第7話 ほんの少し、違うだけ④

 すっかり暗く染まった世界に飛び出した俺は、校門の前に誰かが立っていることに気づく。


 街頭も少ない道。山に近いここで、少し離れたその「人」の顔を見るのは難しいものがある。


 まあ、関係のないだろうとたかを括り、校門を抜けようとする。


「おい」ともう少しで校外にでれる所で呼び止められた。


 この声。第一声を「おい」から始める暴力的な女といえば……


「……犬巻さん、なんの用?」


 今日も変わらずマスクを顎まで下げて、苛立ちながら舌打ちをした。


「てめえに用なんて一つしかねえだろ」


 ああ。どうして苛立っているのか、ようやく分かった。


 そういえば、今日は一回も匂い嗅がせてない。


「別に好きに吸ってもらっていいんだけど、場所を変えよう。ここは、ほら……」


 周りにはまだ生徒がちらほら見られ、人目についてしまう。


「……分かった」


 やっぱ欲望のためだったら、俺の言うことも割と素直に聞いてくれる。


 なんか、不機嫌なネコみたいに見えてきた。


 俺と犬巻は、2人並んで校外に出る。学校の外は、山に近い道で歩道が狭まっている。


 必然的に近くなる距離。それに相反するみたいに俺たちは会話することなく、歩き続ける。


 しばらくすると街明かりが見えて、道も広くなった。


 と、その時。突然犬巻は立ち止まる。


「ここでいいだろ」と彼女が指さしたのは、月明かりの灯らないさっきよりもずっと狭い路地裏だった。


 ギリギリ2人分入れるくらいのスペースに、犬巻は躊躇うことなく入って行った。


 反応の遅れた俺に、犬巻は「はよ来い」とキレながら言う。


 俺はそそくさと中に入る。途端、犬巻が俺に飛びつく。


 背中に腕を回されて、なすすべもなく俺は腕を浮かせて彼女の頭頂部を見つめていた。


 何秒経ったろうか。突然、犬巻が咳をしながら俺から離れる。


「ごほ、ごほっ、ってめえ……、ごほ、」


 え、もしかしてめっちゃ臭かった?


「ご、ごめん。大丈夫……?」


 鼻を抑えながら、俺を睨みつける犬巻。


「女臭すぎる……」


「え?女?」


 その言葉で思い出した。そういえば美作の羽をブラッシングしたけど、それと関係が?


「――この匂い、美作か?」


「なんでわかるの?」


 ほんとになんで分かるんだよ。本物の犬じゃん。


 しばらく辛そうにしてた犬巻は、少しは良くなったのか、よろよろと路地から出ようとしていた。


「ほんとに大丈夫……?」


 流石に申し訳なくなってきた俺は、罪悪感で声をかける。


 すると後ろを向きながら彼女は応えた。


「明日、13時に駅前に来い」


 そんな秘密の取引みたいなセリフで、彼女は去ろうとした。


「あの…………」


 何か言おうとしたものの、彼女はとっくにここから消えていた。


 *


「ただいま……」


 疲れ切った俺は、思いカバンを玄関に置いて、リビングに入る。


「おかえり」「おお、おかえり」と料理を作る母と、パソコンで作業をする父に迎えられる。


「ただいま」と短く返して、洗面所で手を洗う。


 何気ない行動。それでも、明日、犬巻と会うことが頭から離れない。


 なんの為に、なんて彼女の脳内を解剖しようとしてみた所で時間の無駄だ。


 正直、行きたくはない。貯めてあったアニメを見たいし、テストで出来なかったゲームもしたい。


 が、逆らえば、家を特定してまで俺を引きずり出しそうな気がして、行くしかない気しかしない。


「はあ……」


 部屋に向かおうと足を進めた時、母に呼び止められる。


「善、これついでに持っていってあげて」


 そう言って渡されたお盆に乗っかった色とりどりの食事。


「はーい」と受け取っては階段を、料理を落とさぬようにゆっくりと上がる。


 俺は、自分の部屋のドアの前。「close」と書かれた板がかけられた扉の前にいた。


 俺は呼吸を一回挟んで、こんこんと出来るだけ優しくノックする。


「ごはん、置いとくぞ。海幻みかん。」


 ドアの向こうから声は聞こえない。いつものことだ。それが悲しいとか、虚しいとか感じることも少なくなっている。


 妹である海幻は小さい頃こそ元気な少女だった。が、中学校に入ってから、急に引きこもり始め、今に至る。


 何があったのか、どうして引きこもるようになったのか、俺含め家族の誰も知らない。


 母は無理に言う必要もない、と一蹴する。父も似たような感じだし、俺もすごく気にしてるわけではない。


 だけど、最近ふと思う。海幻って、どんな顔で笑っていたっけ、って。

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