第4話 精霊族の少年


 

「うっ! げほっ、ゴホッ!  ふぇ フエックションッ!」


 また鼻水の洗礼を受けるなんて思いもしなかった。

 綺麗じゃない話だけど、ティッシュ代わりの袖口も、もうそろそろ限界に近い。


「もー! どうしてこんな埃っぽいの?」


『仕方ないでち。この工房はずっと使われてない筈でちから。わたちも初めて入るでっちよ?』


 ポポの声のする方に顔を向けると、鼻先がポワワンと光った。

 もしかして、ポポが何かしたのだろうか。彼女の周囲を、淡い光が覆っているのだ。


『あ、ランプがあるでちね』


 ポポから光が分かたれ、ランプがジジジと光った。何処からかエリアスが持って来たランプにも灯し終える。

 十分な光源に満たされ、ようやく室内の全貌が私の目の前に現れた。


 高天井には大きなガラスランプ。出入り口以外の三辺の壁際には細長い作業台と、光りを取り込む為の窓が幾つもあった。


 メモリの付いたカップや筒状の瓶。室内の至る所に花や植物、果実の付いた無数のガーランドが飾り付けられているのを目にした私は、ポポの言った『工房』という言葉を思い出したのだった。


「ここって何かの工房だったの?」


 私の問いにポポは小さな身体を空中でくるりん。


『詳しくは知らないでちよ。でも誰も今はいないから住んでいいってラスから言われたんでち。ちょうど良かったから、二人でここにいるんでっちよん。ねー、エリアス』


 エリアスの肩に乗ったポポは嬉しそうに彼に話し掛けている。


「ここは、今は亡き精霊調香師の工房」


『え! 何を言ってるんでっちエリアス。初耳でちよ、そんな話!』


「調香師?」


 それが私の世界で言う所の調香師であるのなら、想像がしやすい。数多の香料を組み合わせ、新しい香りを生み出す職業だ。

 自分の趣味のポプリ作りともリンクしている事もあり、思わずとも興奮してしまう。


 改めて見渡すと、すり鉢やすりこぎ棒なども置かれているし、大小様々なガラス瓶の多さも調香師の工房だと言うなら納得だ。


「ハヅキの持っている匂い袋の香りが教えてくれた。ハヅキが『特別』を創り出せる事も」


「えっ、このサシェのこと?」


 エリアスは頷いた。

 サシェが通じるか判らなかったけど、エリアスにはちゃんと伝わったみたい。


 首から下げたおばあちゃんのお守り。ドライフラワーを紅茶のティーバックの様な袋に入れ、その上から装飾を施しているものだ。


 ずっと大切に身に着けている。

 おばあちゃんのサシェは私の原点であり目標なのだ。


 残念ながら、このサシェにもうその香りは残っていないのだけれど、幼い頃に嗅いだあの芳醇な香りは今も記憶の中で鮮やかだ。

 いつかあの香りをこの手で再現したい。そう思っている。

 

 それにしても不思議。エリアスの言った「匂い袋の香りが教えてくれた」って、どういう意味なのかしら?


 ん?

 

「ちょっと待って! 今、どうして私の名前――」


 私の胸の鼓動はどんどん高鳴っている。


 エリアスが、その可愛らしく綺麗な顔で微笑んだからだけじゃない。

 彼らとの出会い、そして精霊調香師の工房に何か、言葉に言い表せない巡り合わせを感じた瞬間だった。


 室内に光が瞬く。

 唐突に私の目の前で、それらの現象は起こった。 

 

 すすと埃に覆われていた窓が真新しく塗り替わっていく。


 遮られていた日の光が工房内を明るく照らし出し、射し込む光は室内のすべてを渡る。

 汚れた作業台は磨かれ、金属の錆は落ち、ガラス瓶は向こう側が覗ける美しさを取り戻す。

 微かに聴こえたのは、楽しそうな子供達のはしゃぐ声、でも、姿は見えないの。


「そこに宿る妖精達も、この工房に居る子達もみんな、ハヅキを歓迎しているよ」

「これは、エリアスの力なの?」


 きっとこの工房には命が宿ったんだと、そう思えた。


 日の光にきらきらと輝く。 

 精霊調香師の工房は不思議な少年の力を得、今。

 再び瑞々みずみずしく甦った。

  

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る