成長の証と、新たな日常へ

初夏の匂いが混じった風が、開け放たれた窓から教室に吹き込んでくる。

汗ばむ季節の始まり。

教室の空気は、少しだけ変わっていた。

どこか引き締まり、誰もが自然と背筋を伸ばす。以前は浮ついた雰囲気もあったが、今は全員が「戦う者」としての自覚を持ち始めているのが、空気で分かる。


「さて――まずは報告だ」


教卓に立つ担任の教官が、手元の端末を見ながら語り始めた。


「今年の戦士科、全員がレベル5を超えた。しかも一部は、すでにレベル7に到達している。入学からちょうど3ヶ月、この時点で全員がダンジョンに入れる条件を満たしているのは……俺の記憶でも初めてだな」


ざわっ……と、教室に小さな驚きが走る。

すぐに誇らしげな笑みを浮かべる者、そっと隣とアイコンタクトを取る者、拳を握る者。誰もが、知らず知らずのうちに顔を上げていた。


「誇っていい。だが、浮かれるな。これからが本番だ」


教官は、窓の外を一度見てから、告げた。


「来週から、週に二日。お前たちは授業の合間に、ダンジョン探索に出ることになる。スケジュールは後で送る。行き先は最初は初級の第一区画だが、慣れてきたら別のルートも試すことになるだろう」


「うおお……! マジか!」


「ついに本格始動って感じだな」


ざわつく教室の中で、遊部は静かに息を吐いた。

この三か月、何度か先輩と潜り、クラスメイトとも挑み、自分なりに一歩ずつ進んできた。

その背中を、いつのまにか皆が見てくれていたのかもしれない――そんな実感があった。


教官の声が、再び教室に響いた。


「遊部も含めて、誰か一人が先に進めば、それに続く者が現れる。……良い流れだ。だが、怪我だけはするなよ。油断したら、命を落とすのは今も変わらない」


その言葉に、教室の熱が一瞬だけ冷め、すぐまた静かに引き締まる。


「午後は対人訓練だ。今日も走るぞ。体を使って、戦える体を作る。各自、気を抜くな!」


「「はいッ!!」」


一斉に返る声の中で、遊部は窓の外を見た。

風が吹き抜ける校庭の向こうに、ダンジョンの影が見える気がした。


――ここから、もっと先へ。


心の中でそう呟いて、遊部は腰を上げた。



1週間後

昼前、ダンジョン深緑の巡回路のゲート前。

普段の授業とは違い、今日は教員引率のもと、クラス単位でダンジョンに突入する。


「――よし、全員装備確認したな。準備できてる奴から並べ」


担任の教官が指示を出すと、生徒たちは慣れた手つきで自分の装備を整え、順番に列に並んでいく。


訓練用のこのダンジョンは、校内で管理されている比較的安全な区域だ。例年、ここが多くの生徒にとって「初ダンジョン」となるのだが――。


「……ほんとに初めてか、お前ら?」


引率担当の別の教員がぼそりと呟く。

列に並ぶ生徒たちの表情に、浮つきはなかった。むしろ、戦闘経験を積んだ者らしい、適度な緊張と落ち着きが漂っている。


それを見て、担任が小さく笑った。


「ま、そうなるか。今年は例年と違って、もう何度も潜ってる奴が多いからな。お前ら――実際、どうだった?」


振り返った教官の問いに、最前列にいた朝練仲間のひとり、山口が手を上げて答える。


「はい! ダンジョン自体は最初こそ怖かったですけど……戦士だけで固まって行動してたので、意外と安定して動けました!」


「俺も。最初の1、2回は敵に圧されたけど、バッシュ覚えてからはゴブリン相手なら問題ないっす」


「むしろ、この実習が“今さら感”ありますよね」


笑い交じりにそう言ったのは、レベル7まで到達している大柄のパワー戦士の江本だった。

たしかに、今日のこの訓練を“初体験”として迎える者は、クラスにはもうほとんどいない。


教官は頷きながら、腕を組んだ。


「そうか。……まったく、例年じゃ考えられないな。普通はこの授業で初めてダンジョンに入って、ビビって転んで泣き出す奴が出るもんだが」


それを聞いて数人が小さく笑い、だが胸を張ったまま立っている。


「けど、油断するなよ。今日からは“監督付きの訓練”とはいえ、本番同様の実践だ。ここから先はお前たちが“正規のダンジョン探索者”として見られる」


声のトーンを少しだけ落とし、教官は続けた。


「強くなった自覚があるなら、尚更慎重に動け。力がある奴が、調子に乗って最初にやられる。それがダンジョンってもんだ」


その言葉に、生徒たちは再び表情を引き締める。

遊部も無言で頷きながら、自分の剣を一度握り直した。


これまでの経験を「特別」だと思わず、当たり前の土台としていく――

そんな覚悟が、確かにこのクラスには根付き始めていた。


「よし、行くぞ。今日は何があっても、全員無事に帰ってこい。それが、この実習の一番の目標だ」


「「はいッ!」」


一斉に響く声を背に、戦士たちはダンジョンへと足を踏み入れていった。



昼過ぎ、陽の差し込むゲート前にて。

ダンジョンから戻ってきた戦士科の生徒たちは思い思いに水を飲んだり、装備の手入れをしたりしながら、休息を取っていた。


「……はぁ」


桐谷先生の溜め息が聞こえたのはその時だった。

ダンジョンの入口前、荷物チェックを終えた教官が腕を組みながら生徒たちの様子を見渡している。


「もっと……こう、苦戦するかと思ってたんだがな。たしか去年は、初回で十人くらい途中リタイアしたんだが」


「先生、なんか残念そうですね」

天野が冗談めかして声をかける。


「いや。もちろん無事なのは何よりだが……お前ら、どんだけ自主練してるんだよ」


「だって、遊部が先にダンジョン潜ってたしな」

「負けてられねぇって思って、自然と鍛える気になったんすよ」


「……あいつが先陣だったか」


担任は、後ろで休んでいる遊部の姿に目をやる。

仲間たちに囲まれながらも、遊部は剣を手入れしていた。無言だが、その表情はどこか満足げだ。


「まあ、いい。問題はない。大いに結構だ」


少しだけ頬を緩めて、桐谷先生は声を張った。

「よし。全員、無事帰還。今日の実習は……まあ、上出来だ。ほんとに。言うことはない。強いて言うなら――」


ふっと、溜息交じりに言葉を漏らす。


「本来なら、ここで“やっぱ戦士だけじゃキツイっすね”って空気になって、魔術師や衛生科の必要性を実感する予定だったんだが……」


周囲に軽い笑いが起きる。


「ま、でも。そうやって一人で突っ走れるのも今のうちだけだ。来週の実習からは、そうはいかないぞ」


その言葉を皮切りに、生徒たちの端末が一斉に震えた。

通知音が次々に鳴る。


「お前らの端末にも通知が行っただろう。学内アプリで“1年生限定のパーティー編成”が始まってる」


生徒たちは慌てて端末を確認しはじめる。


「来週の実習は、“正式なパーティー”を組んでの挑戦になる。編成条件は――**4人から6人。異なる職種を必ず含むこと。戦士だけで組むな!**大事なことだから二回言うぞ。戦士だけで組むな!」


「うわー、バレてた」

「言われると思ったー」

「えっじゃあ、魔術師とかに声かけなきゃダメじゃん」


ざわつきが広がる。


桐谷先生は手を軽く叩き、生徒たちを落ち着かせる。


「パーティー編成の期間は1週間。来週の実習までにメンバーを見つけておけ。自主性を重んじる。だから、お前ら自身で話して決めろ」


「もう組んでるやつも、他の職科に話を振れ。衛生科も魔術師も、この時期は似たようなことを言われてるはずだ。上手く連携取れる奴が、この先でも強くなる。覚えとけ」


そう言って桐谷先生は最後に一言。


「いいか、戦士だけで突っ走るな。**“勝てるチーム”を組め。お前ら、もうダンジョンに入れる学生なんだからな」


「はい!」


生徒たちが声を揃えて返事をする。


それぞれの頭の中に浮かぶのは、これまで一緒に訓練してきた顔、声――

そして、まだ話したことのない別科の同級生たちの姿だった。


来週の実習。

それは、ただの訓練ではない。


「選ばれる」か、「置いていかれる」か。

そんな分かれ道のような1週間が、今、始まった――



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