斜掛けのアヴリオ

@fusinoge

episode 1./忘路遠思/

「リアー!行くよー!」

「いつでもいいよ。絶対負けないから」

「せーのぉ!最初はグー!じゃん、けん─────ぽん!」

「あっち向いてぇ─────っ!ほいっ!」


─────至福に溶ける顔。指を加えてみているしかない私。

たった今、缶詰の最後の1切れを逃したところで、目の前には噛み締めるように長く咀嚼している

目を細めて、ほっぺたを押さえて。

ゆっくり、嬲るように味わう彼女。

「─────ん。美味しかった」

「良かったね…今度は偶数個のやつが見つかればいいなぁ…」

口を拭って毛繕い。

白い髪の毛が今日もふわふわで可愛らしい彼女はリア・エリア。フルネームだとどうも呼びづらく、今はリア、とだけ呼んでいる。

「エネ、いくよ」

「満足そうにしてくれちゃって」

軽い足取りで先行するリア。

十分な食事とは言い難いものの、英気を養うには何一つ不備はなかった。

だからこそ、最後の一切れの価値がどれほど高いものか。

過ぎたことを気にしても、仕方がないのだけれど。



「大丈夫?眠い?」

共に歩きながら、隣でうとうとしている少女に声をかける。

今にも電池切れを起こしそうなくらい、足取りが重たそうだ。

「おぶろうか?」

「…いい」

満身創痍のリアに問いかけると、小さく拒絶反応を起こした。

「ったくもう」

あれから移動中、胎児に襲撃され負傷したリア。

明らかに無理をしているのに、どうしてそんな強情なのだろうか。

さっきだって、一旦休憩を挟もうかと提案したのだが即座に断られてしまった。

…この子は自分のせいで歩みが止まるって思ったのだろう。

だから何度も痩せ我慢をしてしまっている。

これではまるで私が悪いみたいではないか。

私だってこんな小さな子に無理させる趣味はない。

だのに、リアは想像以上に頑固者で、少しでも迷惑になるかもしれない可能性がある物事は基本しない。

もうちょっと信用してくれたっていいと思うのだ。

自分の意見を全面に出せないってことは、相手の顔色を伺っているってことに変わりは無い。

とほほ、と嘆く私の横で内蔵電源が完全に沈黙しそうな様子を見せる少女。

さすがにいい加減休憩を挟むべきだと判断した。

さて、今日はどの建物で休息を取ろうか。

幸い、周りの建物には胎児は居ない。

「じゃあ、今日の休憩はあそこの大きい建物で取ろうか」

「何、ここ」

「んー、掠れて読めない。ただでさえ、過去の文字は読みづらいのにさ…」

「どーだっていいよ…」

「そんなこと言ったってさ、過去の文字は読めた方がいいんだよ?もう読める人なんていないかもしれないし」

「しらない…もういいから寝ようよ」

「あー、そうね、部屋行こっか」

「はやく…いこ」

建物に入った後、直ぐに雨が降ってきた。

彼女が気だるそうにしていたのも、このせいかもしれない。

確か、猫って気候の変化に敏感だった気がする。

なら納得。

彼女、人型2類/Clikeだし。

出会った時びっくりした。

ほんとに実在するんだなって。

小さい時にちょっとした風の噂で聞いたりしたことがある。それでも、初めて実物を見た際は流石に驚いた。噂は驚く程に特徴を掴んでいたのだ。人とそう大差ない容姿に猫の特徴を併せ持った生き物。それが人型2類/Clike。

相対した当時、彼女の風貌は絶句で口を覆いたくなるほどだった。過去に何があったのか知らないが大変な目にあったのは間違いなさそうで、ボロボロのシャツ1枚に手入れの全く行き届いていないくすんだ白の髪の毛は、彼女の現状をよく表していた。

だが─────、酷く印象に残ったのはそれだけではない。私の存在に気づいた時、彼女の瞳がこちらを向いたのだ。

私は見入った。いや、魅入られた。

絶望に浸っていたのだろう。

輝きは失い、太陽に照らされたとしても光を帯びることの無いくらい、黒かった。だが、炎のゆらめきと水の漣が交互に迫るような潤みを帯びた彼女の瞳はまるで、脆く淡い結晶のように美しかった。

だから─────

「ねえ君、一緒に来る?」

なんて。

私は今まで生きてきた中で、周りに人間が居なかった。

生まれはどこか親が誰かも知らないし、

いつの間にか、独りぼっちで投げ出されていた。


─────1人で生き抜くしか無かった。


頼れる相手が欲しかった。


─────夜は暗く寂しかった。


話せる相手が欲しかった。


─────道は荒く険しかった。


共に歩む相棒が欲しかった。


─────冬は冷たく寒かった。


温め合える相手が欲しかった。

だが、そんなもの望めない。そう思っていた。

それなのに、彼女の瞳を見た瞬間声をかけてしまった。

正直自分でもよく分からない。

完全に無意識下で出た言葉だったから。

─────だから今こうして彼女と一緒に横になっている。

ちなみに、彼女が誘いを承諾して直ぐに水浴びができる場所へと連れていった。

服は保管庫らしき場所から多少拝借して、いい感じになるように着せ、私もそこで服を変えたのだった。

今の私の服装は、黒のトラックジャケットに防水タイツ、

そして赤のスニーカー。

動きやすくて結構お気に入りなのである。

そして、彼女の服についてなのだが、なんと都合のいいことに少女サイズまであったのだ。あの保管庫。

彼女に選んだ服は私と同じ形の、正反対の色。

白を基調にしたものは彼女によく似合う。

「リア、大丈夫…?寒くない?─────もう寝ちゃったか」

目の前で小さな寝息を立てる少女は、整えてあげると天使のように綺麗だった。

くすんでいて尚美しかった白髪は絹のような柔らかみを帯び、肌は白さが際立つ橙色で思った以上に健康的だった。

Clikeだからこそなのか。

それとも彼女が持ちえた優生性からなのか。

未だ分からないことが多い。

…彼女が旅に加入して、早数ヶ月。

今まで色々歩いてきたが、ここの土地にはよく驚かされた。

他の所に比べて、少し小綺麗な建物ばかり。

壁にヒビは入っていていつ崩落するか分からないものばかりではあるのだが、部屋自体はそのまま残っているものが多い。この建物も例に漏れず綺麗な内装をしていた。

憶測なのだが、ここの土地は失戦の舞台にはならなかったのだと思う。

基本、大体の建造物は元の形なんぞ保ってなんていない。不規則に抉れた壁や、骨だけ抜かれてなお不思議とそそり立つ高層物件。触れることすら出来ぬほどに汚染されたものや、消えぬ死による延々の腐敗臭等。外的要因なり、内的要因なり、様々な理由でもはや建物としての面目すら忘れたものしか有り得ないのだ。

だからここに来た時は目を奪われた。

触れられる、倒壊しない、損壊なしの建物は初めて見たからだ。流石に内装は荒れ果てていたのだが、野ざらしにならないだけ百分とマシ。

ドドメの雨に打たれるのは身体的にも、そして精神的にもあまりよろしくない。何より臭い─────。

「今日も降るなぁ…」



閉鎖された土地、郊外。そこは常に曇天。そして毎夜降り続ける腐った雨。全域が腐りきったその域を、人々は腐土地、禁足地。果てや魔界と呼ぶ始末。

古来より、雨は恵をもたらすだのなんだの言われてきたらしいが、この土地に降る雨はアルカリ性がかなり強いらしく、植物が育たないどころか建物の外壁がぬめりを帯びる始末。なんでも、この土地独自で運用されていた液体エネルギーの培養施設があって、その管理人が居なくなったから施設が回らなくなった。そして、回らなくなった施設から、何らかの理由で液体が蒸発、霧散、そして凝縮。その成れの果てがこの土地を常に包み続ける黒雲へと変わったのだとか。黒く染まった強アルカリ性の雨は当たると爛れるし、臭い。周囲は常に腐乱臭で満たされて、死体が転がっているのかと思うくらい。だから、私はこの雨のことが大嫌いだ。

生まれてこの方この空しか知らないのだが、慣れることはないし、慣れたくもない。

「████─────…」

うずくまっていると、幾度となく聞いた耳につく気持ちの悪い呻き声が、辺りに拡がっていることに気がついた。

今も鼻をよぎる臭いに顔を顰め、明日には止んでいることを期待して眠りにつく。



ぺちぺちと顔を叩かれる感触で感覚が戻る。

目を開くと、満足気に鼻を鳴らすリアの姿があった。

とりあえず、起き上がって挨拶をば。

「おはようリア、よく寝れた?」

「久々に」

実際、こうしてゆっくり就寝できたのは本当に久々だ。この数日、まともな場所で睡眠を取れることが少なかったからだ。

昨日も話したと思うが、大体の建物は倒壊して蔦が生えてたり風化して倒壊寸前になってたりする。

だから、野宿になるかそもそも寝ないかのどっちかになっていた。

しかも周りには胎児が彷徨っていた為、安心して休息など取れやしなかった。

そんなの限界が来て当然だと思う。

寧ろよく耐えた方だ。

こんな小さな体で無理をさせてしまったと思うと、少々の責任を感じる。とりあえず、今から出発準備を始めよう。

まず、気持ちよさそうにベッドでごろついてるリアに声をかける。

「リアー」

「なにいー」

彼女らしからぬ朗らかな返事。

明らかに気を抜いているのが丸わかりである。

…それほどリラックスしてくれてるならそれはそれでありがたいことではあるのだが。

「準備しよっか」

「え」

その単語を口にした瞬間、イカ耳になって硬直するリア。

こういう時は、決まって嫌がっている。

その理由はまあよく分かるのだが。

「えじゃなーい。さ、こっちおいで」

身につけているものを全部脱ぎ、彼女の服を剥いでバスルームへ入る。

当然、水道は既に枯れている為、匣に溜めた水をぶちまける。この匣はとある場所からかっぱらって─────、いや、拾ったもので、見た目の割に大量の物質を入れることが出来る。

因みに、食料とかは無理。衣類も一緒。

この匣に保存できるものは、水とか火とか、まあその辺。

この匣1個につき四日分の水が入る。

形は黒色の四角形で手のひらサイズ。

こんな小さなものに、よくそんなに保存することができるんだなと、感動したのはいい思い出だ。

しみじみとしつつ、浴槽に水を貯める。

中身を出す時は、欲しい箇所に投げ入れるだけでいい。

そうすれば、必要な分だけ出してくれるのだ。

「失われたとはいえ、西暦科学って凄かったのね…」

失戦から既に多大な年月が経っている今、大半の西暦文明は霧散してしまったものの、こういう便利なものが残っているとやはり多大な恩恵を賜わることが出来る。

火起こしなんて面倒だったし、大きいタンクに水を入れて代車を引っ張ってくる必要も無くなった。

こうして小さな匣2つだけで済むのは本当に助かるのだ。

侮れぬ。喪失文明。

さて、浴槽に水が溜まったのでまず身体を洗おうと思う。

ということで。

「はーい、おいでー」

小さな身体を抱えてシャワーチェアに腰をかけ、

近くにあった桶で水を掬い、頭からざばー、と流す。

「んやぁぁ…」

冷水が頭からかかる度、嫌がってもがくリア。

この水は飲用でもあるため想像以上に冷えていて、ほんと、氷水レベル。

どうにかして湯を手に入れねばなるまい。

ただ、こうして身体を洗うことが出来るのは何日かに1回のみだ。

冷たいのは嫌だが、身体が綺麗になるのは嬉しい。

だから、冷たかろうがなんだろうが念入りに洗う。

特に、耳は大切なので丁寧に、繊細に、撫でるように。

「あぁぁ〜…」

今度はそれが心地よいのか、完全リラックスモードのリア。

全体重を私に預けてくるため、ちょっと重い。

落ち着いてくれるのはいい事なのだが、もうちょっと耐えてくれるとありがたかった。

「はいじゃあ次ー」

髪の毛を洗っていた手を、小さな身体に回す。

最初に胴、次に胸、腕と順番に撫でてゆく。

敏感な部位を洗う度、こそばゆそうに小さく震える。

足先まで洗い終わり、身体に付着している泡をまたもや冷水で流す。

「冷たぁい…」

とうとう我慢の臨界点に達したのか、愚痴をこぼすリア。

「仕方ないでしょう?がまんがまん」

…とりあえず、入浴は済んだので次は洗濯をしよう。

ここしばらく動きっぱなしなので、着用していた服もだいぶん汚れてしまっている。

大切な一張羅なので、丹精込めて、念入りに。


「リアー、洗濯するから手伝ってー」

冷たい水で散々洗われた彼女は力なくぐでーっと倒れ込んでいる。リアに声をかけると、小さな耳がぴくっと動いてゆっくりとこちらに顔を向けてくる。

長く、綺麗な睫毛と落ち着いた輝きを持つ瞳を静かに閉じ、一言。

「眠い」

「なっ─────」

まことに身勝手極める彼女ではあるが、それもまた猫の遺伝たるや。

仕方ないと思い、一人でざぶざぶと洗いだす。

私の服は黒色なのでそこまで汚れは目立たないからいいのだが、彼女の服はそうもいかない。

丁度いいサイズが白色だけしかなかった故、様々な汚れが目立つ目立つ。

ということで、彼女の服は余計に丁寧に洗う必要がある。

こないだの鎮圧のせいもあってか、なかなかに汚れがひどい。

これは多少大きくても黒色にすべきだったか...とおもう。

しかも。彼女の行動、及び戦闘スタイルがとことん肉弾戦というか、自分の体を行使するために、どれだけ洗っても直ぐに汚れてしまうのだ。

誰に見せるわけでもないのだが、服が汚れたままでいるのは精神衛生上いい影響があるとは到底思えないので、逐一、こうして洗ってあげているわけなのだが。

当の本人はあまり気にしていない様子で、寧ろ洗濯を嫌がる。

なんでも、自分のにおいが消えるのが嫌とかなんとか。

何もそこまで猫っぽくなくても…なんて思ったり。

ただ、私は彼女のそういうところによく助けられている。

遺伝子由来の運動能力の高さにはついつい頼りっきりだ。

だから、こういうところで私が張り切らないと示しがつかない。


─────二人分の洗濯が終わって、屋上に上がって干す。天気は悪いが風は吹いている。昨晩降り注いだ雨のせいで相変わらず地面からは腐乱臭がすごい。

服に嫌な匂いがついてしまうのは嫌だが、悠長に室内で乾くのを待つ時間もない。ここはあと少しで崩れてしまう。

「あぁ神様…私たちに泥を拭う暇をくださいな…」


残念なことに、彼女の白い服に付着した真っ赤な血は結局取れなかった。

服の裾から肩にかけてびっしりとついた血痕は、一つの模様として居残り続けるつもりのようだ。

「とりあえずは─────っんぅ…」

人間、伸ばせる時は体を伸ばすべきなのだと、私は思うのだ。

ある一定の体制をしばらくキープしてた際、体が軋んで動きが悪くなる。

そのとき、こうして手を組んで上に伸ばすと、こうぽきぽきと子気味良い音がなり、疲労や硬さを取り除いてくれるのだ。

腰を捻ったり、体を横に倒すとなお良い。

こんな些細なことで疲れが飛んでいってくれるのだから、ヒトの体ってのは不思議なもんである。


さて、洗濯も終わった。

体も綺麗だ。

そうなれば、次はどうするか。

「昼寝でもするかなぁ」

準備と言うにはかなり緩いと思うかもしれないが、別に彼女が特段そういう人間ってわけじゃない。

ただ人並みに、彼女だって休みたいのだ。

動けば疲れる。起きれば眠くなる。食べなければ腹は減る。

一般人と呼ばれる人間と、何ら遜色はない。

”基本は”の話ではあるが。

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