第27話『神殺し』



 最後の破片は、想像を絶する場所にあった。


 東京タワーの展望台だった。


 元信者の田所から得た情報によると、教団の最高幹部がそこで「最終儀式」を行うという。


 残った全ての破片を一つに集めて、石像を完全復活させるつもりなのだ。


 私は夜中に東京タワーに向かった。


 協力者の元信者たちは、警察への通報を任せた。


 でも、最終的な戦いは私一人でやらなければならない。


 これは私の宿命だった。


 展望台に上がると、そこには想像通りの光景があった。


 約50人の信者が円形に座り、中央には石像の破片が集められている。


 破片は赤く光り、まるで心臓のように脈打っていた。


 そして、その前に一人の老人が立っていた。


 教団の教祖、松本聖一だった。


「如月沙羅」松本は振り返った。「よく来てくれました」


 松本は70歳ほどの老人だが、その目には若々しい狂気があった。


「あなたを待っていました」松本は微笑んだ。


「待っていた?」


「そうです」松本は頷いた。「神の最後の試練のために」


 松本は破片を指差した。


「もうすぐ神が完全復活されます」


 確かに、破片から強烈なエネルギーが放出されていた。


 空気が振動し、不気味な唸り声が聞こえてくる。


「でも、最後に一つだけやることがあります」松本は私を見つめた。


「神殺しの処刑です」


 私は身構えた。


 やはり、罠だったのだ。


「神殺し?」


「そうです」松本は説明した。「あなたは神を殺そうとしている」


「だから、神の復活の前に、あなたを処刑しなければならないのです」


 信者たちが一斉に立ち上がった。


 全員が私を囲んでいる。


 逃げ場はなかった。


 でも、その時、破片から声が聞こえてきた。


 石像の声だった。


「待て」


 信者たちが動きを止めた。


 破片から青白い光が立ち上り、それが人の形を取った。


 半透明の人影だった。


 石像の霊体のような存在だった。


「沙羅」霊体は私の名前を呼んだ。


「久しぶりだな」


 私は恐怖した。


 石像は本当に復活しつつあるのだ。


「お前には感謝している」霊体は続けた。


「感謝?」


「お前のお陰で、我は物質的な制約から解放された」霊体は説明した。


「石像という重い体から、自由な霊体になることができた」


 私は理解した。


 石像を破壊したことは、敵にとって都合の良いことだったのだ。


「お前は我の解放者だ」霊体は私に近づいてきた。


「だから、特別な扱いをしてやろう」


「特別な扱い?」


「我の花嫁になれ」霊体は手を差し出した。


 私は身震いした。


 この化け物の花嫁になれというのか。


「断る」私は即答した。


「断る?」霊体は首をかしげた。「なぜだ?」


「あなたは神じゃない」私は言った。「ただの寄生虫よ」


 霊体の表情が変わった。


 優しげな笑顔が、邪悪な怒りに変わった。


「寄生虫だと?」


「そうよ」私は続けた。「人間の信仰心を食べて生きてる寄生虫」


 霊体は怒りで震えていた。


 でも、すぐに表情を変えた。


 今度は慈愛に満ちた聖母の顔になった。


「沙羅」優しい女性の声で話しかけてきた。「あなたは疲れているのね」


 その顔は、私の母に似ていた。


 母の生前の優しい表情だった。


「お母さん?」私は思わず呟いた。


「そうよ、沙羅」偽の母が微笑んだ。「私よ」


「でも、お母さんは死んだ」


「魂は生きているわ」偽の母は手を伸ばした。「神の国で待ってるの」


 私は動揺した。


 母に会いたいという気持ちが強くなってくる。


「一緒に来て」偽の母は続けた。「神の国で永遠に一緒にいましょう」


 私は一歩、偽の母に近づいた。


 でも、その時、頭の中に別の声が響いた。


 本物の母の声だった。


「騙されちゃダメ」


 私は立ち止まった。


 偽の母の顔をよく見ると、微細な違いがあった。


 目の奥に、邪悪な光があった。


「あなたは母じゃない」私は言った。


 偽の母の表情が崩れた。


 そして、また別の姿に変わった。


 今度は威厳のある男性の姿だった。


 白いローブを着て、後光が差している。


 いかにも「神」らしい姿だった。


「沙羅よ」威厳のある声で話しかけてきた。


「我は汝を愛している」


「愛してる?」


「そうだ」偽の神は頷いた。「汝は我が最愛の娘だ」


「だから救ってやりたい」


 偽の神は私の罪悪感を刺激してきた。


「汝は多くの人を死なせた」


「でも、我を信じれば赦される」


「全ての罪から解放される」


 私は心が揺らいだ。


 確かに、私には罪がある。


 友人たちを救えなかった罪が。


 でも、その時、母の遺した手紙の内容を思い出した。


 「宗教は人を救うこともあるが、同時に人を破滅させることもある。大切なのは自分で考え、自分で選ぶこと」


 母の言葉が、私を正気に戻した。


「私は自分で考える」私は偽の神に言った。


「そして、自分で選ぶ」


「何を選ぶ?」偽の神は尋ねた。


「あなたを拒絶することを」私は断言した。


 偽の神の表情が歪んだ。


 そして、本来の姿に戻った。


 異形の化け物の姿に。


「愚かな」化け物は吐き捨てた。


「我を拒絶すれば、一生苦しむことになるぞ」


「苦しんでもいい」私は答えた。


「それが人間として生きるということだから」


 化け物は激怒した。


「ならば力づくでも我を信じさせてやる」


 化け物は私に向かって赤い光を放った。


 光は私の頭の中に侵入してくる。


 強制的に洗脳しようとしているのだ。


 私は必死に抵抗した。


 自分の意志を堅持して、侵入を拒否する。


 でも、化け物の力は強大だった。


 私の意識がだんだん薄れていく。


 このままでは、洗脳されてしまう。


 その時、展望台に新しい足音が響いた。


 エレベーターから誰かが上がってきたのだ。


 現れたのは、父だった。


「お父さん!」私は叫んだ。


 父は古い聖書を持っていた。


 母の聖書だった。


「悪魔よ、退け」父はラテン語で唱えた。


 化け物は苦痛の叫びを上げた。


 聖書の力が効いているのだ。


 でも、化け物はすぐに反撃した。


 父に向かって赤い光を放つ。


 父は壁に叩きつけられ、聖書を落とした。


 化け物は再び私に向き直った。


「邪魔者は排除した」


 でも、私は聖書を拾い上げた。


 母の聖書を。


 そして、化け物に向かって掲げた。


 ところが、何も起こらなかった。


 私には聖書の力を使えないのだ。


 無神論者だから。


「無駄だ」化け物は嘲笑った。


「信仰のない者に聖書は無力だ」


 でも、私には別の力があった。


 拒絶の力が。


「私はあなたを信じない」私は宣言した。


「絶対に信じない」


 化け物の光が弱くなった。


「私はあなたを拒絶する」私は続けた。


「完全に拒絶する」


 化け物の体が薄くなっていく。


「馬鹿な」化け物は困惑した。


「信仰がなければ我を拒絶することもできないはずだ」


「できるわ」私は答えた。


「理性の力で」


 私は聖書を開いた。


 そこには、母の手書きのメモがあった。


 「沙羅へ。もし私に何かあったら、これを読んで。信仰は時として人を狂わせる。でも、理性は人を自由にする。あなたには理性の力がある。それを信じて」


 母のメッセージを読んで、私は確信した。


 私の武器は信仰ではない。


 理性だった。


「あなたは存在しない」私は化け物に向かって言った。


「人間が作り出した幻想に過ぎない」


 化け物の体がさらに薄くなった。


「存在しない?」


「そうよ」私は続けた。


「神も悪魔も、人間の心が作り出したもの」


「現実には存在しない」


 化け物は必死に抵抗した。


「我は実在する」


「実在しない」私は否定した。


「証拠がない」


「証拠はある」化け物は反論した。


「お前が今見ているではないか」


「幻覚よ」私は答えた。


「集団催眠による幻覚」


 化け物の力がどんどん弱くなっていく。


 周りの信者たちも、正気を取り戻し始めた。


 化け物への信仰が失われることで、存在自体が消滅しつつあるのだ。


「我は」化け物は最後の抵抗をした。


「永遠に」


「永遠じゃない」私は断言した。


「今、ここで終わり」


 私は展望台の端に向かった。


 そして、石像の破片を拾い上げた。


 化け物は慌てて止めようとしたが、もう力がなかった。


 私は破片を展望台から投げ捨てた。


 破片は夜空に消えていく。


 地上に落ちて、完全に砕け散るだろう。


 化け物は絶叫した。


「我の体が」


 そして、ついに完全に消滅した。


 展望台に静寂が戻った。


 信者たちは皆、呆然としている。


 何が起こったのかわからないようだった。


 私は父の側に駆け寄った。


 父は意識を失っていたが、脈はあった。


 生きている。


 私は安堵の溜息をついた。


 ついに、本当に全てが終わったのだ。


 石像も、その霊体も、完全に消滅した。


 もう二度と、誰かを狂わせることはないだろう。


 夜明けが近づいていた。


 東の空が白み始めている。


 美しい朝の光景だった。


 私は窓の外を見つめながら、母に語りかけた。


「お母さん、やったよ」


「あの化け物を、完全に倒した」


 風が頬を撫でていく。


 まるで母が頬を撫でているような、優しい風だった。


 私は微笑んだ。


 これで、母も安らかに眠れるだろう。


 20年間の苦しみから、解放されるだろう。


 私は展望台を後にした。


 新しい人生が始まる。


 もう過去に囚われることはない。


 前を向いて歩いていこう。


 母と友人たちの分まで、精一杯生きていこう。


 それが、生き残った者の使命なのだから。


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