episode 2./夜暁交叉/

─────さて、彼女の根底にある話をするが、こんな荒廃世界を一人で生き抜いた事のある人間が”普通”であると思うだろうか。

答えは勿論、否である。

今から6年程前、均衡が幾分も前から崩れて消え去ったこの世界では生き残った人間たちと胎児による争いが勃発していた。

大多数の人間たちは捻るように殺されて、今現在、生きている奴らがどれほどいるのか皆目見当もつかない。

10人か、100人か。

はたまた指折り数える必要も無いくらいか。

事実、人間の完全敗北なのである。

そんな最中に彼女もいた。

別に共に争ったりなんてしていないが、人間であるだけで彼女にも危険が及ぶことなど明白だろう。

例外は無い。

彼女も当然のように襲撃されたのだった。

10歩程度歩くだけで5人の胎児とすれ違う程に奴等だらけとなった地上で、人間の女である彼女は最高の獲物であったことにこの上なかったのだろう。

目が合わなくったって四方八方から寄ってくるのだ。

この女を喰い殺しに。

だが、彼女もおいそれと喰われる気など毛頭なかった。

生きるために殺す必要があるのはお互い様。

ならば、やることはただ1つ。


”徹底抗戦。殺しにくるなら殺してやる。”


これが彼女の掲げた信条。生きるために、殺す。

死なない為に。生命を摘み取ると心に決めていた。


実際、胎児と対峙した時の彼女の集中力は人間のそれを遥かに上回る。

静かに、1pmたりともブレは無く、銃口は、壊れた秒針の様に真っ直ぐと先を指し示して、

奴らの頭を穿つ。

彼女の得物は遠い昔、U.S(アメリカ)と呼ばれた国が製作した半自動小銃、M1Garandを前身に造り変えられ、新生したセミオートマチックライフル”MkGarand”。

肝心の構造そのものは前身と大して変わらずロータリーボルトロッキング機構を使用しており、ボルトアクションに匹敵する程高い薬室の閉鎖性もさることながら、自動銃の中でも稀有な命中率を誇っている。

前身が設計されたのは西暦1932年という古代。

木と鋼で造られた暴力の化身は時を駈けることによって「理想」を形作った鋳型に、物の見事に嵌ったのだ。

そして出来たのがMkGarand。

少量のコゼット鉱石を溶かした鋼に混ぜることで今までにないほどの耐久性と威力を兼ね備えたそれは、瞬く間に大きな波を呼んだ。

だが、その鉱石の希少さと、戦争が激化し続ける故にろくな加工期間が取られなかったことから、この銃は世界に10本、あるかないかと言われる代物だった。

当然、彼女の手元に行く頃には失われているか、壊れているかだろう。ならば何故彼女がそれを得物としているのか。

本来、コゼット鉱石で形を作っていたMKGarandだったが、その鉱石のあまりの希少さ、採取の異常なまでの難易度から製造が中止された。

だが、それを機にレプリカも大量に制作されることとなった。

単純にガンマニアに売りさばく予定のもので、実銃として使うにはとてもじゃないが向いていなかった。なぜなら、「一発しか装填不可」であったからだ。

結局、大量に作られたそれは需要も消え、粗大ゴミとして裏路地に大量投棄されていた。

当時彼女は裏路地を拠点にすることが多かったため、偶然その山に出会ったのだ。

たった一発しか装填できない欠陥まみれの得物だが、彼女が心配するにはあまりにも事足りなかった。

彼女はただひたすらに“目が”良かったのだ。

呼吸をするように引き金を引き、撃鉄が落ちる音と共に頭が弾ける。それと同時に走り出し、銃を逆さに"持ち手"で殴り、敵の頭を粉砕した。目を見張るべきは集中力だけでは無い。その身体能力の高さも、彼女が生存できた要因のひとつといえる。離れていれば狙撃、近くにいるなら打撃。

在り来りな戦法で、囲んでいた9人の胎児をあっという間に片付けて、その場を後にする。


そんな彼女の足跡は、一何時も乾くことなどなかった。

─────こうして、これまで散々な日々を過ごしてきたのだから今日一日くらい自堕落に過ごしていたい。

そんな日もたまには良いだろう。

天使様だって目くじら立てずに見逃してくれるはず。

心地よい風に吹かれながら、仰向けに寝転がると、ものの数秒で睡魔が襲ってきた。

どうやら自分で感じるより、身体は疲れていたらしい。

やはり、人間は疲労に慣れてはいけない生き物だと実感するのだった。



「─────エネどこ…」

まだ少し眠たがる目を擦り、その辺にいるはずの彼女を探してみる。

「いないし」

どうやら私が寝ている間にどこかへ行ったらしい。

一体何処へ?

彼女が私を置いていくことなんて絶対に有り得ないはずなのだが。

「たしか、私が寝る時に何か手伝ってって言ってたような」

その後、顎に手を当て頭を回して、捻って、振ってみる。

そうして思い出せたのは、

『 ─────たく』

という2文字だけ。

「『 ─────たく』─────たく、って何?」

思い出せたところでその2文字では、なんの意味もなさない。

しかも、彼女はそれを思い出しただけで力尽きてしまった。

普段あれだけ機敏に動き回る癖に頭を使うことになると5分と持たないとは、少々考えモノではないのだろうか…?

「思い出した。洗濯だ、洗濯」

あれから一刻。ふかふかベッドの上で唸る彼女はついに思い出した。

たった4文字を思い出すためだけにこれだけの時間を要するとは彼女も思っていなかったらしい。

「どこいるんだろ」

彼女個人としては発散もできたし、睡眠も十分とれたのでもうこれ以上の休息は足を止めるだけだと思っている。

一つ満たしたい欲求があるとすれば、それは食欲に他ならない。だが、身体の構造上のためか六日間は断食状態でも活動は続けられる。

Clikeとして生まれてきたことに多少の不満はあるものの、こういうところは大助かりだったりするのだった。

「屋上…?」

ぴくっと耳が動いたかと思うと、彼女は彼女の居場所を察知した。なんでも、かなり上から聞こえた息遣いが彼女の知っているものと一緒だったらしい。

「さて、とぉ─────」

両手を組んで天に伸ばし、怠けた体に動力を流し込む。

小気味いい音が弾け、背骨の硬直がだんだんとほぐれてゆく。

交合とはまた違った快感が頭の先からかかとまで行き渡り、眠りこけた身体は完全に覚醒した。

身体は屈め、前腕は地面へ。

腰は低く保ち、曲がった膝に力を込める。

そう、これは名前の通り、“四足”。

四足類との混血がソレたり得る所以の構え。

100メートル走者等が愛用する構え、クラウチング。

その前身、スタートダッシュの始祖。

下半身に力が行き渡り、耳をすませば繊維の張る音が聞こえ、彼女の耳と尾が軽く逆立つ。

準備は、整った。

「─────ん」

引き金を引いて撃鉄が落ちるように、彼女の言葉で身体が弾けるように駆け出す。

十三段はあるだろう階段を、たった一度の跳躍で上がり切り、はてや壁に突っ込まんとする勢いのまま身体を捻り、軸を変えて壁に着地する。

身体が床につく前に、今一度足に力を入れて跳躍する。

その際、背後から少しばかり不穏な音が聞こえたが、まあ、些細なことだろう。

そうして、跳躍、捻り、跳躍を繰り返し、ものの十数秒で屋上の扉までたどり着いていた。

錆びついた鉄の扉を開け、この建物で最もソラへ近い場所へと身を移す。

そうして、少女はとても信じられないほどの光景を目にしたのだった。

「わ─────はぁ…」

汚染された雲で天蓋は塞がれていたはずだった。

それが、今は少したりともない。

あるのは─────、視界に無限と広がる琥珀と、相打つように伸びてくる黎明の青。

その中心点。

弾き合うかに見えたその空は、二つ手を取り混ざり合い、紫になって1本。この世界を区切るように長く、永く。

世界の眠りとその揺り籠は、その中心で一つ、小さな星を輝かせる。

それを中心に、ちかちかと点灯しだす大きなキャンバスに飾られたイルミネーション。

赤だったり、青だったり、緑だったり。

いつかの幸せな記憶を燃料に、各々が宵闇を唄いだす。

そして、酷く火照った星を冷ますかのように、帳が降りてあたりは静寂に包まれた。

先程まで温かかった風は寒気を帯び、生き物の時間は終わりだと告げている。

このまま、外にいるとまずい。

「ね、起きて」

できるだけ耳元に寄り、数ミリ近づけば唇が触れるというところで囁くように、擽るように声をかける。

その声は吐息のように、ほんのり温かさを交えて耳へと届いて─────

「─────、寝てた。もう夜じゃん」

声に呼応するかのように、体がぴくんと跳ねた。

眠い目を擦り、ゆっくりと身を起こす。

「リアはいつからここに?」

「星が出る前から。」

紫色の空を眺めてたんだ。

なんて緩く笑って抱きついてくる。

恋人同士が再会した時のように、優しく、柔らかい抱擁を返し、告げた。

「ご飯食べて、今度こそ、出発準備だ」

「さんせーーい」

ゆるゆるな言葉で返事をし、干してあったジャケットを着て階段へと戻るリア。その後を追うように干したもの全てを取り、同じく階段へと向かう。

扉を閉める前に、もう一度空を見上げ、ほう、とため息をついた。

それは辟易か、それとも情景か。

自分でもよく分からない気持ちに燻ぶりながら鉄の階段を降りていった。

彼女に先程言った通り、夕餉を取ろうと思う。

缶詰は既に消費しきってしまって、手元にあるのは襲ってきた胎児の死骸だけ。

今日は何を食べようか、なんて選り好みできる状況ではないが、せめて箇所だけは選びたいものである。

「リア、お肉何がいい?」

「腕がいい。ほかのとこはちょっと、臭い」

「あー、確かにね。独特の臭みがあるかも。うん、わかった」

要望通り、もぎ取って彼女に手渡した。

こいつらの体は機能を失うと考えられないくらいに脆くなる。

私なんかでも簡単に千切れる程度には。

この世界は自然に戻ったわけじゃない。

生き物が生存するための条件が備わっていない、未来が閉じた世界であり、動物なんて上等なもんは生きちゃいない。

「相変わらず、変な味。のほうがよっぽどいい」

「しょうがないよ、だってあいつら、普通食べ ないし」

「─────ぅむ」

会話をしながら、血の滴る腕に噛みつき貪る。

こいつらの体は決しておいしくはないものの、肉と水分を同時に摂取できる優れものだ。

「ねー、リア、知ってる?大昔は、“うし”っていう生き物がいたんだって」

「“うし”?なにそれ」

「これの何倍もおいしいんだって。この本に書いてあったんだ」


そう言って取り出したのは、図鑑のようなもの。

なんでも、西暦以前に作られたものなんだとか。

「なにそれ。古すぎてなんて書いてんのかわかんない」

「私もさっぱりなんだけど、これが大昔の生き物たちを載せてるっていうのはわかったよ」

「ふーん」

興味があるのかないのか、生返事でひたすらに血を啜っているリア。

その食べ方は多少動物的ではあるものの、なかなかに綺麗な食べ方であった。

よくよく考えてみると、彼女は戦闘時以外では基本的に汚れることはない。育ちがいいとかそういう概念は既に消えてしまっているが、そう言わざる得ない程に気品を漂わせ、どことなく艶っぽさを醸し出している。

これは多分潜在的なものなんだろう、と思ったり思わなかったりする彼女であった。


小型のものとはいえ、胎児をまるまるひとつを食べ切るのには時間を要した。

しかも、リアは選り好みをするため私に回ってくるのはだいたい本気でマズイところなのだ。

生きるためには仕方ないのだが、出来ればこんなもん食べたくない、と私は思う。

特に目玉と脳髄は最悪だ。咀嚼すればするほど、口内に悶絶するほどの風味が広がる。例えるなら、腐った肉。

昔はこれもなんとも思わなかったのだが、缶詰という食べ物に出会ってからはこれが死ぬ程不味いということを知ってしまったため、大分堪えるようになってしまった。

まあ、それでも食べなきゃ死ぬので食べるのだが。

「あー…気持ち悪い…」

先ほどの内容物が出てきそうなほどに最悪な後味に咽きながら荷物をしょう。

これと言って大きな荷物はないが、得物と箱だけは忘れないようにしなければならない。

それ以外のものは無くなって困るほどではないが、あると便利なのでとりあえずバッグに詰め込んだ。

「別に無理する必要ないのに」

比較的悪くない部位だけ選んでいたリアはそんなこと知らないというように、持ち前の持論を展開する。

「勿体ないでしょう…あれでも栄養源なんだから…」

「ふーん」

流石に支障をきたしそうなので軽く口をゆすいで気を取り直す。

未だ残り香はしているが、先ほどより幾分かはマシだ。

「さて─────、いこうか」

休息はがっぷり2日、ここしばらくの疲れは取れた。

ヒビの入った白い部屋を後にし、一歩ずつ確実に廃れた階段を下ってゆく。

一面が白で囲まれている壁に囲まれる中、錆びてオレンジ色になった螺旋階段は異様な光景のようにみてとれる。

階層と階層の間には踊り場があり、ステンドグラス越しに入ってくる月明かりは七色に変化して、向かいの壁で混ざっている。

七色も混ざると黒色になる、なんてのは無く、ただひたすらにそれぞれがそれぞれの色を押し付けあっていた。

「綺麗…」

実のところ、私は色が好きだ。

鮮やかなものだけじゃなく、薄汚れているもの、穢れを体現したもの。

一般的に言えば“汚い”とされる色も。

どんな色彩であれ、どんな汚色でさえ、大好きだ。

「ねえ、早く行こうよ。いつまでそれ眺めてるつもり」

「…あ、ごめん。ついつい見入っちゃってた。いやー、あんなにきれいな硝子は初めて見たからさ」

「たしかに、そうかも。こういうの、今までは見たことなかったし」

「うん、あ、ちょっと待って。これ、記しておかなきゃ。いつでも見返せるように」

手のひらより少し大きいであろう手帳を取り出し、背表紙についた色鉛筆で描く。

薄紅、藍、蒼、薄紫。

深い緑に青。

そして黄色。

全体的に淡い印象を覚えるモノを、手にあるもので再現してゆく。

重ねて、こすって、縁取る。

指先に集中し、ひたすらに完成度を求めること数分─────

「─────よし、できた」

我ながらいい出来だと思う。

ついでに、これで二冊目の手帳が埋まってしまった。

とある書店のなれの果てで見つけた手帳のストックはあと五つはあるので、今のところは補充を気にしなくても大丈夫だ。

「リア、おまた─────」

隣にいたはずの少女の姿はとっくに無く、代わりに建物の外からは鈍く響く、衝撃音が鳴り響いていた。

「あー…、暇だったんだ」

相方がお絵描きに夢中になっている間、暇を持て余した彼女は先に降りて無益な殺生を繰り返していたらしい。

できるだけ急いでフロントへと戻り、扉が外れただの枠組みとなった入口から外を見ると、遊ぶように、一人ずつ捻り殺しているリアの姿があった。

一人、また一人と殺していくたびに胎児がわらわらと集まってくる。

それらの頭の上を乗り継ぎ、跳ね回るようにして首をねじったり捥いだりしているが、もうそろそろやめにしてほしい。

鉄臭いし、うるさい。ので─────


「─────ほいっ」


ピンを抜き、振りかぶって投げる。

“ソレ”は綺麗に奴らの中心に落ち、それと同時に頭蓋を踏み割りながら、高く、高く彼女は飛翔し

た。

そして、落ちたものは外装を破る様に、大きく爆ぜた。

「…なんか言ってよ。それ危ないんだから」

空に舞ったリアは文句を垂れながら、真横に着地した。

夜空に巻きあがる血肉と爆煙。

過去にはいろんな娯楽があるらしいが、これに勝る快感はそうあるまい。

「よし。いい景気づけになったね。じゃあ、行こう!」

「…。あれ耳に響くからやめてよね……」

血の海と化した地面の上を渡り、少し離れて手カメラ越しにホテルを見返す。

白く廃れた外観は、巻き上げられた血肉、臓物によって彩られていた。

出来栄えに満足を覚え、踵の向きを変える。

次はどこへ向かおうか。

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