第45話 再会を願って(2)
「レフィカ。元気そうで安心したわ」
イレーネお姉様は顔を隠す布をとり、私に噴水のそばに来て座るよう合図をする。
他の女性たちは、イレーネお姉様にお辞儀をして去っていった。
王妃でなくなっても、後宮の女性たちはイレーネお姉様に気遣っているように見えた。
「イレーネお姉様、私……」
「レフィカ。よく頑張ったわね。ここまでたどり着くなんて思わなかったわ。私では、できなかったでしょう。あなたは私の自慢の妹よ」
その言葉に気が緩み、涙がこぼれた。
イレーネお姉様は私を抱き締め、背中を撫でてくれた。
ドーヴハルク王国とは違う異国の香りがして、あの頃の何一つ自由にならなかった私たちではないと気づき、涙をぬぐった。
「イレーネお姉様に聞きたいことがたくさんあるんです」
「ええ。カリム様から話は聞いているわ」
中庭には風に乗って飛んできた砂漠の砂が積もり、その砂へイレーネお姉様は視線を落とした。
イレーネお姉様は私の手を取ると、噴水のふちに座らせた。
「こうして、イレーネお姉様と並んで座ると、ドーヴハルク王国の後宮で、こっそり草原を眺めていたのを思い出します」
「二年しか経っていないのに、懐かしく感じるわ。私とレフィカの秘密の場所だったわね」
ドーヴハルク王国の後宮は、乗り越えられない高さの分厚い石の壁が、私たちを閉じめていた。
ここリュザール王国の後宮は違っていた。
アラベスク模様の青いタイルの壁が回廊を飾り、砂漠からの砂を防ぐための木々が植えられ、漆喰の壁、アーチ状の窓がある。
等間隔に並んだ壁の窓からは、オアシスの町と砂漠が見えた。
この国の後宮は、女性を閉じ込める場所ではないようだ。
「レフィカは私の【契約】がどうなったか、聞きたいのでしょう?」
「はい」
イレーネお姉様は心臓がある左胸に手をあて、落ち着いた声で語り始めた。
「私はお父様から、年の離れた相手の結婚だと聞かされて嫁いだの。どんな方かと思っていたら、陛下はとてもお優しくて、私を助けたいと申し出てくださった」
イレーネお姉様が語っているのは、嫁いだ時のことだとわかった。
「陛下だけでなく、リュザール王家の方々は【契約】を無効にするため、多くの文献を手に入れ、知識人や医師、薬師を招き、どうにかできないか全員で考えたのよ」
「リュザール王家は困難が起きた場合、一族で対処すると聞きました」
「ええ。全員が知恵をふりしぼり、解決方法を知っていそうな人間を探し、なんとかしようとした。それでも【契約】を無効にする方法は見つからなかった……」
イレーネお姉様は膝の上で両手をぎゅっと握りしめた私の手に、自分の手を重ねた。
「レフィカ、ごめんなさい……」
お姉様は私に謝った。
その謝罪は、私の【契約】を無効にする方法はないと言われたのと同じことだった。
「私の【契約】が無効にできたのは、陛下のおかげなの。陛下が五つ目の【契約】を変えなかったら、私の心臓には、今も【契約】が刻まれたままだった……」
イレーネお姉様が私の顔を見て、うつむいた時から、そんな気がしていた。
私に申し訳ないという気持ち――でも、私とイレーネお姉様は違う場所へ嫁いだ。
それに、私はグランツエルデ王国に嫁いだことを後悔したことは一度もない。
なぜなら、私はドーヴハルク王国でいた時よりも自由で、多くの人に出会えたからだ。
「イレーネお姉様と私の【契約】は違うと、カリム様から聞いていました」
イレーネお姉様は私の手を強く握りしめた。
「私はまだ【契約】を無効にする方法を探しているの。必ず、見つけてみせるわ」
私のため――そして、未来に生まれてくるであろうドーヴハルク王国の王女たちを助けたいと、イレーネお姉様は考えている。
――イレーネお姉様は変わらない。私の大好きなイレーネお姉様のまま。
絶望したままで終わらない。
「私はシャルク・ホジャへ行き、ジグルズ様に出会い、大切な人がたくさんできました。だから、幸せです。私のことより、イレーネお姉様が幸せになることを考えてください」
「レフィカ……」
イレーネお姉様は【契約】が消えても苦しんでいた。
自分だけが幸せになっていいのだろうかと――どこまでも、【契約】は私たちを苦しめる。
リュザール王は五つ目の【契約】を使って、イレーネお姉様を自由にするのではなく、他の方法で【契約】を無効にしたいと考えていたのではないだろうか。
【契約】の力を使って自由にできても、王の力に勝利したとは言えない。
でも、お父様はリュザール王家がなにをしようと、意に介していない。
なぜなら、お父様の本当の狙いは――
「イレーネお姉様、お父様の狙いはグランツエルデ王国です」
「ええ……。だから、私はあなたを心配していたの」
父の狙いは最初から、遠いリュザール王国との同盟が目的ではない。
グランツエルデ王国にドーヴハルク王国と同盟を結ばせ、王女を妃にし、子をもうけることが、父の目的である。
蛮族、野蛮人などとドーヴハルク人を呼び、蔑んできた国を奪うこと。
私がグランツエルデ王国に嫁いだことで、父の目的はほとんど達成された。
たったひとつを除いては。
「レフィカ。お父様はグランツエルデ王とあなたの子を望んでいるでしょう」
――私とイーザック様の子供。
それが目的なのはわかっていた。
お父様には報告せずにいたけれど、もう私が王宮を追い出されたことを知ったはず。
「レフィカがジグルズ様の元にいると知ったら、お父様が黙っているとは思えないわ」
「わかっています……。お父様はイーザック様の元へ戻るよう命じるはずです」
「グランツエルデ王国側に、必ず、なにか仕掛けるだろうと、カリム様が危惧されているの」
――カリム様? ここでリュザール王ではなく、カリム様なの?
そういえば、カリム様はイレーネお姉様を『イレーネ』と親しげに呼んでいた。
カリム様のイレーネお姉様への態度はまるで――
「イレーネお姉様? こんな時に聞くことではないかもしれませんけど、もしかしてイレーネお姉様はカリム様と親しいのですか?」
「えっ!? そ、そうなの。親しいというか……」
イレーネお姉様は冷静さを失い、突然、焦り出した。
「カリム様は末の王子なのよ」
「知ってます」
「そ、そう!? とても優秀な方なのだけど、今はリュザール王国の地方で、長官を務めているの」
イレーネお姉様にしては、歯切れの悪い説明に首をかしげた。
「私は死んだことになっているから、カリム様は私を隠すため、地方の閑職を選んでくださったのよ」
そこまで聞いて、私はやっとわかった。
イレーネお姉様は家族を持てたのだと。
「イレーネお姉様。おめでとうございます」
私がそう言うと、イレーネお姉様は頬を赤く染めてうなずいた。
私が知っているイレーネお姉様は、冷静で落ち着いた人だった。
でも、カリム様に会って、イレーネお姉様は自分の感情を出せるようになったのだ。
この国でイレーネお姉様は自分の家族となる人を見つけ、幸せに暮らしている。
「レフィカ、ありがとう。カリム様が私を妻に望んでくださって……その……赤ちゃんもお腹に……」
「えっ? あ、赤ちゃん!?」
カリム様が一人でシャルク・ホジャに来たのは、イレーネお姉様とお腹の子を守るためだったのだ。
ジグルズ様が私が父と繋がっていないかどうか警戒し、慎重に見極めていたのもわかる。
カリム様がイレーネお姉様を隠し、リュザール王国の地方へ赴き、穏やかに暮らしているのを知っていたからだ。
「イレーネお姉様。なおさら、体を大事にしないと……」
「レフィカ。あなたに会えてよかった。本当は自分の幸せを後ろめたく感じていたの。私だけが幸せになれないと思って……」
「イレーネお姉様は幸せになっていいんです! そのために、私たちは努力してきたのを忘れていませんよね?」
イレーネお姉様は砂漠を眺めた。
その砂漠の向こうにはドーヴハルク王国がある。
今もイレーネお姉様は、父を恐れている。
イレーネお姉様の手を握ると、私の顔を見て微笑んだ。
「レフィカ。私はね、五つある【契約】のうちの四つををお父様から聞いて、私は嫁いだの」
お父様は必ずそうしているのか、それは私と同じだった。
「私の五つ目の【契約】を教えるわ」
イレーネお姉様が自由を手に入れた五つ目の【契約】。
それは――
「私の五つ目の【契約】。それは『夫から離縁された場合、【契約】を無効とする』よ」
――【契約】の無効を五つ目に入れた。
強い風が吹き、私の髪を覆っていたショールが飛んでいった。
それを拾うこともなく、私はイレーネお姉様に言った。
「そんな【契約】はありえません……」
五つ目の【契約】は無効にすること。
リュザール王は【契約】の力を逆に利用し、無効にさせた。
でも、イーザック様が決めた五つ目はきっと違う。
私に興味を持てなかったイーザック様。
同盟の道具としてしか、考えていなかった私に対して、命を救う【契約】をするとは思えない。
「レフィカ……」
イレーネお姉様は私を抱き締めた。
絶望なんてしたくない――したくないけど、涙がこぼれて止まらなかった。
私の恋は叶わない。
ジグルズ様への想いを告げることもできない。
それはすべて私の命と引き換えなのだから――
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