17 暴力団のお勉強

 カジタニに示され、黒川くろかわはがらんとした古い店舗に足を踏み入れた。背後で男の手が、照明のスイッチを入れた。ぱっと明かりがつく。アイボリーに塗られていたらしい壁は薄く汚れ、床はプラスチックのタイルが敷かれて、ところどころ割れている。古い什器じゅうきとおぼしきがらくたが片すみに集められて残っていたが、ほかには何もない。裏手の方角に窓があり、昭和を思わせる模様入りのガラスがはめ込まれていた。光は差し込むが外の様子がはっきり視認できない。

 内部を見渡すのは簡単で、人の気配はどこにもなかった。


「……いねえじゃねえか。おいおっさん、あいつらどこに……」


 言いながらも、背後からの剣呑けんのんな気配には気づいていた。振り向きざま、上体をひねってパンチをかわす。流れで、床の上で片足を引き、体を開いてキックをかわす。さらに追撃してきたパンチは、外腕がいわんで受け流す。さすがに不意打ちの三連撃をすべてかわされ、男は軽く驚いたようだが、反撃に備えて両腕でガードの動きを見せた。その隙に黒川は、武道の足さばきで後退し、相手のリーチ以上に間合いをとる。


「……やるじゃねえかわけえの。タダモンじゃねえな」

 世辞せじではない。カジタニはぽろっと、相手への賛辞をつぶやいていた。この「若えの」はえらく喧嘩けんか慣れしている。若さゆえの勢いは当然だが、踏んだ場数が並みではないと、すぐにわかった。これだけ暴れているガキなら、多少なりとも噂が耳に入って、に誘ってみるかという話も出たはずだが、それらしき前情報に心当たりはない。まさか黒川が、ものごころつく前から両親と引き離され、各地の親戚宅の押し付け合いで転々としていたことなど、知る由もなかった。


「おっさん、どこの組だ? 保育園のじゃなさそうだが」


「若えの」はにこりともせずに低レベルの軽口をまじえつつ、相手の気配に全身のアンテナを立てる。こんなガラの悪い男の、定型文の賛辞にニヤけるほど、黒川はひねくれてはいないつもりだった。そしておっさんの方にも、デキの悪すぎる冗談は黙殺された。


「以前、刃峰会じんぽうかいにいたことがある。もう抜けたがな」

「刃峰会を抜けた?」

 黒川は軽く眉をしかめながら、ブルゾンを脱いで床に放り捨て、Tシャツ姿になった。もこもこした服は動きの邪魔だ。ついでにサングラスも外してポケットにしまった。

「よくもまあ、暴力団を抜けられたもんだな。破門か」

 今度はカジタニが声を出さずに笑うだけだった。


 住民のほとんどが意識していないのだろうが、この市には暴力団の本拠が存在する。それが刃峰会だ。全国に二十数個ある指定暴力団のひとつを頂点とした、四次団体だ。つまり末端である。昔はかなり幅を利かせ、県内の多くの地域に息がかかっていたが、暴力団対策法の施行など、締めつけが厳しくなった現在、末端組織は苦境に喘いでいる。刃峰会も例外ではない。勢力は組事務所の所在地であるこの市とその周辺のみに減退し、しかも影響力そのものが衰えている。現在では、市内に暴力団事務所があることさえ知らない市民が大多数かもしれない。


 暴力団員に給与は出ない。構成員は、各自で稼いで糊口ここうをしのぎ、組織に金を納めなくてはならない。暴力団組織に養ってもらうのではなく、構成員が組織に金を納めるのだ。代わりに、組の代紋を堂々と用いることができるという仕組みである。どうやって稼ぐのかは、個々で考えなくてはならない。もちろん真っ当なビジネスマンにはなれないから、彼らはをむしり取り、薬物の販売に手を出し、産廃業を営み産業廃棄物を不法投棄して処分料をピンハネし、フロント企業を作り、妻や愛人に店を持たせるのだ。しかし今や、それらの「シノギ」も困難になりつつある。一方で、暴力団というのは簡単に「やめます」でやめさせてもらえるところではない。いわゆる「ケジメ」が必要なのだ。


 暴力団は現在、衰退の時代を迎えているといわれているが、原因は複数あって、暴対法、若者が参入せず高齢化が激しい、といった事情のほか、たとえば半グレと呼ばれる若者グループの台頭などもそのひとつだと考えられている。

 しかし衰えたとはいえ、指定暴力団に連なる四次団体である。それでなくとも暴力団は面子メンツの世界だ。刃峰会のさかずきをたたき捨てたという男が、街を離れようとせず、肩身狭そうにしているわけでもなく、それどころか刃峰会の縄張りの中で、得体の知れない若者と組んで新たに何かを始めようとしている。派手に動けば刃峰会が黙っていないことくらい、簡単に想像がつくはずである。それが、なぜこのような動きに結びつくのか。


 もっとも単純な理屈は、次の戦略のための、組公認の除籍である。たとえば暴力団のフロント企業に鞍替えするなどの、偽装脱退のための「除籍」だ。しかしそれなら、とっととフロント企業に身を隠すなり、次の行動を起こしているはずだ。偽装脱退には目的がある。縄張りの中でこんな事件を起こすことが、偽装脱退の目的とは考えにくい。この線ではなさそうだ。


 あるいは単に、暴力団では食えなくなった男が、組織とは直接関係のない、半グレのような若いチンピラと組んだにすぎないのか。今どき、よくある構図らしい。暴力団をやめたと言っても、簡単に堅気カタギの社会に復帰できるものではない。復帰できなくとも食わなくてはならない。半グレは暴力団ではないから、暴対法の規制は受けない。それをいいことに、彼らは暴力団をしのぐ勢いで、裏社会を席巻しつつある。暴力団と違って、加入や脱退に厳しい掟もない。組織からあぶれた元暴力団員にとって、プライドさえおとなしくさせることができれば、半グレ集団というのは新たな就職口として「そう悪くはない」のである。だが、それなら古巣の縄張りから離れた方がもっと都合がよかろうというものだ。なぜ、この街にとどまっているのか。


 ――捷桐会しょうとうかいか。黒川は思い至った。


 四次団体というからには、直系の上位組織にあたる三次団体も存在するのである。刃峰会のすぐ上の組織を捷桐会といった。本部は隣県である。暴力団の構成員それぞれが組織に金を納めるというシステムを組織単位にシフトさせると、下位組織から上位組織への上納金、という流れが容易に思い浮かぶ。下位組織は上納金を払うことで、強く勢いのある上位組織の代紋を借りてシノギができるのだ。これが、末端であろうとも、有力な暴力団の傘下に入ろうとする動機であろう。

 上位組織に金を吸い上げられる下位組織は、あらゆる意味で楽ではない。シノギそのものが規制を受けて困難になっている。上の組織から押し売りされたものは買わなくてはならず、これは上納金とは別扱いだ。支払いを滞らせる組織は珍しくなくなり、暴力団の数そのものが激減した。生活保護を受けている構成員も多い。加えて刃峰会の場合、先代の会長の時代あたりから、すぐ上の捷桐会との関係がこじれている、という噂があった。うかつな抗争を起こせばすぐ警察につけ入られてしまうために表立ったことはできないが、ほぼ冷戦状態であり、実態は刃峰会という組織丸ごと破門寸前だとも、警察の一部や事情通には見られているようである。


 このおっさんは、刃峰会の上の、捷桐会に取り入ったのかもしれない。それなら、彼が捷桐会への手土産として、刃峰会の縄張りを乗っ取ろうとしても不思議はない。あるいは捷桐会の方が、刃峰会の縄張りを乗っ取るために彼に期待したのかもしれない。いずれにしても、もしこの仮定が当たっていれば、刃峰会は上位組織の捷桐会によって面子を潰された形になるわけで、おもしろくないだろう。逆に捷桐会にすれば、失うもののない話である。刃峰会の縄張りが手に入ればもうけもの、自分たちが上位組織に払わなくてはならない上納金も、今より集めやすくなるはずだ。うまくいかなかったり都合が悪くなれば、このおっさんをかくまうなり逃がすなり始末するなりして、とぼけ通せばよい話だ。――あくまで仮説だが、刃峰会の縄張りの中でこの男がでかい顔をしている根拠は、すぐ上の組織である捷桐会がからんでいるというのが、一番無理のない解釈ではないだろうか。もっと上の団体がこんなやり方で茶々を入れてくることはまずあるまい――事態がさらにこじれて大きくならないうちは。暴力団社会の地域勢力図に、変動が生じる兆候だろうか。

 大きく考えすぎかもしれない。しかし、この男が刃峰会を抜けた事情に、捷桐会の横やりが影響している可能性は、否定できないだろう。


 ――暴力団組織と何も関係ない女子高校生をかっさらうことが、組を抜けてまでわざわざやることとは思えねえ。どのみち、このおっさんと一緒に行動しているお仲間は、ろくなやつらじゃなさそうだな。


 黒川は、脳内勉強会を打ち切った。今は綾子あやこサンのことだ、と。

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