第5話「燃える空の果て」

 榊真澄は、銃を分解していた。


 テーブルの上には、乾いた血痕の写真と、仁藤の名前が記された極秘資料。

 情報屋から届いた「アジトの消失報告」は、ただの逃走ではなかった。

 そこには、見せしめとしての残虐性があった。


 “つぎは、きさらぎ”


 それは、榊に対する宣戦布告。


 


 名前の「きさき(如月)」——つまり、燈を狙っているということだ。


 


 榊は迷いなく、夜の“カフェ”へと向かう。

 しかし、店の扉は施錠され、灯りも消えていた。


 仕方なくビルの外階段から非常口へと回る。

 だが、その時——


 階段の踊り場に、何かが落ちているのが目に入った。


 ——血の滴る封筒。


 榊は素早く中身を確認した。中に入っていたのは、一枚の写真。


 《燈が、拘束されている》


 顔は殴られ、口元には血が滲んでいる。それでも目はしっかりと開かれ、カメラの向こうを睨んでいた。


 添えられていた紙にはこう書かれていた。


 《——最後に“お前”が選べ。撃つか、消えるか》


 


 榊はすぐに、情報屋に連絡を入れた。


 「仁藤の拠点、元・港湾倉庫地区に何か動きは?」


 《一つ、気になる件がある。三日前から封鎖された港湾ブロックがある。名目は老朽化修繕。でも実態は不明。

 そこに、最近“名前のない子供たち”が大量に移送されてるって噂がある》


 


 燈の言葉が蘇る。


 《仁藤は、名前を持たない者たちを使う。“人”ではなく、“影”として》


 


 榊は短く息を吐き、車を走らせる。


 かつて警察だった頃、自らの手で闇を葬ろうとしたあの夜。

 拳銃を握った指が震えたあの記憶が、もう一度、今に重なる。


 



 


 倉庫に近づくと、そこはすでに人の気配を失っていた。

 だが、防犯カメラの角度と、外から見える電源ランプの点滅で、「中に誰かいる」ことがわかる。


 榊は黙って裏手から侵入する。

 かつての訓練通り、気配を殺しながら。だが、その静寂を破るように、低く、乾いた声が響いた。


 


 「やっぱり来たな、“きさらぎ”の犬」


 


 仁藤だった。


 闇の奥からゆっくりと姿を現すその男の瞳は、獣のように鋭く光っていた。


 「燈はどこだ」


 「“燈”って名前、あれも俺が与えた。所詮は作り物の魂さ。

 けどな、俺のことを“兄”だなんて呼んだのは、あいつだけだったんだ。今でも可愛いよ。

 だからこそ——壊してやるって、ずっと決めてた」


 


 榊の拳が握られる。だが銃はまだ構えない。

 仁藤は笑いながら続ける。


 「お前もわかってるだろ? 燈が“消えた記録”を持ってるって。

 奴のノート、子供たちの名前、事件のリスト、裏社会の動脈の流れ……全部、あの中にある。

 だから奪うんじゃなくて、あいつ自身を使って“火をつけてやる”のさ。今度こそ、本物の火事をな」


 


 言葉の意味を理解した瞬間、榊の足が勝手に動いていた。


 地下階へ。

 薄暗い通路を走り、奥にあるコンクリートの扉を開け放つ。


 


 そこにいた——


 燈は、拘束されたまま、椅子に座らされていた。

 だが、まだ意識はある。榊の顔を見て、微かに首を振る。


 「……来るな……それ、罠、だ……」


 遅かった。

 ガチャン、と機械の音。空調の異変——


 **火が放たれた。**


 


 四方から煙と熱が押し寄せる。火災用ガスで自動ロックが作動する。

 閉じ込められたのは、榊と燈の二人。


 


 「くそっ……!」


 榊は火元を確認し、袖で口を覆うと燈に駆け寄る。


 拘束を解き、何とか抱き起こす。


 「……榊……なんで来たんだ……お前まで……」


 「理由なんていらねぇよ」


 榊は自分の上着を脱いで燈に被せた。


 「“家族”にされた奴を、俺はもう失いたくない。それだけだ」


 


 燈が微かに笑った。


 「やっぱり、撃てなかったんだな……あの夜も……今も……」


 「そうだよ。俺は、お前を殺すためじゃなく、助けるために来た」


 


 火が迫る中、榊は床の配線を破壊し、通気口の扉を無理矢理こじ開ける。


 薄い光の先に、外への通路。二人はそこへと滑り込む。


 


 炎が爆発する瞬間、背後から吹き上がる熱風に押されるように、二人は外の空気へと転がり出た——


 



 


 救急車の音。消防車のサイレン。

 その隙間から、仁藤の姿は消えていた。


 


 燈は病院のベッドで目を覚ます。

 カーテンの隙間から、朝焼けの色が差し込んでいた。


 枕元には、小さな手帳。


 《これが、最後のノートだ。名前も、過去も、全部ここにある。——好きにしろ、きさらぎ。》


 


 榊は静かに手帳を開き、ページの中の一節に目を留めた。


 


 《誰かが誰かを“選ぶ”こと。

 それがこの街で、最も価値のある“罪”なのかもしれない》


 


 

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