散り行く花に、君を想う

佐渡 寛臣

第1話


  1


「未来が全部、わかってしまうとしたらハルはどう思う?」


 朔夜さくやさんが冗談交じり俺に言った。あどけない笑みを浮かべて、手に持ったカキ氷をしゃりしゃりと崩している。

 俺は、しばらく考えてから答える。


「つまんないんじゃないかな。わかってたら、生きる気力なんかなくなっちまうよ」

「――そうだよね。わかってたら、ダメだよね」

「どうしてそんなこと聞くのさ」

「いやね。もし一部分だけでも未来が見えたなら、私はどうするかなって思ってさ」


 微笑を浮かべ、流し目で俺を見つめ、スプーンをくるくると俺に向けて回す。


「――ハルならどうする?」

「はむかうかな。流されちゃつまんないし」


 そう言いながら、朔夜さんの横顔を覗き見る。朔夜さんがそうしてくれたから、俺は今、ようやく普通にしていられるんだぜ、と言わずに思う。


「そうだよね。つまんないよね」


 朔夜さんは真っ直ぐ前を見つめて、ため息をついた。だるそうに、だけど俺にはそんな朔夜さんの目に決意めいたものを垣間見た。そんな気がした。


  ◇ ◇ ◇ ◇


 引越しの荷物を片付け終え、まだ畳んだばかりのダンボール箱を壁の隅に立て掛け、俺は一つため息をついた。外はもう随分と暗く、街灯の光が丸くぽっかりと浮かんでいた。


「結局まる一日かかったな……」


 そう一人呟く。夕方頃に終わるつもりで片付けていたというのに、物を出すだけで随分時間がかかってしまった。小さな目覚まし時計に電池を入れて、机の上に置き、腕時計を見て時間を合わせる。


「春兄ちゃん、片付け終わった?」


 声の後に、扉がこんこんとノックされた。順序が逆だ、と声には出さずにいつも思うが、もう妹の癖になってしまっているので直しようもない。

 妹の木葉が、扉を開いてひょっこり顔を出した。肩にかかるほどの栗色の髪をふわりと揺れ、丸い瞳がこちらを上目遣いする。


「だいたいな」


 そう答えると、木葉はきょろりと部屋全体を眺め、うんうんと満足げに頷く。


「ちゃんと出来たみたいだね。感心感心―――あたしは下も片付けるけど、兄ちゃんはどうする?」


 どこか偉そうにする木葉に、俺はしばし考えるそぶりを見せ、窓の外を一瞥し、それから答えた。


「―――ちょっと疲れたから少し散歩してくる。別に今日一日で片付けなきゃいけないわけじゃないし、お前もほどほどで休めよ」


 木葉は頷いて、わかってるよ、と言うとくるりと少し芝居がかった様子で踵を返し、部屋を一歩出た。


「―――あ、兄ちゃん、外へ出るついでに何か晩ご飯買ってきてよ」


 思い出したようにこちらに顔を向けずに、木葉は階段を下りる。

 その背を見ながら俺はため息をついた。


「めんどくせっ」


 俺の言葉を耳にした木葉は、ぴたりと足を止めて、ゆっくりとこちらを流し目で睨む。しかしちびの木葉に睨まれたところで、なんら思うことはない。


「――じゃあ、台所、あたしが満足できるくらいに片付けてくれるのかなー?」


 それだったら、私が晩ご飯買いに行くけど。と酷く冷めた様子を醸し出して、木葉はにやりと笑う。自室の片づけを木葉の倍の時間をかけた俺にとって、台所周りの片付けなど当然出来るわけもない。


「オーケー。わかった。――で、何が食いたい?」

「初めっから素直にそういいなよ。んっとね……何でもいいよ。何でも」


 何でもいいが一番困るんだが、と思いながら俺は頷く。


「――じゃあ、『ピーマン満載の何か』にしておくよ」

「ちょ、ちょっと! 何であたしの嫌いなのにすんのよぅ!」


 階段をぴょんと飛び降り、わざわざ振り返って木葉がむっとした顔を浮かべる。いちいちのリアクションが大きいから、木葉を弄るのは楽しい。


「苦手は克服すべきだ」

「苦手じゃなくってキ・ラ・イ!」

「食わず嫌いはこくふ……」

「食べたことあるもん!」


 階段を下りようとする俺を手で押しとめて、相変わらず上目遣いに睨んでくる。むしろチビだから上目遣い以外をあまり見ることがないが。


「――じゃあ『何か満載の何か』を買ってくるよ」


 う、と木葉は言葉につまり、押す手を緩める。そのタイミングで俺は階段を下りきり、木葉の頭をぽんと撫でる。相変わらず、俺には似ずに柔らかい髪をしている。


「な、何かすごく怪しげなものになってるんですけどぉー」

「心配するな、かろうじて食べられるものにしてやる」


 そう言って、玄関に向かい、靴を履いて、扉に手をかけた。


「――変なの買ってきたら、次の晩ごはんは覚悟しとけー」


 背中から、木葉の大声が響き、俺は仕方ないな、とため息ひとつ連れて、外へ出た。




 暗く静かな街を一人で歩く。虫の声と風の音が静かに流れている。

 確か、もうそろそろ十年振りになる。

 俺たち家族がこの街を離れたのは今から十年程前、あの時は確か父さんの仕事の都合だっただろうか。画家であった父さんは、俺たちが小学生に上がると同時に、この街から引越し、それからは日本中を転々とした。もっとも長く暮らしたのは東京だったが、結局そこも一年足らずで引っ越してしまった。


 今回は木葉の高校進学に合わせての引越しだった。それと同時に父さんと母さんは海外に二人で行ってしまった。

 普通、子供を置いて行くやつがあるだろうか。父さんは笑いながら、「たかだか二年だ。正月と盆にも帰るから心配するな」と言い、母さんは「このちゃんをお願いね、ハルちゃん」と暢気に俺の頭を撫でた。


 木葉にいたっては必死の受験勉強の末に合格した高校をふいにしての転入となった。あまりの惨めさに、俺はその時の木葉には声を掛けることも出来なかった。

 とにかく俺たちはそんな感じで、開いた口も塞がらず、流されるまま、この街へとやってきた。


 そう言えば子供の頃からやたらと俺たちに家事全般を教えていたのは、この時のためだったのかと少し納得する。

 以前住んでいた土地がまだそのまま残っていたから、父さんはそこを買い取り、家をわざわざ新築した。今回の海外での活動を終えれば、もうこの地に根を下ろすつもりなのだろう。何年も、同じ場所に暮らした事のない俺たちからすれば、何だかそれは未知のことで、微妙な不安が胸の奥にあった。


 ――それにしても。


 街の風景を眺めながら、記憶の奥底をひっくり返してみるが、まるで覚えのない風景ばかりで、思わず首を捻ってしまう。

 本当に、ここに住んでいたのだろうか。十年という時が、街を大きく変えてしまったからだろうか。それにしても、まったく思い出せずにいる。

 それからしばらくして、遠くに、大きな緑地が見えてきた。目に入った途端、ふっと気温が下がるような感覚がして、緑地の林から涼しい風が流れ、肌を優しく撫でた。


 そして大きな影が見えた。

 丘に見えたそれは大きな木だった。まだ春も半ばだというのに花も葉も一つもつけていない大きな木。それは圧倒的な存在感を有していた。

 いつの間にか俺はその木を目指して歩き出していた。引き寄せられるように林に入り、そして、丘の上へと出た。

 目の前に大きな木がそびえている。どこかで見たことがあるような気がする。ふとそう思い、俺はそっとその木に近づき、触れようと手を伸ばした。その時だった。


 突然に、頭が痺れた。耳の奥に雑音が走り、脳髄の奥から何か熱いものが流れ出すような感覚にとらわれる。ふらつく足が折れ曲がらぬように必至にその痺れに耐える。ノイズの奥から聞き取れない声が囁いてくる。幼い子供のような声だ。

 どくんと一つ、心臓が唸った。血流が全身に走るのが感覚として分かる。どくどくと心臓の鼓動は早まり、やがて落ちつき、痺れはうっすらと消えていった。


 ―――なんだったんだ、今のは。


 頭を軽く左右に振る。まだ頭が少しぼんやりとしている。疲れているのだろうか、大きく息を吸い、緑を含んだ周囲の空気を取りこんで、早まる心臓を落ちつけた。

 落ちついたところで、もう一度その木を見上げた。

 どこか懐かしい感じがした。もしかしたら昔に訪れた場所なのかもしれない。十年という月日は、ずいぶんと多くのことを忘れさせるものだなと思う。すでに十年前の記憶はほとんど欠片も残っていなかった。


 ごろりとその場に寝そべって、その木の枝を見上げた。つんと草の香りが鼻にかかる。やはり落ちつく。

 枝と枝の隙間から星空を見上げ、記憶にないその懐かしさに浸った。

 その時、風が吹いた。そして声が聞こえた。


「久しぶりだね」


 どこか懐かしく、優しい声。俺は立ち上がり周りを見回した。

 少女が木に体を預けて立っていた。こちらに優しく微笑みかけ、ゆっくりと傍まで歩いてくる。長い黒髪が風に揺れていた。

 心がまた何か囁き、鼓動が早くなる。


「さ……さくら?」


 先に言葉が出ていた。思考が後からついてくる。たくさんの言葉の羅列が頭の中をかき回す。昔のこと、約束、孤独、一番の親友、たった一人の幼なじみ……。


 ―――さくら

 さくらさくらさくら。


 彼女の記憶が順々に呼び覚まされていく。いつも一緒に遊んだ。いたずらに付き合ってくれた。孤独を癒してくれた。大切な友達……それがさくらだった。

 次に出す言葉を失っていた。


「本当に久しぶりだね。ここに来てくれると思ってたよ」


 さくらは笑顔で、俺の前に立っていた。


「あ、あぁ、久しぶりだな。十年ぶりだったっけか……」


 突然の記憶の覚醒に、少しの戸惑いと混乱の中、返事を返すと、さくらは心配そうに俺の顔を覗きこむ。


「大丈夫? 何かぼぅっとしてるけど……」

「だ、大丈夫、何でもない……」


 首を傾げて覗き見るその丸い瞳に少し照れて、一、二歩下がって首を振った。

 そう、とさくらはにっこりと笑い、背を向けた。


 戸惑いが、頭の中を支配していた。記憶の奥にあるさくらの顔がぼんやりと頭に過ぎり、消える。随分と、成長しているはずだというのに、その面影は強くまだどこか幼い顔立ちに残っていた。

 俺は腕時計に視線を落とし、さくらに言った。


「さくら……時間も遅いし送るよ」


 くすり、と懐かしい柔らかい微笑を横顔から覗かせて、さくらは答えた。


「必要ないよ。家、隣だしね」


 ―――隣? 昔からそうだっただろうか。思い出せない。


「じゃあ、帰りながら話そうか」


 くるりと振り返ったさくらの長い黒髪がふわりと揺れた。

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