第30話『天、いたずらの理由』

 天(テン)は、白い体に黒い水玉模様がぽつぽつと浮かぶ、ダルメシアンの男の子。

 まだ一歳にも満たないけれど、体はもう立派で、足もひょいひょいと長い。

 だけどその瞳の奥には、まだ子どものような繊細な光が揺れている。


 


 破壊行為は、ある日突然始まった。

 最初は、ティッシュの箱だった。

 留守番から帰ると、ふわふわの紙が部屋じゅうに舞っていた。

 まるで白い花びらの嵐。美しさよりも、その意味に戸惑った。


 


 「……テン?」


 


 その声に、テンは目を逸らした。

 だけど、吠えもせず、ただしゅんと項垂れた。

 耳を伏せ、しっぽだけが、小さく揺れていた。


 


 次の日は、クッション。

 さらに次の日は、ソファーの肘掛け。

 そしてついには、壁紙が鋭く剥がされ、爪と歯の跡がくっきりと残った。


 


 怒ってしまったこともある。

 「ダメでしょ!なんでこんなことするの!」

 けれどテンは、ただじっと、何かを飲み込むように静かだった。


 


 どうしてこんなことをするのか——

 飼い主は考えて、ある日、ペットカメラを設置してみた。

 仕事の合間にスマホで部屋の様子が見られるように。


 


 すると、映像の中で、夕方になるころテンは静かに鳴いていた。

 「クゥーン……クゥーン……」と、何度も。

 誰もいないリビングで、ドアの方を見つめて鳴き続けていた。

 そのあと、少しうろうろして、ソファの角に前足をかけた。


 


 ——そうか。

 寂しいんだ。

 ひとりきりの静かな時間に、テンはどうしていいか分からず、

 ただ、なにかを壊すことで、誰かの気配を感じようとしていたのかもしれない。


 


 「自分はここにいるよ」

 「寂しいよ」

 その無言のメッセージが、ようやく聞こえた気がした。


 


 それから、飼い主は少しずつ工夫をはじめた。

 長いお留守番をさせなければならない日は、

 出かける前に大きめの固い骨のおやつを与えた。

 噛むことで落ち着くようで、破壊の衝動も和らいだ。


 


 それでも、たまに噛み跡の残るクッションがある。

 でも、それを見つけてももう怒らない。


 


 テンは、寂しさを壊して、誰かを待っていただけ。

 その気持ちに寄り添えた今では、そんな小さな痕も愛しい。


 


 いたずらの理由。

 それは、きっと——

 「大好き」の、裏返しだったのだ。


 


 その名前を、夕方の風がふわりと運ぶ。

 「テン」とやさしく呼びかけるように。

 誰にも見えない記録帳に、その名がそっと記された。

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