第38話 嫌疑

 翌朝――。


 がんがんと頭を打ち鳴らす鈍い痛みに、私は顔をしかめた。二日酔いのせいだ。

 まぶたの裏で、昨夜の宴と、ルガンの泣きっぷりが走馬灯のように流れていく。


「……うぅ、頭が割れそう……」


 そんな私の呻き声をかき消すように、部屋のドアがどんどんと叩かれた。

 驚いて跳ね起きると、外から聞こえてきたのは、誰かの怒鳴り声だった。


「起きているか! 直ぐに一階に降りて来い!」


「……なにごと?」


 私はぼんやりとした意識のまま、隣で唸るリドに、二日酔いに効くポーションを一本手渡す。


「飲んで。効くはず……」


 二人でポーションを流し込むと、じわじわと痛みが治まってくる。


 私は、部屋の扉を開けた。すると、ちょうど隣の部屋から出てきたルガンとジヤードと鉢合わせた。


 二人とも寝ぐせのまま、目を細めてこちらを見る。特にジヤードは、目の下に濃いクマをつくり、げっそりした顔でこめかみに手を当てていた。尻尾の先も、だらりと床に付いている。昨夜の酒が残っているのだろう。


「……なにかあったのか?」


 ルガンが、はだけた胸元をぼりぼりと掻きながら、大きな欠伸をひとつ。

 そのまま眠そうな目を私に向け、ぼんやりと尋ねてきた。


「さあ。外が騒がしいけど、詳しいことはまだ……二日酔いのポーション、いる?」


「俺は平気だ。ジヤード、いるか?」


「……いや、僕も大丈夫です」


 ジヤードは小さく首を振り、深くため息をついた。


 ◇


 宿の一階には、宿泊客全員が集められていた。

 重たい沈黙の中、ざわめく声が小さく響いている。


 私は、宿屋の旦那さんにそっと声をかけた。


「……なにがあったんですか?」


「客が……ひとり、いなくなったんだよ」


 旦那さんは声をひそめる。


「ウッドエルフのご夫婦で旅をしていたんだが……昨夜、奥さんが『トイレに行く』と言って部屋を出たきり、戻ってないらしい」


 そう言った宿屋の旦那の顔には、まだ混乱と不安が色濃く残っていた。


「夫は声をかけられたあと、すぐにまた寝ちゃったらしくてな。朝になっても戻ってないことに気づいて、慌てて探し始めたって話だ」


 夫は、人間族でいえば、二十代に見えた。だが、消えた妻の見た目は、三十代くらいだったという。実際、妻のほうが三百歳ほど年上だとも聞いた。


 騒然とする中、宿の手配で、客はひとりずつ別室に呼ばれ、事情を聴かれることになった。


 私の順番が来て通されたのは、宿の一室を仮設の尋問室にしたような部屋だった。質素な机を挟んで、軽鎧に身を包んだ若い兵士と、筆記用の羊皮紙を抱えた文官が待っていた。


「昨日の晩、夜更けまで酒場におられたとか?」


「はい。私たち四人で飲んでいました。リドと私は、途中で眠くなって、先に部屋に戻ったんです。その、失踪したという女性の姿は……見ていません」


 兵士は一度、眉をひそめてから、次の質問を口にした。


「ふむ……。では、連れのお二方は――?」


「ルガンとジヤードですか。私たちが部屋に戻ったあとも、ふたりで飲んでいたようですが……。酒場が閉まる頃には部屋へ戻ったと思います」


 あとでルガンに聞いた話では、部屋でもふたりで酒を続けていたらしく、気づけば話しながら、そのまま床に倒れ込むようにして寝てしまったという。


「立ち上がれないくらい、ぐでんぐでんだった」と、笑っていた。


 ジヤードは商人ギルドで、もう何十年も実績があり、信用のおける人物だと、事情聴取だけで即座に解放された。


 一方で、ルガンは嫌疑をかけられ、正午過ぎまで拘束されていた。

 しかもまだ、身の潔白が証明されず、思いがけずこの町に、足止めをくらう形になってしまった。


「すみません、前の町で仕入れた在庫を捌きたいのと――それに、こちらでも少し仕入れを。夕方までには戻ります」


 そう言って、ジヤードは宿を後にした。


「私たちは観光でもしてくるわ」


 疲れ切ったルガンの気を少しでも晴らそうと、リドと私は左右から彼の腕を取り、無理やり、町の通りへと引っ張っていった。


 まずは、屋台で遅い朝ご飯――というには、もう昼を過ぎていたが――をとることにした。

 焼き立ての肉まんと、香草入りのスープ。それを頬張りながら、私たちはようやく落ち着いた息を吐いた。


「それにしても、ルベルタでも似たような事件があったって、リド言ってたでしょ……まさか、その犯人が、こっちの町にも?」


 私がそう言うと、リドが眉をひそめた。


「宿屋のトイレって、匂い対策のために建物の外にあるんだよね。だったら、怪しいのは宿泊客だけとは限らないな」


 リドの言葉に、ルガンがむっとした顔で頷く。


「これはもう、俺たちで犯人を見つけるしかねえだろ。俺の潔白が証明されなきゃ、どのみちこの町から出られねえんだからよ」


 拳を握るルガンの横で、私はそっと頷いた。

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