第15話 デートの続き

 外に出ると、街はすっかり夜の装いをまとっていた。


 アルは結局、紹介された宝飾品を全部買った。私のために――。

 私の指に嵌められた指輪は、そのまま持ち帰りで、それ以外は、後日、邸に送られることになった。


 街道沿いには、灯籠のような魔法のランプが並び、柔らかな光で石畳を照らしている。空には、無数の星が輝いていた。ここは空の上。見上げれば、星も月も近い。


 広場では、楽団が演奏を始め、人々が笑いながら踊っている。


「僕たちも踊ろう」


 そう言って、アルがふわりと私の手を引いた。


 人々の輪の少し外れ、広場の片隅。アルはゆっくりと私の腰に手を回し、もう一方の手で私の手を取った。


「踊ったことはある?」

「ない……かも」

「それなら、僕がリードしよう」

「でも、なんか――こういうの恥ずかしい」

「だったら、ほら。僕だけを見て。詩織」


 そう言ってアルは、私の体を引き寄せた。

 その瞳は、春の夜空のように澄んでいる。吸い込まれそうな輝きに、私は自然と視線を奪われる。


「ほらね? 大丈夫――世界には今、詩織と僕だけ」


 アルの声は、夜風よりも柔らかく、私の鼓膜を撫でた。


 優しくリードされ、私は一歩、また一歩と踏み出す。


 私の足取りはぎこちなかったけれど、不思議と安心できた。アルの腕の中では、足元の不安も、心のざわめきも、すべてが溶けていくようだった。


 ワルツの旋律が、空気を揺らす。

 月明かりの下、回るたびにドレスの裾が舞い、オパールの指輪が瞬いた。


「ねえ、アル」

「うん?」

「私……こんなに楽しいの、初めてかも。ありがとう」

「僕もだよ。それに、こんなふうにきみがそばにいてくれるだけで……僕の心はこの星空よりも、ずっと輝いている」


 そう言って、足を止めたアルが、そっと私の額に口づけをした。

 優しくて、あたたかくて――まるで、星の祝福のようだった。


 ◇


 ワルツを踊ったあとは、街中を走る馬車に乗って、浮島の高台にあるレストランへと向かった。

 その建物は、古い聖堂を改装したもので、外壁には蔦が絡み、尖塔の上には風見竜が静かに月を見つめていた。石造りの門をくぐると、重厚な扉の向こうから、低く響く弦楽の音が流れてくる。


「ようこそお越しくださいました、閣下。ご準備は整っております」


 出迎えた執事風の給仕は深々と頭を下げ、私たちを特別室へと案内する。


 天井の高い室内には、魔灯の明かりがシャンデリアのように浮かび、壁には年代物の絵画と紋章。

 窓の外には、浮島の夜景と星の海が広がっていた。


 用意されたテーブルには白いクロスが掛けられ、純銀のカトラリーと水晶の器が並ぶ。

 テーブルの中央には淡く光る花――“夜香草” のアレンジが置かれ、その香りが穏やかに漂っていた。


 料理は、紅玉のスープに始まり、月樹茸と花根菜のグリル、そしてメインは天空牛のロースト。デザートは白桃と月蜜のケーキだった。


 一品ずつ、給仕が丁寧に説明を加えながら運んできた。


 柔らかな音楽と魔灯の光の中、アルの瞳が私をまっすぐに見つめていた。


 料理の味は、どれも上品で――けれど、よく覚えていない。

 ただ、目の前にいるアルと交わすひとつひとつの言葉と視線が、胸に焼き付いていた。


 ――ワインを飲み終える頃には、夜もすっかり深まっていた。


 店の外へ出ると、夜空に満ちた星が、まるで降り注ぐように瞬いていた。

 私はそっと、アルの腕に寄り添った。その肩に、アルの外套がそっと掛けられる。


「帰ろう」

「うん」


 羽のある馬が引く馬車が、滑るように夜の空を進む。


 遠ざかる灯りを背に、私は今日という時間が、きっと一生忘れられない記憶になるのだと、胸の奥で確信していた。


 アルを、今以上に好きになってしまってもいいのだろうかと、私の心は揺らいでいた。


 ◇


 翌朝、ダイニングホールに行くと、アルが珍しく遅れてやって来た。

 眠たそうに目をこすりながら、欠伸まじりの声で「おはよう」と言い、当然のように、私の額に軽いキスをする。


 私は恥ずかしくて、もう朝食どころではなかった。

 それでも、なんとか手を震わせずにパンをちぎり、紅茶の最後の一滴まで辿り着いたころ、アルもティーカップをソーサーに戻した。


「今朝は、図書館に用事があるから、一緒に行こう」


 カップの縁に残る薄い紅茶の跡を見つめながら、私はこくりと頷いた。



 部屋に戻って身支度を整え、アルの執務室へ向かう。

 扉をノックすると、すぐに返事があった。


「どうぞ」


 私は部屋に入り、扉を閉める。


 アルは、ペンを持つ手を止め、視線を上げた。そこに私を見つけて、ふわりと微笑む。椅子を引く音も柔らかく、彼はゆったりと立ち上がった。

 そして、迷いのない足取りで私のもとへと歩み寄り、何の前触れもなく、私をそっと、けれど確かな強さで抱きしめた。


「……唇に」


 アルが、私の耳に息が掠めるほどの距離で呟く。


「キスしていい?」


 低く囁かれるその声に、肩がぴくりと跳ねる。


 確かに、最初の出会いでキスはした。したけど、あれはいろんな意味で不可抗力で、事故です。


「だめ」


 はっきりと返すと、アルはほんの少しだけ頬を膨らませた。


「でも……このままじゃ抑えられない」


「でも、だめです」


 言い切ると、アルは一瞬、何かを諦めるように目を伏せた。けれど――すぐに、ふっと息を吐いて、静かに私の背後に回り込む。


 背中に感じる体温と、肩を包む静かな抱擁。耳元でまた、アルが囁く。


「じゃあ、行こうか」


 どこへ――!? ああ、図書館だっけ。それにしても――


「あの……、くっつく必要は、あるの?」


「あるよ。きみの転移で飛ぶんだから」


 だからって、肩に手を置くとかでいいのでは? と思いながら、私はくうをタップした。UI画面が現れると、アルは私の右手に、自分の右手を絡めた。

 私が抵抗しないのをいいことに、そのまま、私の指を持ち上げて、『ゲート』を触らせる。


 飛ぶ瞬間、気のせいかもしれないけど、アルが私の首筋に、キスをした気もした。きっと気のせいだ。


 景色は直ぐに変わった。

 図書館に着いたのだ。


「おや、閣下。こんな朝早くにどうされたんですか?」


 ラビンが丁寧な声で迎える。


「ごきげんよう、ラビン。実は、きみに少し頼みたいことがあってね」


 アルは、ラビンに挨拶したあとで、私の目を見つめながら言った。


「詩織、きみにも聞いてほしいんだ。……その、きみに――嫌な思いをさせた輩についてだが……」


 言いにくそうに言葉を選ぶ様子に、アルの誠実さが見える。

 それは、あのリザードマン討伐の時の、あの二人のことだ――。

 アルは慎重に、私の心を気遣うように言葉を継いだ。


「冒険者ギルドに提案しようと思うんだ。パーティーを組む際、信頼のおける者を紹介してもらえるよう、仕組みを改善できないかと。……ただ、D級の詩織がひとりで訴えても、ギルド長が聞く耳を持つとは思えない。あの体制は、きっと長年、それでよしとされてきたのだろう」


 言葉を切り、アルは少し視線を遠くにして続けた。


「けれど、竜人であり、公爵の立場である僕がわざわざ出向くのは、さすがに、大ごとになりすぎる。だから……ラビン。きみに頼みたい」


「――ああ~、なんとなくわかりましたよ閣下」


 ラビンは、溜息を吐いて肩をすくめた。


の付き添いをしろ、ってことでしょう?」


「そうなんだ。話が早くて助かるよ」


「ちょっと待って、付き添いって――どういうこと?」


 私が口を挟むより早く、ラビンの体がふわりと煙に包まれた。ぽわん――と音がしたかのように見えた次の瞬間。


 煙の中から現れたのは、アルと同じくらい長身の、体格のしっかりした男性。

 髪型は、短めの黒髪。前髪は斜めに流れて額の一部を隠しつつ、鋭い目元を際立たせている。その佇まいは、品の良い、どこぞのご子息様だ。


 だが、スカート丈がくるぶしまであるメイド服を着ている。しかも、猫耳と尻尾が生えていた。


「ラビン……なの?」


「だったらなんだ?」


 少し頬を赤らめて、そう言った口の両端には、竜人とはまた違う、長く細い牙が見える。


 目の前のメイドが、ラビン――?

 私の足元をちょろちょろ歩いて、アルの脚にすりすりしていた、あの……?


 ラビンって、獣人だったの!?

 ていうか、メイド服って何!? 確かに、猫姿の時もメイド服は着てたけど――!!

 長身の、肩幅少し広めの、腰が引き締まった、イケメンで、猫耳の、尻尾の生えた、メイド――!?


 この世界には変態と変態と変態しかいないの――!?


 はっ……!

 やだ、変な妄想が……頭から離れない!!


 私が口元を押さえて赤くなっていると、アルが少し困ったように笑いながら、優しく言った。


「では、あとは任せたよ、ラビン。僕はそろそろ公務に戻るとしよう。詩織、またあとでね」


 軽やかな笑みを残し、アルは邸に繋がる図書館の扉を通って立ち去った。

 ラビンはアルを見送ると、私を見て、にやっと笑みを浮かべた。


「なんだ詩織。俺を見て、エロい妄想でもしているのか?」


 そう言いながら、首を傾げて髪をかきあげた。その仕草が妙に色っぽい。


 妄想はしたけど、それは私のせいでは決してないはずだ。

 ないはずだ――!!


 私が頭の中をぐるぐるさせているのをしり目に、ラビンは図書館の奥へと歩いて行った。


「じゃあ、俺は剣を取ってくる。使わないにしても、一応な」


 ラビンはそう言って片手を上げた。


 だが、戻ってきたラビンは、何も持ってないように見えた。

 尋ねると、スカートを両手で摘まんで、裾を持ち上げる。


 真っ直ぐで綺麗な脚には、黒の網タイツ。両腿に巻かれたベルトには、鈍く光る双剣――まるで包丁のような剣が、携えられていた。


 もう、なにを見ても驚かないさ。

 この世界は、そういうものなのだ。

 

 私は小さく息を整え、意識を切り替えるように一歩踏み出す。


「――ルベルタ王国近隣の森、ゲートオープン」


 手をかざすと、壁に淡い光の門が開いた。

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