第27話 澪の力
✿
――――ぽすん。
暗い中、何かやわらかい物の上に澪は座っていた。とてもなじんだ感覚。
(ここは――)
じじ、と軽いモーター音。夜なのにカーテンが開けっぱなしだ。部屋の電気も点いていない。
澪がいるのはいつもの桐吾の部屋。座っているのはソファだった。
「あれ。いきなり……」
窓から入る街灯りで、動くぶんには問題ない。立ち上がった澪は照明のスイッチを入れカーテンを閉めた。
「車に乗ってたのにな」
力を使ってみろと白玉に言われ、やってみた。どうやらできたようだ。
(……ここが、私の帰る家。いちばん行きたい場所)
白玉に言われて無意識に思い浮かべたのは桐吾と暮らす、この部屋だった。
(私そんなに桐吾さんのこと、好きになっていたのね)
そう思ったら泣けてきた。ベソをかいてしまい、笑いながら涙を拭く。
立ったまま誰もいない部屋を見回した。桐吾と、澪と、白玉の匂いがする。
「ふふ」
嬉しくなって澪は笑った。
でも桐吾はどうしているか心配だ。澪はどこに消えたと驚かせただろうか。
「……怒られるかな。ええとじゃあ、この場合ご飯を作るか、お風呂を沸かすか」
ひと足先に帰ってきたのだから、桐吾が喜ぶことをしておいてあげたい。怒られそうになったらそれでごまかす手もあるし。
たぶん料理よりも風呂掃除の方がマシな出来になると判断した澪はさっそく風呂場に向かった。
✿
「――澪ッ!!」
乱暴に玄関を開けた桐吾は室内の灯りを見て崩れ落ちそうになった。猫の姿に戻った白玉を床におろすとリビングに駆け込む。台所にいた澪が満面の笑みで迎えてくれた。
「おかえりなさい――よかった、ちゃんと帰ってきてくれて」
「澪、おまえ――」
「ごめんなさい、私いきなり消えちゃったのよね?」
桐吾目線だとどうだったのか想像し、澪は申し訳なさそうにした。その体を有無を言わせず桐吾は抱き寄せる。これまでにない激しさできつく腕を回され、澪は目をみはった。
「――焦った」
桐吾の声がふるえていた。澪は遠慮がちに腕を伸ばす。桐吾の背をそっと抱き返した。
「桐、吾さ――」
「どこに消えたかと思った。澪」
「はい」
「澪」
「ぁんっ」
繰り返し名を呼ぶ桐吾は、澪の体を確かめる。背をなぞられた澪がビクッと反応しようとおかまいなしだ。ちゃんと澪がそこにいると信じたかった。
だって、もう普通の人間として扱っていた澪。なのにこんな超常現象をやらかすなんて。
「あ、の……くすぐったい」
「澪はなんともなかったのか」
やっと少し体を離した桐吾は不安げに澪の顔をのぞきこんだ。
「うん、別に」
「車から消えて、すぐここに?」
「……たぶん」
「ああ、時間は見てないよな。それにしても」
「うるさいのう!」
あきれ返った白玉の声がした。見ればまた人間になっている。そもそもマンションの駐車場からエレベーターに乗る間、住民と会ってはいけないので猫になっていただけだ。
「我は言うたよな? 澪ならばきっとこの部屋におると」
「そうだが……」
「澪が帰りたい場所など、ここしかあるまい」
澪が消えた助手席を見つめ蒼白になった桐吾に、「さっさと帰れ」と白玉は言ったのだ。きっとマンションに戻っているはずだからと。
だが、そういうことじゃないと桐吾は言いたい。澪の背中をパシパシしながら訴えた。
「こんなの生身の人間だと思うだろう? それが消えたり出たり、納得できるわけあるか!」
「その気持ちはわからんでもない」
生身の猫だったり人間だったり忙しい白玉は真面目くさった顔をした。
「我ながら、質量保存の法則とかどこにいったと思っておる。だが世の中には理屈で計れないことがあるのじゃ」
「祟り猫が開き直るのはやめろ」
普段より桐吾の口が悪かった。本当に動転しているらしい。澪は微笑んで桐吾の胸にポスンと頭突きした。
「うふふ」
「……なんだ」
「ありがとう。そんなに心配してくれたのね。嬉しい」
「いや……そりゃ、な」
胸に押しつけられた澪の頭をポンポンなで、桐吾は少し落ち着いた。どうやら澪は変わらずここに存在するようだ。しばらくぶりに腕におさまった澪の方もなんだか安堵する。
やっと桐吾が黙ったので白玉は伸びをした。一日出掛けていて疲れた。
「いいからさっさと飯にしろ。澪、我のおかげで力に目覚めたのだから今日はアレがよい。チューブタイプの例のブツにせい!」
「まあ白玉、駄目よアレはおやつでしょ! ちゃんと猫缶も食べなさい!」
澪が顔を上げ言い返す。そして、あ、と桐吾を振り向いた。
「お風呂わいてますよ桐吾さん。ご飯は今、炊いてるところ!」
澪の瞳がほめてもらいたそうにキラキラしている。いきなり生活感が戻ってきて、桐吾は乾いた笑いをもらした。
✿ ✿
「おはようございます部長。出張はいかがでしたか?」
地域開発二部へ出勤した桐吾にハキハキと近づいたのは高橋華蓮だ。本当は同行したかったという気持ちをおくびにも出さないのは秘書の鑑。
「――有意義だった」
桐吾の返事は歯切れが悪かった。
現地調査の成果はこれから検討するつもりだ。個人的にも澪という人間をさらに知ることができ満足だった。
だが、祟り神としての力がどうのこうの、は予想外過ぎてぶっちゃけ疲労を感じている。
「……何かありましたか」
「いや。問題ない」
「はあ……申し訳ありませんが、留守中にSAKURA観光開発の桜山守さまよりコンタクトがありました」
それは向日葵のことだった。桐吾が顔をしかめるのも失礼だが、「申し訳ない」と断りを入れてから言う華蓮も相当なもの。上司に完ぺきに寄りそっているところはさすがなのだが。
「合弁事業の件を含め面会を、だそうです」
「……
「そう申し込まれました」
桐吾がしかめ面をする。この頃表情が豊かになったな、と華蓮は思った。表現するのはおもにマイナス方面の感情だけど。
「……なんだろうな」
「しかしお断りするわけには」
「ああもちろん、ちゃんと話す。設定してくれるか」
「わかりました」
一礼して業務に戻っていく華蓮を見送りながら、桐吾は向日葵のことを思い出していた。見合いを断る時に一度会っただけのゴージャス美人。
(悪い人間ではないんだが……確固たる信念がありすぎる感じが、少々扱いづらくてな)
ビジネスの相手としても手強いと思う。さらに見合いして結婚となれば……契約夫婦だったとしても向日葵が家にいるのはくつろげないと思った。個人の感想だが。
(澪はどうしているかな)
現在の〈妻〉のことを考えた。
桐吾にとって好ましい女性というと――やはり澪。それは澪がああいうほんわかタイプだから、なのだろうか。それとも澪ならばガツンと強く出ても魅力的に感じるのか――。
(キリッと意見を言った澪も……よかった)
そんな結論に達する。つまり桐吾は、澪ならばなんでもいいのだ。ふにゃふにゃしていても頑張っていても。突然姿を消してしまうのは本当に困りものだと思うが――。
(そうだ、スマホを持たせよう)
これまで必要性を感じなくて先延ばしにしていたが、こうなると必須事項のような気がする。どこかに飛んでいった澪を迎えに行けないのは致命的だ。神気が足りなくて家に戻れないなんてことがあるかもしれないのだし。
デスクで難しい顔をする冷徹部長・久世。
まさか愛妻のことを考えているとは部下の誰も想像もできなかった。
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