幕間 身勝手な男のはなし

0-1

『時々俺は、何のために生まれてきたのかと、思うことがある』


 ――あいつには弱音ばかり、聞かせている気がした。









 あいつが振り上げた腕を押さえつける。ジタバタ暴れる足は、組み敷いた体に少し体重をかけただけで、おとなしくなった。時間にして五分ほどだったろうか。それだけで、雪は力尽きた。


「もういいか?」

「……!」


 ぜいぜいと苦しそうな呼吸を繰り返しながらも、雪は気丈に俺を睨みつける。

 そうだな、これは愚問だった。返事があってもなくても、してくれと言われても、やめろと言われても、俺は結局自分がやりたいようにやるのだから。だから粛々と、俺は雪の服を脱がし始めた。


「いや……っ!」


 恥ずかしそうに身を捩るその仕草に、表情に、ゾクゾクする。

 誰にも言ったことはないが、俺は女が嫌いで、だが、こいつのことは好きだ。









 確かあれは、俺が十四のときだったはずだ。

 父上が病を患い、床から出られなくなってしばらく経ってからのこと、俺は「後宮内作法」とやらを引き継ぐことになった。

「後宮内作法」。偉そうな名前がついているが、要は後宮の寵姫たちをどう扱えばいいのかだとか、もっと平たく言えば、セックスの仕方を教示致します、ということだ。

 なぜ急に後宮のことなど学ばねばならぬのか。考える間もなく察しがついた。父上の死期が迫っているのだ。あの男が死ねば、俺が帝位を継ぐことになる。後宮も含めて、だ。

 ちなみに後宮の中の女たちは、皇帝が代われば、一斉に入れ替えられる。父と息子が同じ寵姫と交わるなど、あまりにおぞましいからだ。

 ――あの日のことは、今でも忘れることができない。

 後宮の本屋敷の、照明を落とした薄暗い部屋の中央には、畳が何段も重ねてあった。てっぺんには布団が敷かれていて、それが即席の教壇というわけだ。周りは、医師や学者たちがぐるりと取り囲んでいる。俺には懇意にしている清田 真百合という女医がいるのだが、そこに彼女の姿はなく、ホッとしたのを覚えている。性的な事柄に関わる場で、親しい知り合いに同席されるのは、あまりにこっ恥ずかしいからだ……。

 台の上には、一糸まとわぬ女が正座し、俺を待ち構えていた。青白い肌をした痩せた女だった。そして周囲に待機していた人々に促され、俺がおっかなびっくり台に上がると、それが合図のように、女は突然足を開いたのだ。

「初対面の男に、自分の恥ずかしいところを見せる」という、あまりに不自然な動作のはずなのに、女はやけに自然に、流れるよう動いた。まるでゼンマイを巻かれた直後の、カラクリ人形のようだった。

 俺は興奮するよりも、気味悪さが先に立ってしまい、そうなるともう駄目だった。

 耳から入ってくる学者たちの講義も、嫌悪感に拍車をかけた。平坦な調子で語られる、女体の仕組みや性周期についての説明――いや子作りそのものが、何やらオドロオドロしい儀式のように思えてならなかった。

 嫌な汗をダラダラと流しながら、俺は無表情なその女と対峙し続けた。本来なら実地訓練を兼ねて、衆人環視の元、俺はその女と契ることになっていたのだそうだ。だが俺のイチモツは役に立たず、事なきを得たのである。

 これが俺の初体験「未遂」の顛末で、このことがきっかけで、俺は女という生きものに幻滅したのだった。

 あのときの女の顔はすっかり忘れてしまったが、彼女の視線がずっと虚空を漂っていたことだけが、妙に心に残っている。

 ――後宮の女は、みんなこうなのか。

 このときの女と実際の寵姫は別物なのだろうが、だが本質的には同じだろう。

 皇帝という位を持つだけの、愛してもいない男に足を開き、子種をとせがむ。その様は犬が餌をねだるのとどう違うのか。

 そんな女を抱けと? 俺がこれから先、皇帝としてこなさなければならない行為は、こんなにつまらないものなのか。

 ――時間の無駄だ。

 歳相応にあった異性への興味も、この件のせいですっかり失せてしまった。

 父上が亡くなって新たな後宮が作られても、俺は一度もそこに出向くことはなく、今日(こんにち)に至っている。

 ――そうだ、女を抱くなんてつまらないと思っていたのに。

 今は狂ったように、あいつを求めている。









 愛撫が佳境になると、再び雪樹の、無駄な抵抗が再開される。終わるのを待ってやってもいいが、いい加減面倒くさいから、今度は強引にあいつの足を押さえつけた。


「やっ……! く、国の長たる皇帝陛下がっ! このようなことっ! 恥ずかしくないんですか!?」

「ないな」

「……! あ、あなたはそれでいいかもしれませんが、ご家族のことを考えてください! 自分の息子が、女性を手籠めにするような人間だと知ったら、ご両親は泣きますよ!」

「いや、別に」


 強がるつもりもなく、ごくごく普通に俺は答えた。

 父上は朝から晩まで後宮に入り浸り、酒色に耽っていたダメ人間だ。そんな男に、俺の行動をあれこれ言う資格はない。

 母上は、俺には無関心だ。あの人の胸中にあるのは、常に自分自身のことだけである。むしろ俺が非道なことをすればするほど、「鬼畜な息子を持った可哀想な母」という境遇を、楽しんでくれるのではないか。

 ――そう、母上。彼女は息子から見ても美貌の人だと思う。儚げで守ってやりたくなるような、そんな女性だ。だから幼い頃の俺は母上を幸せにしてやりたいと、とりあえずは立派な皇帝になるべく、勉学に励んだものだ。そんな俺を、しかし母は形ばかりは褒めてくれるが、積極的に構ってはくれなかった。

 生まれたときから引き離され、俺たち母子(おやこ)は週に一度ほど顔を合わせるのだが、あの人はそれすら億劫そうだった。そんな彼女を見て、俺はある日ふと気づいた。

 この人には他者への愛情がない。母は母自身が何よりも好きなのだ。そして母上は、今のままでいるのが一番幸せなのだろう、と。

 婚約者を殺した憎き皇帝の寵姫となり、汚され、子を産んだ。

 皆にカワイソーカワイソーと同情されているときの母上は、表情こそ憂いでいても、光り輝いて見える。

 悲劇の皇太后。母にとって周囲の同情と関心を集めるその座は心地良く、退きたくはないのだろう。――だから、放っておくのがいい。

 もっとも俺だって、母上のことをとやかく言えない。不満だらけの現状を変える努力もせず、そんな日々に甘んじているのだから。そのくせイライラした態度だけは取るのを、そういえば雪に、何度も叱られたものだ。

 ――それにしても、セックスの最中に肉親のことを考えることほど、萎えるものはない。

 誰のせいで、こんな気持ちの悪い想いをしなければならないのか。発端となった雪樹には、たっぷりお仕置きしてやらねばな――。




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