第55話 脱出

 ひとしきりして、音がやんだ。

 土埃の中で、耳鳴りが残る。視界も、まだぼやけている。


「――ール……ヒール、ヒール、ヒール……!」


 かすれた声が、隣から聞こえた。見ると、リドが蒼白な顔で、震える手をルガンに向け、必死に回復魔法を唱え続けている。

 ルガンは、私たちをすっぽりと覆うように、四つん這いで踏ん張っていた。肩から血が滴っている。


「ルガン……!」


 私は、急いでUI画面を呼び出し、アイテムボックスを開く。手が震えて操作がもつれる。回復ポーションの小瓶を取り出し、ひとつをルガンの口元へ。もうひとつは、魔力を使い果たしたリドに渡す。


「これ、飲んで! リドも……!」


 ポーションを飲み下したルガンの身体が、かすかに痙攣する。だが、すぐに、その体に力がこもった。


「――おらあっ!!」


 ルガンは雄たけびを上げながら、自分の体を圧し潰そうとしていた瓦礫を、両腕で一気に薙ぎ払った。岩の破片が吹き飛び、空気が流れ込む。


 立ち上がったルガンが、私たちに両手を伸ばす。


「行くぞ」


 その手を取ると、ルガンはグイッと腕を曲げ、私とリドを軽々と引き起こした。


 と、その瞬間――


「ばかもの――っ!」


 リドが、泣きそうな顔でルガンにしがみついた。その腕で、ぐっとルガンの腰を抱きしめる。


「無茶をして……死んだらどうするのだ!」


 ルガンは少し目を丸くして、それから困ったように笑った。


「悪ぃ、でも……」


 ルガンも満更でもなさそうに、でへでへしている。


 とうとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!


「それよりも――ここから出られるのか?」


 ルガンは周囲を見渡しながら、呟いた。


 天井は崩れたとはいえ、空が見えるわけではない。土壁のようなものが積もり、どこまで塞がれているのか分からない。


 ルガンが瓦礫を踏みしめながら、崩落の跡を見上げた。


「まあ、明日まで戻らなかったら、ジヤードが村の連中を連れて、助けに来てくれるだろうが――」


 そう言った声には、楽観よりも、苦笑が混じっていた。


 しかし、この崩壊が完全に止まったとは限らない。今も、時おりどこかで、ぱきっ……と嫌な音がする。


「……できれば、自力で脱出したいな」


 私たちは視線を交わし、再び慎重に辺りを探り始めた。


 ◇


 やっとの思いで遺跡から抜け出たときには、とっくに日が沈んでいた。空には星が瞬き、あたりはすっかり夜の帳に包まれている。


 丘を登り、獣道を進み、泥に足を取られながら、ようやく来た道を引き返す。


 遠くに、ぽつぽつと灯る明かりが見えた。村の明かりだ。


「……腹減った」


 ルガンがぼやく。思わず、私も「うん」と小さく頷いた。リドも無言でうなずいている。宴はまだ続いているだろうか。せめて、漬け物の切れ端でもいいから、何か残っていてほしい。


 村に入り、広場へ向かう。酔いが冷めかけた焚き火の光が、ぼんやりと私たちを照らす。


 ――そして、見えた。


 広場の真ん中に、高く積み上がった“山”のようなものがあった。


 近づくにつれ、それがいびつな三角形を成しているのがわかった。

 そして、それを作っている人影がある。

 荷車に山と積まれたを、一つひとつ抱え上げ、ぐらつく山の上へと黙々と積み上げていく。


 赤く、血のように染まった月が空に昇っていた。

 その光に照らされて見えたのは、積み上げられたのが――人の死体であること。

 そして、その山の頂近くに、ゆっくりと腰を下ろし、最後の“それ”を抱きしめるように積む者がいる。


 ジヤードだった。


 静かに、あまりにも自然に、その場の空気と溶け合っていた。


「なにを――しているんだ。ジヤード」


 ルガンが茫然と呟いた。


「これは……いったい。なんだ……」


 目の前にあるのは、間違いなく――大量の“村人”の死体だった。


 男も、女も、年寄りも、子どもも。顔見知りの者も、そうでない者も。

 父も母も兄たちも――。

 皆が赤黒く染まり、静かに折り重なっている。

 現実感がない。なのに、鼻を刺す血の匂いと、ぬめりとした空気だけが、生々しく、確かにそこにあった。


「何があったんだジヤード!! なにかの襲撃があったのか!?」


 ルガンの叫びに、ジヤードが振り返った。


 その表情は――驚き。だが、それは悲劇を目にした驚きではなく、予想外の出来事に遭遇した驚きだった。


「……あそこから、出られたんですか?」


「……どういう、意味だ?」


 ルガンの問いに、ジヤードはほんのわずかに首を傾げた。


「まさか、生きて帰ってくるとは……思っていませんでした」


「……なにを言ってるんだ。まさか、お前が……? なんで……どうして!?」


 思考が追いつかない。喉が焼けるように痛い。心臓の音が耳元で聞こえる。


「説明が……欲しいですか?」


 ジヤードは、いつものように、穏やかな青年の顔をしていた。


「儀式の準備をしているんです」


「なんの――ために……?」


 ルガンの声は震えていた。けれどジヤードは、その問いに答えなかった。

 まるで、そんな言葉は聞こえなかったかのように。


「月が、綺麗ですね」


 死体の山を照らす大きな赤い月を仰ぎ、ジヤードがぽつりと呟く。


「ああ――あの日、僕が見たのは、こんな月だった」


 その声は、夢でも見ているように、柔らかく凪いでいて、優しかった。

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