31 都合のいい話

「こっちだ! 来い!」


 パニックにおちいった上に、目もまともにきかないミツハルの聴覚に、聞き慣れた声が飛び込んできた。


 ――コタキだ!

 助けに来てくれたのか!


「コタキ!」

 ミツハルは夢中で走った。焼けてぼんやりした視界に、誰か人影が見える。こちらへ手を差し伸べている。ミツハルも助けを求めて手を伸ばしたが――その人影は、すっと身をかわした。あれっと思ったとき、別の何者かにぶつかった。えらく大柄な人物らしく、がっしりした感触とともにミツハルは、はじき返されて勢いよく尻もちをついた。


 コ、コタキ……にしては、でかくないか……?


「ふぬっ」


 呆然とするミツハルに投げつけられたのは、袋状のものだった。口は閉じられておらず、どろりとした感触の何かが、顔と腹にぶちまけられる。目と鼻と喉を突き刺す異臭がして、ミツハルの口から悲鳴と吐き気がほとばしった。それは極限まで活用されつくした、使用済みのエチケット袋だったのだ。他人の吐瀉物としゃぶつをたっぷりとまき散らされ、自慢のスーツも、手入れを怠らなかった髪も、顔までもが、目も当てられないありさまになってしまった。言語化できない謎の声とともに、ミツハルは文字通りの五官の地獄へたたき落とされ、自分自身までえずき始めた。


「幕引きには間に合ったようだな」

「いよっ、待ってました! 真打登場! 日本一! 大統領!」

「大統領はやめよ、最近良い印象がない」

 無節操に麗人れいとが、わけのわからない言葉ではやし立てる。まだ青ざめた江平えびらが、一部意味不明な異論を挟みながら、戸口を背で塞ぐように立ちはだかり、ぐるりと見回して状況を確かめていた。


 そう、江平がこの場に来たということは――。


 ちょっとどいて、と江平をどうにか押しのけ、スーツの上にコートを羽織ったおじさんたちが、中へと踏み込んできた。私服の警察官たちだった。どうやら、サイレンを鳴らさずに近づいて来ていたようだ。

 乗り物酔いしやすい江平は、友人が心配だからとパトカーに同乗させてもらって、真っ青になりながらここまで来たのである。警察官たちも相当に困ったことだろう。現場に到着し、さすがにエチケット袋を車内に放置するわけにもいかず、さてどうしたものかと思っていたが、これ以上はない二次利用先がすぐに見つかったというわけであった。


     ◯


 ミツハルをはじめとする悪党たちは、御用となった。もっとも、汚物まみれになってしまったミツハルの扱いには、警察もかなり迷惑していたが。

 一時的に失神していたマツシマも、あごをさすりながらどうにか起き上がり、引っ立てられた。


 麗人は入り口そばの、作り付けの棚に近づいた。半グレたちのミニバンから回収してきた、彼自身のスマホが置いてある。借りたままの江平のスマホを操作すると、反応した麗人のスマホから、エンジンや荒い物音などの雑音に混じって、コタキの「こっちだ! 来い!」という叫び声が再生される。綾子あやこ一馬かずま拉致らちされたときの音声を、録音しておいたものだ。――人は、自分にプラスとなる言葉や、大切な人を助けるための言葉を、聞きたがり、信じたがる。都合のいい儲け話、身に覚えのないはずの犯罪容疑から逃れる方法、息子や娘を名乗る人物からの至急の送金の哀願、そして窮地きゅうちに陥ったときの仲間からの呼び声――。コタキが仲間を助けに来られるはずがない。もう警察に捕まっているのだから。ミツハル自身によって見捨てられたために。


「オレ、ちゃんと予告したよね、華麗にだましてあげるって」

「華麗といっていいのかどうかは微妙だな」

「あーら、真の華麗さってのはね、日頃の地道な努力と周到な準備の積み重ねが実って、一瞬だけ咲く至高の花なのよ。二流以上のマジシャンなら、誰でも知ってるハズだけどね。この半グレのお兄さんたちはわかってなかったんだから、やっぱりマジシャンには向いてないよね」


 麗人と黒川くろかわのこのやりとりが、ひとまずのシメとなった。

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