6-8

「レーン!! おっはー!!」

「————おはよ、レン」

「おはよう、敦…………真一」

 HR前の時間。すでに教室には和希、相内、恋ヶ窪の三人が集まっている。

 敦と真一はサッカー部の朝練があるため、教室に来る時間が遅い。和希たちは気を使ってか、サッカー部の朝練が終わるまでは金曜日の件には触れないでいてくれた。

 しかし、そんなぬるま湯のような時間も、二人の到着によって終りを告げる。

 敦は相変わらず元気百倍だが、真一は前回のことを気にしているのか、いつも以上にテンションが低い感じがする。

「さてさて、じゃあみんな揃っているとこだし!? レンには例の写真について、洗いざらい喋ってもらえるってことでいいんだよな!」

 俺と真逆で空気などものともしない敦が先陣を切る。それに続いて、他のメンバーたちも囃し立てたり、真剣に聞き入る体制に移行した。もう後には引けない。

 ——————ここまで避けていたが、どうしてもある人物の様子を確認したかった。俺はさりげなく教室の後方へと目を向ける。

 言うまでもなく、俺が最後に一目見たかったのは三木のことだ。

 女装している時の整えた前髪と違い、クラスでは前髪を無造作に垂らしているだけなので、近寄りがたい陰鬱な雰囲気を漂わせている。今はもう女装した三木に慣れてしまったので、この姿には違和感があった。

 この数週間で、俺は色々な三木の姿を見てきたんだな、と実感させられる。

 ……何はともあれ来てくれたんだな、三木。

 俺の選択によっては、女装の秘密をバラされる可能性があるっていうのにさ。それでも俺のことを見届けようとしてくれたのかな。

「…………っ!」

 目が合うと、三木は慌てて目を逸らしてしまう。俺の表情から何かを悟ったのか、三木は何かを堪えるように俯いていた。……やっぱり、わかってしまうものだな。

「水上、どうしたの? 写真の相手について、教えてくれるんだよね……?」

 この場にいる誰よりも真剣な表情で恋ヶ窪が問いかけてくる。そうだな。HRまで時間もあまりない。勿体ぶっても仕方ないので、俺の答えを示すことにしよう。

 ざわざわ。

 ……と思ったのだが、何やら廊下の方が騒がしい。

 チラリと廊下に目を向けると、そこには仁王立ち姿の椋梨がいた。

 学年中に悪名が轟いている有名人が、他クラスの前で異常行動をしていれば、それは目立って仕方ない。どうやら、椋梨も俺の出す結論を直接聞いてくれるようだ。

 これで関係するすべての人間が揃った。

「ん、あれって椋梨さんじゃ……」

 相内が騒がしい廊下の方を気にし始める。

 それに続いて、他のメンバーも廊下に気を囚われていた。

「————じゃあ、写真の相手について話すよ」

 みんなが一斉にこちらへと向き直った。……さすがにここまで興味津々って顔をされてしまうと喋りづらいが、もうまどろこしいのはおしまいだ。

 ……なぁ、三木。ごめん。

 俺の表情を見たらわかってしまうよな。俺が和希たちを裏切るつもりはないって。もし裏切るつもりなら、目の前に本人たちがいて表情に出ないわけないもんな。

 だから、本当にごめん。恨まれても文句はないよ。

「あの写真に写っていたのは女装した三木、三木遥なんだよ」

 廊下にいる椋梨がガクンと膝をついたのが見えた。恐ろしくてその表情までは見ることができない。椋梨には悪い事をしてしまったと思っている。

 一方、俺の言葉を受けた和希たちはしばし放心していた。そして、はっと気が付いたように、和希たちはおそろおそる三木の方に顔を向ける。

 俺も覚悟を決めて、自分自身の選択を受け止めるため、恐る恐る三木の方に視線を移した。————視界に写ったのは、悲しそうな表情を浮かべた三木だった。

 どんなに考えても、悩んでも、頭をひねっても、写真に写った人物を三木以外だと説明することは難しかった。

 そして、和希たちを裏切るという選択肢も選べない。暗黒の中学時代を過ごした俺にとって、和希たちと過ごした高校生活の日々はかけがえのないものだった。

「み、水上、またいつものタチ悪い冗談でしょ?」

「い、いや。……たしかに写真の人物には面影があるというか」

 あれだけ写真の人物の正体を知りたがっていた恋ヶ窪と真一だが、明らかに俺の口から告げられた答えに狼狽していた。

「えー!! それがマジなら私よりも可愛い男子ってこと!? 許せないぃぃ!!」

「まじでぇ!? 俺ワンちゃんいけるかもしれない! いや、ワンちゃんどころか余裕でいけるわ! レン、ぜひとも俺に紹介してくんない!?」

 相内と敦は大騒ぎをしている。敦は素という感じだが、相内の方は大袈裟にリアクションしているようなそんな感じだった。それはきっと、俺が告げたことが非常にセンシティブな問題だということに、いち早く気が付いているからかもしれない。

 もちろん、それに気がついたのは相内だけではない。

 誰よりも早く気がついて、こちらを心配そうに見つめている和希もだった。

「レン、いいのか?」

 短い言葉だったが込められた意味は重い。

 三木との関係はわからないが、そんなことを知り得ることができるような間柄だったんだろ? なのに、その秘密を暴露してしまって良いのか? そういう意味合いだ。

 本当に察しがいい。

「けど、水上の言っていることが事実ならこれって問題だよね……?」

「そうだな。男子生徒が女子の制服を着るっていうのはな……」

 恋ヶ窪と真一は徐々に落ち着きを取り戻し、いよいよこの問題の笑いや冗談ではすまない部分に言及し始める。

 どんなに取り繕ったところで、女装癖というのは現在の日本ではなかなか受け入れられないものであり、どうしても偏見や悪印象を拭うことができない。

 写真の人物が誰であるかを告げることは、三木の学校での立場を完全に失わせる、という行為とイコールだった。それを理解した上で俺はこの決断をした。

「みんな、報告はこれだけじゃないんだ」

 だが、まだ半分だ。一晩で考えたことはこれだけではないんだ。だから、俺はしっかりとした足取りで三木の元へと向かう。

「レン……」

 三木は悲しそうな目をして俺を見上げた。

 いつもの揶揄うような顔も、憮然とした態度も、馬鹿にするような口調も、完全に息を潜めてしまっている。

 ……俺がそうさせてしまったのだ。

「三木は言ってくれたよな。自分の一方的な想いで、俺の高校生活を壊すわけにはいかないってさ。それは俺が大事だからってさ」

「あぁ、だからいいんだ……。レンが罪悪感を覚えることはない。これはボクが望んだ結末だ。だからもうさ、こんなキモい女装野郎のことはほっといてくれよ……」

 俺が三木をこんな顔にさせてしまっている。自分のことを犠牲にして、俺なんかの幸せを願ってくれる————————大切な人に。

「三木が俺を大事に想ってくれているように、俺も三木のことが大事なんだ。だから、俺も三木の高校生活を壊したくない。和希たちも大事だけど、同じくらい三木や椋梨との関係性も大事なんだ。俺が幸せになるためにはどっちも必要なんだ」

 それが、俺の望むたったひとつの未来だ。

「……だとしても、もう手遅れだ。ボクの秘密はすぐに広まってしまうさ。そうなったらレンや百々代に迷惑をかけてしまうから……二人とはもう一緒にはいられない」

 そう、これが俺の望む未来を阻む障害だった。

 和希たちの関係も守るためには真実を話すしかない。そして、その結果に生じるのが三木や椋梨との関係の崩壊。だから俺はこの問題を二者択一だと思っていたんだ。

「三木、俺な。こうみえて作家志望なんだ」

「は?」

 三木はポカンとした表情をしている。

「これが道化の俺が考えた……ダサくて、みっともなく、ちょっと笑える筋書きだ」

 俺は二者択一が苦手なんだ。だからそれを回避する手段を模索する。

 それは三木が女装をする理由を考えることだ。趣味で女装をしていたのではなく、理由があって女装をしていたのなら説明がつく。

 ヒントは三木と出会ってからの日々に転がっていた。

 俺、三木、椋梨は全員帰宅部ということ。

 そもそも俺が作家志望であり、物語や筋書きを考えるのが好きなこと。

 椋梨はもともと演劇部に入りたがっていたこと。

 そして一番のヒントは、バイトに行く際に見かけた大学生のサークル集団だ。

「みんな! 実は俺さ……、三木と一緒に映像研究会を作ることにした!」

「はああああああああああああああああ!!??」

 三木が信じられないくらいの声量で叫んでいるが無視する。

「んで、ここにいる三木がヒロイン役で。あと廊下でうずくまってる椋梨もメンバー。まぁ、役とかは一切決まってないけど」

「えええええええええええええええええ!!??」

 廊下から、三木に負けないくらいの叫び声が聞こえてくるがこちらもスルーする。

「というわけで、水上蓮の処女作——————いや、童貞作にご期待ください!」

 クラス中がシーンとしている。

 和希たちも口をパクパクさせるだけで一言も声を発さない。

 ………………あれ、もしかして今の俺、ちょっとだけ空気読めてない?

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