第44話 山間の村
焚き火に水をかけ、パチパチと音を立てて消えていく炎を見届ける。濡れた灰を掘り返して土をかぶせ、リドは周囲の落ち葉まで丁寧に払い落とした。
私はテントを分解し、洗って乾かした鍋や調味料、寝袋や調理台などをアイテムボックスに次々と仕舞った。
ジヤードは大きなリュックを背負い直し、肩のベルトをぐっと引いた。その中には商品と商人の誇りが詰まっているのだろう。いつもどこか重そうに見えるのに、決して手放そうとはしない。
「準備は整ったか? ――行くぞ」
ルガンの出立の声を合図に、私たちは森の中の野営地を後にした。
しばらく山道を進んでいると、道の先に土砂が崩れた跡が見えた。木々が倒れ、岩が転がっている。
「……通れねえな、こりゃ」
やむなく迂回路を探し、私たちは道なき道を登っていく。岩肌に手をかけ、ぬかるむ土を踏みしめ、木の根を掴みながら歩く。
やがて、視界が開けた。
山の谷間に、ぽつりぽつりと屋根が見えた。
あれは――村だ。
風に揺れる木々の向こうに、ほのかに煙の上がる集落がある。
道標も見当たらないその場所に、人の気配が確かにあった。
「……こんな場所に、村が?」
ぽつりと呟いたルガンの言葉に、私たちは立ち止まり、山道の高台から村を見下ろす。
「ルガンでも知らないのか?」
不思議そうに呟くリドの声に、私たちは、しばしその光景を見下ろしていた。
「いやあ、こっちの方は来たことが無ぇからな」
険しい山道と崖崩れのせいで、偶然たどり着いたその場所は、まるで外界から隔絶されたように静かだった。風の音さえ、どこか遠くに感じる。
ジヤードがじっと村を見つめながら呟いた。
「……行ってみますか?」
その言葉に、ルガンがニッと笑って頷いた。
「よし。イレギュラーなことを楽しんでこそ、旅の醍醐味ってもんだしな」
私たちは、視線を交わすと、ふたたび歩き出した。
大地を踏みしめる足音が、やけに大きく耳に残る。
木々の合間を縫うようにして、私たちはゆっくりと村へ向かって進んでいった。
◇
谷間の村へと続く小道は、苔むした石畳が途切れ途切れに残っており、長いあいだ外からの往来がなかったことを物語っていた。
木々の隙間を抜け、私たちは村の入り口へと足を踏み入れる。
そこには、懐かしさを感じさせる、素朴な人間族の村の風景が広がっていた。
板葺きの屋根、木組みの建物、井戸のある広場。家々の壁には色とりどりの布飾りがかかり、広場の一角には屋台らしき骨組みが並び始めていた。
子供たちが花輪を手に走り回り、年配の女性たちは笑いながら大鍋をかき混ぜている。村人たちの顔には張りつめた様子はなく、穏やかで、どこか楽しげだった。
ルガンが村の広場らしき場所で、頭上を見上げ、呟いた。
「……あれは、祭りの飾りか?」
広場には、赤と金の染め布が風に揺れていた。
染料は自然から採られたものだろう、陽の光を浴びて、褪せた色合いが逆に風格を感じさせた。
「明日は ”感謝の灯” の日なんです」
声のした方を振り向くと、年の頃なら十八か十九、亜麻色の髪を三つ編みにした少女が立っていた。生成りのワンピースに、刺繍入りのエプロン姿。恥ずかしそうに微笑みながら、私たちを見ている。
「外からのお客さまですね? もしよければ、お祭りにご参加ください。今日は前夜祭なんです。お料理も、お酒もたくさんありますよ」
「それは楽しそうだな」
ルガンが早速乗り気になる。
「申し遅れました。私は村長の娘で、エマと言います。宿の件ならご心配なく。今日は、ぜひ我が家へ。部屋数だけはありますので」
そう言って、エマは柔らかく微笑んだ。
広場にはすでに木のテーブルが並び、村人たちが賑やかに料理を運んでいた。
焼いた肉の香りや、蜜酒の甘い匂いが漂ってくる。
案内された四人掛けのテーブル席に座ると、村の男たちが笑いながら、酒の角杯をこちらに差し出してくる。
「旅人さん方もどうです? この谷に足を運んでくれたことに、乾杯!」
「おう、遠慮せず飲め! 灯の夜に客人が来るのは、吉兆って話でな!」
私たちはそれぞれ、杯を受け取った。
私は目の前の宴に目を細めながら、ふと、風に揺れる金布の下、どこか張り詰めた空気があるような気がして――少しだけ、胸の奥に引っかかりを覚えた。
◇
差し出された角杯に口をつけると、蜜酒のような甘い香りが鼻をくすぐった。
ほどよい酸味と、舌に残る苦みが癖になる味だ。運ばれてきた焼き串や穀物の蒸し料理も、素朴ながら味わい深い。
ルガンはすでに村人たちと囲炉裏端で意気投合し、腕相撲が始まっている。
焚き火の赤い光に照らされて、笑い声が広がっていた。
その賑わいから少し離れた高台――祭りの中心らしき場所に、一際目を引く存在がいた。
華やかな刺繍が施された衣を身にまとい、銀の飾りが髪に編み込まれている。
淡く光る装飾布に包まれ、夜の焚き火に照らされたその姿は、まるで神前の巫女のようにも見える。
私は、ちょうど酒を注ぎにやって来た村長の娘――エマに尋ねた。
「あの人は……?」
エマは視線をその人物に向け、柔らかな笑みを浮かべた。
「ああ。あの人は、私の幼馴染で――供物です」
「供物――!?」
思わず、聞き返してしまった。
隣のリドが喉を詰まらせて、ゴホゴホと咳き込み、向かいのジヤードは、尻尾をぴたりと止めたまま、表情を動かさずにエマを見つめている。
生贄……なのか?
いや、供物って、そういう意味だったけ?
「はい。神に捧げるための、尊い存在です。
この地を守る神様へ、毎年ひとつ、命を手向けるのが習わしでして……」
エマの声は、あくまで穏やかだった。
まるで四季の移ろいを語るように、自然で、当たり前のことのように。
なのに、耳に残るその言葉は、確かに――“命を手向ける”と、言っている。
「私の母も一昨年、供物として捧げられました。誇れることです」
私たちは言葉を失った。
それでも、エマの表情は変わらない。柔らかな笑みを湛えたまま、続けてふわりと口を開く。
「そうだ……。もしよろしければ、村の神様を見ていかれますか? 今からでもご案内できますよ」
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。酔いが、まるで霧のように一気に引いていく。リドもジヤードも、視線を交わし、小さく頷いた。
確かめなければと、思ったのだ。
立ち上がって歩き出す私たちに、ルガンが声を掛けてきた。
「あれ。お前らどこか行くのか?」
村人たちとすっかり馴染んで、腕相撲の真っ最中だったルガンが、こちらに手を振っている。私は振り返って、肩越しに答えた。
「ルガンは、そこで腕自慢してて。すぐ戻るから」
「お、おう? なんだよ、水臭ぇな~!」
ルガンが笑って手を振るのを背に、私たちはエマのあとを追って、村の奥へと、足を踏み出した。
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