第24話 ふるさとの記憶
✿ ✿
「――ここが峰ヶ根町の中心部だ」
車から降りた澪は、桐吾の言葉にあたりを見回した。
「ここ、が?」
まったく見覚えがなくてぼう然となった。駐車場に立ち尽くす。
晩秋のキリリとした風が澪の髪をなぶった。晴れ渡りドライブ日和だが、少し山に近づいたからか空気が冷たい。桐吾は澪の肩にショールを掛けた。
「――ありがとう」
「いや。驚いただろう。すっかり変わってると思う」
すぐ近くに四角い建物があり、それが町役場だそう。もちろん澪が知らない建物だ。そしてアスファルトにおおわれた道路。町角にはコンビニエンスストア。
――これが今の峰ヶ根。
「ふみぃ」
「白玉……」
ハーネスを着けた白玉が澪の脚にスリスリとしてくれた。なぐさめているのだろう。
「ここ、村のどのあたりかな」
「にゃおぅ」
「白玉もわからない? この道が昔の街道なら……村の中心はもっと北側に寄ってるのかも」
「澪姫の祠と池は北の外れにある」
桐吾が教えた。最初に澪と出会った場所だ。あの日はそちらまで車で近づいたのだった。
「車で行くか?」
「あ――ううん、歩いてみたい」
迷いながら申し出たのには二つの理由があった。村だった場所をきちんと見て確かめたいから。そして――自分が死んだ池にたどり着くまでにちょっとだけ時間がほしいからだ。
(まだ心の準備が)
身投げなんて、我ながらよくできたものだ。今は水面を見ただけで足がすくむだろう。
(あの時……本当に追い詰められていたんだわ)
躊躇なく身をおどらせた気がする。
背に男の怒声を振り切って。ぐにゃりと重い猫の亡骸をかき抱き。暮れかける村の道を走った。思い出す澪の吐息がふるえる。
「みゃう。みゃ」
「澪」
白玉がスカートの裾を引っ張り抱っこをせがんだ。眉をひそめる桐吾も心配そうな目の色――どちらも澪の不安をわかってくれている。
「――うん、だいじょうぶ」
澪は微笑みを返した。でも白玉のことは抱き上げる。胸にぎゅ、として心を落ち着かせる澪に、桐吾は「ベタベタするな」と言わなかった。
(今は猫の姿だし――澪も死に場所を確かめに行くのはつらいだろう。仕方ない)
澪にとってこれは心に刺さった棘のようなものだ。百五十年前にあった、冬悟と白玉と自分の死。いつか受け入れなければ桐吾と一緒に前へ進むことはできないと思う。
だが澪は苦しそうだった。やめた方がよかったかと桐吾は後悔する。せめて、と手を差し出した。
「ほら」
つなげ、と。
これは男女として距離を詰めたり、澪をからかったりではない。ただそばにいると示したかった。
澪はへにゃ、といつもの笑い方をした。白玉を地面におろし桐吾の手を取る。
(桐吾さんがいるもの。怖くない)
今ならどんなに追い詰められた気持ちになっても死んだりしないと思えた。
――だって、隣を桐吾が歩いていてくれるから。
✿
「……この道の曲がり方、見たことあるかも」
やや細く、入り組んだ町並みになっていくと澪はそんなことを言い出した。
「畑中さんのあたりじゃない? 子どもの頃みっちゃんと治郎さんとよく遊んだわ。ほら、ミケちゃんを飼ってたおうち」
「みゃん!」
白玉も目を輝かせる。そのミケとも恋仲だったのかもしれない。桐吾が見回すと近くに「畑中」の表札があった。
「当たりだな」
澪も表札に気づいた。代々暮らしをつなげてきた村人もいると知り、パアッと笑顔になる。ここはやはり澪が生きていた村――の百五十年後なのだ。
「じゃあ私が住んでた家はどうなってるのかしら」
「森沢家は……久世の屋敷になって、昭和までは改築しながらあったはずだ。だが久世の一族がほとんど町を出てしまって取り壊したらしい。敷地の広さを活かして大規模老人ホームになってる」
「ろうじんほーむ」
「……体に不安があるご老人が集まって、生活の手伝いをしてくれる人に見守られながら暮らす場所だ」
「ふうん」
澪はコテンと首をかしげた。よくわからない。
でもきっと、たくさんの人が安心していられるように作られたものなのだろう。家がもうないのは寂しいが、土地が役に立っているならそれでいいのかもしれない。
「どの家も、建て替えられているものね……仕方ないわ」
「見に行くか?」
「……ううん。まず池を確認してもいい?」
「澪が平気なら」
「だいじょうぶ」
変わらないものがあるのなら、それを見てみたい。
記憶の中の村の道と今。重ねて考えながら澪は歩いていった。意外と区画はそのままで、迷うことはない。
「あ――」
確かに池はあった。だがその周囲にはぐるりと金網がめぐらされている。それに岸も改修工事済だ。澪はぐるりとあたりを見回し、道と池とを見比べた。場所は間違っていないと思う。だけど。
「こんな――」
変わり果てたふるさとのようすに澪は言葉もなかった。
身を投げた時のままだったらそれはそれでつらいだろう。だがまったくおもかげを見出せないのも予想外。立ち尽くす澪がいたましくて桐吾はなんとかフォローしようとした。
「フェンスは新しい。人が入れないようにしたのは最近だろうな。こういうところは子どもが落ちたりするから」
「そう――そうね。私みたいに飛び込む人だっていたんだし」
自虐的なことを言って微笑んでみせた澪はフラフラとフェンスにそって歩く。ついて行った桐吾は池のほとりに木製の看板があるのに気づいた。
「あれは……〈澪姫様の伝説〉とあるぞ」
「え?」
二人でフェンス越しにのぞき込んだ。古い看板は、下手すると昭和の頃のものかもしれない。ところどころ消え気味の文字を読んだ。
――当地名主の娘、澪は
「なんか話がちがーう! 夫なんかじゃなかったもん!」
記された内容に本人が異議を申し立てた。ぷぅ、と頬をふくらませて不満げだ。夫のために行動した良妻みたいに書かれているのは、とっても不本意。桐吾は笑いをこらえる。
「ここは久世のお膝元だ。町の実力者を悪しざまに言いにくくてギリギリの表現をしたんだろうな。うちの文書にはもっとあからさまに書いてあったぞ」
「
「ああ。水無月家に伝わってる話を曾祖父がまとめたものだ。郷土史家みたいなものだったんだと思う。会ったことはない人だが」
それを読んだことがあって、桐吾は澪姫伝説も祠の存在も知っていたのだ。
「あれがなきゃ澪の祠に行ってみようなんてしなかった。ひい爺さまのおかげさ」
「へえ……その方がいなければ私は桐吾さんに会えなかったのね」
出会ったことを素直に感謝する澪の言葉で桐吾は心を強くする。澪の過去と向き合うのは桐吾にとっても試練だった。
(俺は澪が欲しい。だが澪の方はどう思っているんだか。契約夫婦なのはわりと気に入ってくれているようだが、死ぬほどの気持ちを交わした相手のことに想いを馳せたら――)
不安を隠すように看板に向き直った。澪が生き、そして死んだ事跡がそこに記されている。やや捏造されてはいるが。
「この池、澪が守っていると思われていたんだな。澪姫なんて呼ばれるようになったわけがわかった」
「……うふふ。ちょっと恥ずかしいかも」
人々が澪を想ってくれていた証拠の碑文。澪は照れ笑いした。
澪は死んでからも峰ヶ根のみんなに愛されていたのだ。
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