃあ黙ってはおれぬぞ!」
ふん、とわざとらしく鼻の下をこすり、白玉はニヤリとした。桐吾は面倒くさいと思ったが、「みくびるな」は気になる。澪の力をどうするというのだろう。白玉は平然と言った。
「澪は想いをかけた
「何?」
白玉は説明した。澪が思い描くのは場所だけではない。気になる物のことを考えれば、その置いてある所へだって行けるはずだと。
「思い出せ澪。街道の荷車の上にあらわれたことがあったはずじゃ」
「あ……やったかも」
封じられる前の幽霊時代、気になっていた荷の行方を見に行ってしまったことがある。その荷はもう村から離れた道を進んでいて、気づいた人夫たちが悲鳴をあげて腰を抜かす騒動になった。
「てことは、何か大事な物を配置しておけば澪は知らない場所に行けるのか」
「おそらくは。桐吾は澪に何をさせたい?」
訊かれて桐吾は思いついたことを白状した。
伯父・正親のデスクにはきっとSAKURAホールディングスとのやりとりが保管されている。その中に背任の証拠となるものがあるはずなのだ。
正親は時代錯誤にも専用の役員室を持っていた。桐吾が忍び込めればいいが、もちろん無人のタイミングでは施錠されてしまう。だが澪ならば証拠を確保できるのでは――。
「――と思ったのだが。よく考えれば澪に危険なまねをさせられない。やめておこう」
「え、でも私がお役に立てるならやってみたいです。その伯父さまのこと祟れないかわりに頑張りますよ」
祟れない祟り神・澪は申し出た。桐吾のためならちょっと危ないぐらい、と思ったのだが。
「いや。無理だと思う。澪ひとりでそんな所にあらわれたって、何が証拠なのか判断つかないからな」
「あ――」
もっともな指摘に澪は肩を落とした。中から澪が鍵を開け、桐吾を招き入れる手もなくはない。だがその間に伯父やその秘書が戻ってくる可能性を考えるとやりづらいし、伯父が退勤した後の夜遅くに実行するのは無関係なフロアにいる桐吾が目立ちすぎるだろう。
「別の手を考えるさ。悪かった」
「――我も行こう」
重々しく白玉が口を開いた。
「さすればなんとかなるのではないか?」
「え――白玉? どうするの?」
「ふふん」
きょとんとする澪に向かって、白玉はふてぶてしい笑みを見せた。
✿ ✿
「さて――」
玄関先でコートを羽織った桐吾は、やや緊張の面もちだった。今日は、あの計画の実行の日。
「じゃあ、打ち合わせ通りにな」
「桐吾は何度もしつこいの。我もいるのだから心配無用と言うておろうが」
人間の姿で見送りにきていた白玉はあきれ顔でリビングに引っ込む。しばらく待機になるので猫に戻っているつもりなのだ。
「桐吾さん……」
澪は白玉ほど肝が据わっていない。指示通りうまくできるか不安で、いつものように笑えなかった。
「澪」
心細そうにされて桐吾は腕を伸ばした。頭をポンポンとなでようとし――なんとなくやめた。そっと頬に触れる。知らない場所に〈飛ぶ〉なんて荒業に挑む澪にどうやって報いればいいのだろう。
「すまない。危ないことをやらせて」
「ううん……私、桐吾さんのためなら」
伏し目がちに言う澪への愛おしさがあふれてどうしようもなくなった。桐吾は澪の頭を抱き寄せる。澪が驚いて顔を上げた。
「あ――」
「ありがとう澪」
ささやいた桐吾が髪に頬を寄せた。何かが澪の頭に軽く押しつけられる。澪の心臓がはねた。
(――え。くちづけ?)
息をのみ立ち尽くす澪を放した桐吾のまなざしが甘い。口の端には微笑みが浮かんでいた。
「行ってくる。連絡を入れたら、頼むぞ」
用件のみだが桐吾の声はやわらかく澪を包む。澪は何故かコクと小さくうなずくしかできなかった。
桐吾はドアを開け出ていく。提げた鞄の中には古びた木箱が大切に入れられていた。その箱の中身は――祠に納められていた、あの櫛だ。
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