模倣騎士、23

夕暮れ色の間接照明が、ゆるやかな木目のソファを淡く浮かび上がらせる。床に置かれたコーヒーテーブルには、使い込まれた手帳と資料がまだ開いたまま残っていた。


照人は深呼吸をひとつ、全員を見渡してから語り出す。

「――とにかく、今は目の前のことを一つずつやっていこう。勧誘は、帰ってからだ」


大きな窓の向こうでほの暗く揺れる湖面を背景に、仲間たちが静かにうなずく。


柊がそっとメモを閉じ、低い声で付け加えた。

「素材集め、戦闘、探索。やることは山積みだけど――今の俺たちなら、絶対いけるはずだ」


その言葉に、重厚な鎧の戦士も小さく笑みを浮かべる。


突然、アヤメがぴょんと飛び上がり、両手を高々と掲げた。

「よーし、明日もがんばろーっ!」


その勢いに連鎖して、皆の頬に自然と笑みが広がる。


綾が元気よく立ち上がり、手を叩いて声を響かせた。

「じゃあ、今日はこれで解散! 各自、しっかり体休めるんだよ〜?」


ミーティングルームに、最後の和やかな空気が満ちた。




廊下のタイルが足裏にひんやりと冷たく、天井のダウンライトが淡いオレンジ色に輝く。浴場へのドアを前に、縁が重厚な声を投げかけた。

「風呂、行くやつー?」


そこへ、照人がすかさず立ち上がって応じる。

「行く!」


柊はタブレットをポケットにしまいながらほほ笑む。

「もちろん」


赤坂も、そのフードを勢いよく脱ぎ捨てるようにして手を上げた。

「行く以外、選択肢ある?」


つかさも元気に頷き、軽くぺこりと礼をした。

「行きます!」


一団は肩越しに笑いを交わしながら、木製の戸を押して浴場フロアへと向かっていく。

廊下に立ち込める石鹸と蒸気の香りが、夜のひとときをさらに心地よく包み込んでいた。


のれんをくぐると、石と木でしつらえられた大浴場がゆったりと広がっていた。

洗い場の檜の桶はぴかぴかに光り、深めの湯船は淡い照明に映えて白く泡立つ。

大きな窓越しには、夜の水面に瞬く星燈の湖の光がかすかに見えている。


縁が目を見開き、思わず声を漏らした。

「うお……広っ」


柊も思わず手をついて、湯気越しに眺める。

「こういう余裕、久しぶりかもな」


赤坂は壁際のシャワーに向かいながら、泥まみれの肌をさすって呟く。

「泥と魚の粘液でベトベトだったもんな……」


一同、苦笑いで頷き合い、順に体を流し始めた。



湯船に浸かると、誰もが大きく息を吐く。

照人は背もたれにもたれて目を閉じ、肩の力を抜いた。

柊は静かに湯に沈みつつ、泡の筋を指先でなぞる。

赤坂は湯船の端にそっと腰掛け、目を細める。


縁がぽつりと口を開く。

「……こうして温泉につかると、やっぱ学生だなって思うよ」


照人が笑い声を抑えつつ答える。

「一日で何日分も動いた気がするけどな」


柊がふと含み笑いを浮かべた。

「まさか“遠征中にちゃんと風呂”があるとは思わなかったぜ」


つかさがそっと湯気の向こうから声をかける。

「明日も……きっと、いい日になるよね」


その言葉に、誰もが小さく頷いた。


赤坂が湯に手を浸しながら、つぶやく。

「つかさも…ちゃんと男なんだな、って思った」


一瞬の沈黙のあと、皆が穏やかな笑みを交わした。


──湯けむりに包まれた、この瞬間。

ミームカンパニーの少年たちは、少し大人への一歩を踏みしめていた。




遠征2日目【第三区画:星落ちの泉】

朝の準備を整えた一行は、第三区画へ向かってダンジョン内を進む。


「ここが……星落ちの泉……」


一歩足を踏み入れた瞬間、空間そのものが変化した。

天井には星のように輝く光源が無数に浮かび、そこから「ぽたり、ぽたり」と透明な“光の雫”が落ちてくる。地面の概念があいまいで、足元はふわりと浮いたように頼りない。


「おわっ、体、軽っ……!? ていうか浮いてる!?」

アヤメがよろけながら、ふらふらと横に流れていく。


「完全な無重力じゃないけど、普通に歩ける状況じゃないね……」

照人が落ち着いた声で言いながら、体を安定させようと姿勢を整える。


詠唱魔法を構えようとすると、足場が揺れ、体がくるくると回りそうになる。

詠唱に集中しようとするほど、バランスが崩れてしまうのだ。


「ちょ、無理、詠唱中に上下わかんなくなるって!」

杉下みつきがあわてて体勢を戻すも、光がピカッと横に飛んでいって外れる。


「アヤメちゃん、また逆さまになってるよ!」

「えー!? どこが下!? ていうか、私今詠唱してた!?!?」


ダンジョン内部での採取と訓練に集中していた一行。

と、そのとき――光の雫を追ってアヤメがふわっと浮かび上がった瞬間だった。


「わ、ちょっ、私、浮いて……わわっ!!」


重力の緩い空間で体がくるりと回転し、スカートがふわり。

「きゃあああ!? パンツ見えるぅー!!!」

「ちょ、やばい無理無理!!」

綾まで慌てて手でスカートを押さえながら、ジタバタと浮遊制御に四苦八苦。


アヤメと綾、ふたりそろって悲鳴を上げるその直後――


「お、俺は見てないっっ!!」

柊雷吾がなぜかものすごい勢いで叫んだ。

顔を真っ赤にして、真横を向いたまま目をぎゅっと閉じている。


「えっ、いや、まだ何も言ってないけど!?(見てた!?)」

「ていうか自白してるようなもんじゃん、それ!」

「今ので逆に見たって確信したわ……」


「ち、違うっ!お、俺はそもそも女の子の……っ、うわああああ!!」

さらに顔を真っ赤にして、空中でもがくようにして飛び去っていく柊。

風水士のつかさが無言で風の流れを調整して彼を引き戻す。


「柊くん、落ち着いて。今どこが上かわからないから、顔、逆さまになってるよ……」


その後、アヤメと綾は手早く魔術でスカートの裾を押さえる風結界を張り、無重力下での装備管理の大切さを身をもって学ぶことに。


「ふ、風属性ってこういう使い方もあるんだね……!」

「次からレギンス履いてくるわ……!!」


風水士のつかさが無言で風の流れを整え、ふらふらしていた柊を回収する。

その横で、にやにやと目を光らせた縁が――


「……で、何色だった?」


「はぁっ!? な、何言ってんだあんた!!俺は黒のレースなんて見てねぇからな!!!」


「いやそこ言っちゃってるーー!!!」

「ば、ばかか俺はッ!!うわああああああ!!」


柊は両手で頭を抱え、空中でぐるぐると回転しながら自滅していく。


「……あーあ、やっちまったな」

「アヤメちゃん、綾ちゃん、めっちゃ顔引きつってるけど……」


アヤメと綾は顔を真っ赤にして魔力で裾を押さえながらも、

柊に向かって声を揃えて叫ぶ。


「見たなら見たって言いなさいよ!!」

「てか、なんでそんな細かく覚えてんのよ!!」



宙に浮いたような通路──この場所を「星落ちの泉」と呼ぶのは、この幻想的な光景ゆえだ。足元には半透明のガラスのような道が続き、その上を歩くと身体がふわりと宙に浮くような錯覚に襲われる。誰もが不安定に足をすくめる中、つかさだけはひときわ落ち着いていた。


彼は両手をわずかに広げ、静かに目を閉じたかと思うと小さな風の魔法陣を足元に描き出す。

「――この空間、風の流れじゃなくて、“重力の流れ”が読めるかも……」


呟きとともに詠唱を紡ぎ、魔法陣が淡く輝く。まるで大地のうねりをとらえるかのように、つかさの足元に仮想の“立ち位置”が生まれた。


「“地の風、寄せて落とす”――【重心調律】っ!」


コツリと鳴るように彼の足が定まり、全身のふらつきが一瞬にして消失する。まるでこの異空間を泳ぐ“浮遊の波”を読み切ったかのように、つかさはともすれば宙に浮きそうな通路を、滑るように進んでいった。


アヤメが驚きを隠せず呟く。

「すご……あれ、つかさだけ普通に歩いてる!?」


つかさはほんの少し恥ずかしそうに笑って、仲間の近くを行き来しながら身体の角度を整えていく。

「うん、ボク、こういうの得意かも……」


風と流れを読むつかさは、まるでこの空間の“浮遊の波”を踏み台にするように、仲間の近くをすいすいと移動しては姿勢を直していく。


静寂を切り裂くように、羽虫の軽い翅音が通路を駆け抜ける。視界に浮かび上がったのは、蛍のように淡い光を放つ《光晶羽虫》の群れ。瞬間的に飛び回る小さな魔物を相手に、ミームカンパニーは連携の息を合わせる。


赤坂の声が低く響く。

「そこ、光晶羽虫来てるよ!」


「右にも、《光の雫》が落ちそうだ!」

みつきが駆け寄り、その掌で微かな閃光を灯す。


「せーの! ピカッ!」

\《ライト・フラッシュ》/

光の閃きが羽虫たちを取り巻き、敵の動きを一瞬だけ止める。


縁がすかさず前に出て、重厚な盾で一匹を押し返す。


続けざまに照人が声を張る。

「くらえ、重力ゼロ魚ーッ!!」

宙に浮かぶ銀色の《重力ゼロ魚》を相手に、鋭い斬撃が弧を描いた。


しかし、本当に狙うべきは「幻の素材」だ。淡い光を帯びた雫が、ぽたり、ぽたりと通路に落下していく。落ちどころを定めなければ、一瞬で消えてしまうかもしれない。


アヤメがつかさに問いかけた。

「つかさ、あれ……落ちる方向って読める?」


つかさは魔法円を再び小さく浮かべ、風の揺らぎならぬ重力の微かな流れを指先でたどる。

「たぶん……あの光が一番強い場所に落ちるよ!」


その指示を受け、アヤメは湖面を背に一歩踏み出し、ひらりと光の雫を掌で受け止めた。


「キャッチ成功! やったね!」


初日の探索で培った連携と、つかさの冷静な立ち回りが、新たな可能性を切り開く。


ふわりとした浮遊感を引きずりながら、ミームカンパニーの面々は光る通路を抜け、ようやくダンジョンの出口へと戻ってきた。夜明け前のような幻想的な空気が、まるで疲れた身体を優しく包み込む。だがその表情は──


「はぁああ……疲れたー!」

アヤメが大きく息を吐く。髪に絡んだ魔力の残痕が淡く光り、その一瞬だけ頬が緩んだ。


「でも……なんか、ちょっとずつ慣れてきた気がするー!」

綾が両手をぶんぶん振りながら、目を輝かせる。泥まみれの制服からは、確かな前進の証がにじみ出ていた。


「素材、思ったよりレアなの多いな。手間はかかったけど……悪くない収穫だ」

柊はさっきまでの冷静さを保ちつつも、うっすらと含み笑いを浮かべた。ノートに走るメモの字も、どこか弾むようだ。


「つかさの重力制御なかったら、本当にヤバかったぞ」

縁がぽつりと言えば――


「えへへ……なんか、ボク、役に立てた気がする……!」

つかさは照れくさそうに小さく胸を撫で、そっと笑みをこぼした。


それぞれの言葉が、疲労と充実感をわずかに揺らめかせる。出口の向こう、現実の世界では朝日が再び彼らを迎えるだろう。だが今はまだ、この「星落ちの泉」で得た小さな手応えを胸に、仲間と歩みを揃える時間だ。

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