第28話『救済』



 化け物が消滅してから一週間後、私は意外な場所にいた。


 精神病院の面会室だった。


 そこで、神さまごっこの元信者たちと対面していた。


 彼らは東京タワー事件の後、精神的ショックで入院していたのだ。


 正気を取り戻した代償として、深刻な罪悪感に苛まれていた。


 最初に会ったのは、松本元教祖だった。


 70歳の老人は、一週間で10歳も老け込んでいた。


 白髪は抜け落ち、目は虚ろで、手は絶えず震えていた。


「如月さん」松本は掠れ声で言った。「私は何をしていたのでしょう」


「覚えてるの?」私は尋ねた。


「全部です」松本は頭を抱えた。「あの化け物に操られて、たくさんの人を騙した」


 松本は泣き始めた。


 70歳の老人が、子供のように泣いている。


「神だと思っていました」松本は嗚咽を漏らした。「本当に神だと」


「でも、違った」


「化け物でした」


 私は松本を見つめた。


 この老人も、ある意味では被害者だった。


 化け物に操られて、悪事を働かされたのだから。


 でも、それで罪が消えるわけではない。


「松本さん」私は冷静に言った。「あなたには責任がある」


「責任?」松本は顔を上げた。


「騙されたとしても、あなたが人を騙したのは事実」


 松本は言葉を失った。


「神に許しを求めても意味がない」私は続けた。


「神なんていないから」


「じゃあ」松本は震え声で尋ねた。「どうすればいいのですか」


「自分で責任を取って」私は答えた。


「どうやって?」


「それも自分で考えて」


 私は立ち上がった。


 松本はまだ泣いていた。


 でも、もう同情する気にはなれなかった。


 彼は自分の罪と向き合わなければならないのだ。


 次に会ったのは、若い女性信者の田中だった。


 彼女は25歳のOLで、恋人に振られた後に教団に入信していた。


「私」田中は震えながら言った。「友達を勧誘してしまいました」


「友達?」


「大学時代の親友です」田中は涙を流した。「彼女も教団に入って、おかしくなって」


「今はどうしてるの?」


「自殺しました」田中は絞り出すように答えた。


 私は息を呑んだ。


 また新たな犠牲者がいたのだ。


「私が殺したようなものです」田中は自分を責めた。


「神様、どうすれば許してもらえるでしょうか」


「神に許してもらう必要はない」私は厳しく言った。


「神なんていないから」


「でも」田中は混乱した。「じゃあ、誰に許してもらえば」


「誰にも許してもらえない」私は断言した。


「許されない罪というものがある」


 田中は絶望的な表情になった。


「なら、死ぬしか」


「死んでも解決しない」私は遮った。


「死んだら責任を取れなくなる」


「じゃあ、どうすれば」


「生きて償って」私は答えた。


「一生かけて」


 田中は泣き崩れた。


 でも、私は慰めなかった。


 彼女は現実と向き合わなければならないのだ。


 次々と元信者たちと面会した。


 みんな、同じような状態だった。


 深い罪悪感に苛まれ、神に救いを求めている。


 でも、私は誰にも宗教的救済を与えなかった。


 神はいない。


 救済もない。


 あるのは、自分自身の責任だけ。


 そう告げ続けた。


 元信者たちは絶望した。


 でも、それが現実だった。


 甘い幻想で現実を糊塗しても、何も解決しないのだ。


 最後に会ったのは、元信者の代表格だった佐々木だった。


 東京タワーで私に襲いかかった男だった。


「如月さん」佐々木は私を見つめた。


 その目には、もう狂気はなかった。


 ただ、深い絶望があるだけだった。


「私たちは、どうすればいいのでしょう」


「どうしたいの?」私は逆に尋ねた。


「償いたいです」佐々木は答えた。


「でも、方法がわからない」


「なら、一緒に考えましょう」私は提案した。


 佐々木は驚いた。


「一緒に?」


「そうよ」私は頷いた。


「あなたたちは被害者でもあるから」


 私は病院の会議室に、元信者たち10人を集めた。


 みんな、憔悴しきった表情だった。


「皆さん」私は立ち上がった。


「今日は、これからのことを話し合いましょう」


 元信者たちは不安そうに私を見つめた。


「まず、現実を確認します」私は続けた。


「神はいません」


「化け物もいません」


「あるのは、皆さんが犯した罪だけです」


 元信者たちは俯いた。


「でも」私は声を強くした。


「罪は償えます」


「どうやって?」佐々木が尋ねた。


「被害者の家族に謝罪して」私は答えた。


「そして、同じことが起こらないように活動して」


「活動?」


「宗教的詐欺の啓発活動です」私は説明した。


「皆さんの体験を話して、他の人が騙されないようにするんです」


 元信者たちは顔を見合わせた。


「でも」田中が口を開いた。


「私たちが話しても、信用してもらえるでしょうか」


「信用してもらえなくても構わない」私は答えた。


「大切なのは、話し続けることです」


「たとえ一人でも救えれば、それで十分です」


 元信者たちは考え込んだ。


「如月さん」松本が手を上げた。


「私たちは、本当に救われるのでしょうか」


「救われません」私は即答した。


 元信者たちが驚いた。


「救済なんてありません」私は続けた。


「あるのは、前に進むことだけです」


「前に進む?」


「そうです」私は頷いた。


「過去は変えられないけど、未来は変えられます」


「皆さんが変わることで、未来を変えるんです」


 元信者たちは長い間沈黙した。


 ついに、佐々木が口を開いた。


「わかりました」


「やってみます」


 他の元信者たちも、一人ずつ頷いた。


 みんな、覚悟を決めたようだった。


 でも、その時、病院の窓の外が急に暗くなった。


 昼間だったのに、夜のように真っ暗になったのだ。


 そして、窓ガラスに不気味な影が映った。


 化け物の影だった。


「まだいたの?」私は呟いた。


 化け物の声が聞こえてきた。


「我は永遠だ」


「完全には消えない」


 私は立ち上がった。


 やはり、化け物は完全には消滅していなかったのだ。


「皆さん、外に出ないで」私は元信者たちに言った。


 でも、元信者たちは恐怖で動けないでいた。


 化け物の影響が、まだ残っているのだろう。


 窓ガラスが割れて、黒い煙が部屋に侵入してきた。


 煙は人の形を取り、化け物の姿になった。


「久しぶりだな、沙羅」化け物は嘲笑った。


「まだ生きていたのか」


「当然よ」私は答えた。


「あなたを完全に消すまでは死ねない」


「完全に消す?」化け物は笑った。


「不可能だ」


「人間が神を求める限り、我は蘇る」


 化け物は元信者たちを指差した。


「見ろ」


「この者どもは、また我を求めている」


 確かに、元信者たちは恐怖で化け物を見つめていた。


 その目には、再び狂信的な光があった。


「神様」松本が呟いた。


「やはり神様は存在したのですね」


「違う」私は叫んだ。


「あれは神じゃない」


 でも、元信者たちは聞いていなかった。


 化け物の存在そのものが、彼らにとっては神の証明だったのだ。


「そうだ」化け物は満足そうに言った。


「我こそが神だ」


 元信者たちが一斉に跪いた。


 再び化け物を崇拝し始めたのだ。


「やめて」私は必死に止めようとした。


 でも、元信者たちは聞く耳を持たなかった。


 化け物の力が、再び強くなっていく。


 このままでは、全てが元に戻ってしまう。


 私は自分の力を使おうとした。


 でも、今度は力が出てこなかった。


 なぜだろう。


 その時、頭の中に声が響いた。


 母の声だった。


「沙羅、一人で戦おうとしてはダメ」


 母の声で、私は理解した。


 この戦いは、私一人のものではないのだ。


 元信者たちと一緒に戦わなければならないのだ。


「皆さん」私は元信者たちに呼びかけた。


「思い出して」


「あなたたちが騙されていたことを」


 でも、元信者たちは化け物に夢中だった。


 私は別の方法を試した。


「田中さん」私は田中に向かって言った。


「あなたの友達を思い出して」


「自殺した友達を」


 田中の動きが止まった。


「その友達は、なぜ死んだの?」私は続けた。


「この化け物に騙されたからでしょ?」


 田中の目に、涙が浮かんだ。


「松本さん」私は松本に向かった。


「あなたが騙した人たちを思い出して」


「その人たちは、どうなったの?」


 松本も動きを止めた。


 私は一人ずつ、元信者たちに語りかけた。


 彼らが忘れかけていた現実を、思い出させた。


 ついに、佐々木が立ち上がった。


「違う」佐々木は化け物を睨んだ。


「お前は神じゃない」


「詐欺師だ」


 他の元信者たちも、次々と立ち上がった。


「私たちは騙されない」田中が言った。


「もう二度と」松本が続けた。


 元信者たち全員が、化け物に向かって叫んだ。


「消えろ!」


 その瞬間、化け物の力が急速に弱くなった。


 元信者たちの集団的な拒絶が、化け物を追い詰めているのだ。


「馬鹿な」化け物は困惑した。


「なぜ我を拒絶する」


「騙されていたからよ」私は答えた。


「でも、もう騙されない」


 化け物は最後の力を振り絞って、部屋全体を異空間に変えた。


 壁が消え、床が宙に浮き、現実と幻想が混在する迷宮になった。


 でも、私たちは動じなかった。


 これも化け物の最後の悪あがきだと理解していたからだ。


「現実に戻りなさい」私は命令した。


 すると、異空間が崩れ始めた。


 迷宮が元の病院の会議室に戻っていく。


 そして、化け物も完全に消滅した。


 今度こそ、本当に消えたのだ。


 会議室に静寂が戻った。


 元信者たちは、疲れ果てて椅子に座り込んだ。


 でも、その表情には安堵があった。


「終わったのですね」佐々木が呟いた。


「ええ」私は頷いた。


「今度こそ、本当に終わった」


 元信者たちは、お互いを見つめ合った。


 そして、一人ずつ微笑み始めた。


 初めて見る、本当の笑顔だった。


 神に依存しない、自分たちだけの笑顔だった。


「これからが始まりですね」田中が言った。


「そうね」私は答えた。


「長い道のりになるけど」


「でも、一人じゃない」松本が続けた。


「みんなで歩いていこう」


 私は窓の外を見た。


 空には青空が広がっていた。


 美しい、希望に満ちた空だった。


 私たちの新しい人生も、この空のように美しくなるだろうか。


 わからない。


 でも、歩き続けることはできる。


 神に頼らずに、自分たちの足で。


 それだけで十分だった。


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