第五話 異世界オブザデッド

 よろよろと、ぞろぞろと、蠢く群れはまるで夜の闇が形を持ったかのようにも見え、キズナはそれらの放つ無数のうめき声に背筋が凍りつくのを感じていた。


 学校も行かずに山奥の自宅に独りで暮らしていたキズナにとっては、暇潰しのゾンビ映画というものは慣れ親しんだものであったが、画面の中のそれと、実際にそれが迫ってきているのを肌で理解するのとでは全くの別物であった。


「オイオイ、いくらなんでも数が多すぎンだろ……?! 怪物ってのは一体じゃなかったのかよ……!」


 思わずだろうか、頭の耳を後ろに向けて毛を逆立てるダインがじりじりと後ろに下がりながら、ゾンビの総数を把握しようとすんすんと鼻を動かす。


 その様子を横目にキズナも額に汗を浮かべている。


「あの化け物に数の概念はないんだ。取り憑いたのが場所そのものなら、そこにある取り憑けるものは全て掌握することもある。だが流石にこの数が一度に動いた経験なんてねえよ、どうなってるんだこれ」


 キズナにとってもこのケースは経験がない。日本が火葬だったのが幸いしていたのか、ゾンビの群れを相手にしたことは今までになかった。


「いや……もしかして、この世界に来たのが何か関係してるのか……?」


 キズナが不意に視線を落として、もしもの可能性に考えを巡らせる。長年キズナを悩ませてきた化け物だが、その正体を含め彼にも知らないことは多かった。


 だが、それを考えていられる時間は今の彼にはない──


「────バカッ、ボーッとすんじゃねぇ!!」


 ダインの叫び声にキズナがハッと目線を上げると、いつの間に飛び上がったのか、視界の中央に飛び込んでくるゾンビの姿があった。キズナはとっさに後ろに跳んで躱すが、ゾンビはあろうことか地面に腹から落ち、衝撃で手足が一本ずつ捥げて跳ね飛んでいる。


 ゾンビの群れからはまだ距離があるはずだが、その距離を跳躍してきたことにキズナは驚かされる。おそらくは死した身体であるが故に、自身の身体の損壊を考慮していないのだ。それにより本来以上の身体能力を見せるものの、コントロール出来る知性を持っていないのだろうと考えた。


「ァウ、ウゥゥウウ、グルルルゥゥウアアアア!!」


 獣のようなうめき声を上げながら、じたばたと芋虫のように暴れるゾンビ。こちらに向かおうともがいてはいるが、残った手足も皮一枚で繋がっている有り様で、その場から動けずに死にかけの虫のような動きを繰り返している。だが、それを見たキズナとダインの二人は、思わず互いにひきつった顔を見合わせる。


「なァ兄ちゃん、これ……」


「ああ……」


 二人が見据えるのは動けなくなった芋虫ゾンビではなく、その後ろで蠢く大量のゾンビの群れだ。


 そのゾンビが、よたよたとした歩きから徐々に速度を上げ、群れ同士でもつれあいながらも猛然と走り出し始める。数千体の亡者が大地を震わせる様は、さながら死の津波が襲いかかってくる様相だ。


 後ずさる二人を目掛け奇声を発して手足を振り乱し、そして、先頭の何体かが、跳んだ。


「うおああああああああああ!!」


「うげええええええ!!?」


 キズナたち二人は最早悲鳴に近い雄叫びを上げながら、降り注ぎ始める亡者の群れを必死に躱し群れとは反対方向へと脱兎の如く駆け出す。


「どうすンだ、どうすンだ兄ちゃんコレ!!??」


「ばか野郎俺が聞きてえよ! どうしようもねえだろ!!」


「俺が聞きてえってなンだ!! あんたが連れてきたんだろうが、どうしてくれンだよ!!」


 降り注ぐ亡者は鈍い音をまるで前衛的な音楽を演奏するかのようにリズミカルに地面を打ち鳴らしながら、猛然と降り続ける。それらが落下する度に跳ね跳ぶ手足が、時々キズナの身体を掠めその度に彼の全身が総毛立った。


「何かに乗り移った時はいつもそれを倒してるよ! それが出来なきゃ朝を迎えるまで粘るしかねえ!」


「倒すって!? あれ本体とか親玉とかいんのか!?」


「分からないが多分ないんじゃないか!? ゾンビは感染して増えるってのがセオリーだし、大元なんて概念はないって考えるのが妥当だろ!」


「ゾンビってなんだよ、感染すんのかあれが!!? 冗談じゃねエぞ!!」


「わからねえよ! ゾンビも感染するタイプとそうでないタイプがいるし、噛まれてみりゃわかるんじゃねえの! ちょっとお前試してこいよ!!」


「ふざけンなあんたがいけ!!」


 最早罵声の色を帯びてきた怒鳴り声を浴びせ合う二人だが、不意にキズナの首根っこが掴まれ宙に投げられるのを感じる。


「のおわッ!」


 ゾンビに捕まったのだと考えた彼は、このような形で迎える最期に天を呪った。しかし、彼を受け止めたのは踏み固められた地面ではなく、柔らかな毛並みの感触であった。


「…………お前、変身とか出来たのか。すげえな」


「感心してる場合じゃねぇだろうが! 俺たちじゃどうやっても埒が明かねぇ、農村地を避けて北から戦士の多い地区を目指すぞ! いいな!!」


 キズナは黄金色の毛並みに包まれた獣の背に乗っていた。それはダインの声を発しながら、キズナの足とは比にならない速度でゾンビの群れを突き放してゆく。キズナは直感で、それがダインが姿を変えたものだと理解していた。


「わかった、それでいい! こうなった以上自分でなんとかしようだなんて流石に無理だからな!」


「最初から話を通しておけばこうはならずにすんだんだぜ! 兄ちゃんはそこでちったぁ反省してろ!」


 軽口ではない本気のこもった声を発したダインは、すかさず走りながら遠吠えをし始めた。驚いたキズナが目を丸くするが、ダインは構わずに走り続ける。


「というか、やつらのことは撒いても大丈夫なんだろうな! 国の人間は殆どが戦える訓練を積んじゃいるが、それでも非戦闘員はいるんだ、そいつらのところに行ったらマズくねぇか!」


 ダインが口にしたのは最もな不安だ。総数は数千にも及ぶ亡者の群れが周辺に散ってしまえば被害は少なくないだろう。だがキズナは少し考えたのち首を振った。


「殆ど勘で確かなことは言えないけど、今夜のやつらは平気な気がする。俺とその周囲の人間だけを追ってくると思う」


 キズナは経験と直感でその夜に現れる怪物が自分を狙うか他者を狙うかの判断をつけることが出来た。それは彼が今までの夜で得た能力のひとつだった。


「不安しかねぇが、確かに一応匂いはまとまってこっちを追ってンな。ならこのまま突っ走るぞ、掴まっとけや!」


 そう言うや否や、ダインはその四つ足に込める力をそれまでよりも数段強くし、風のように走り出してゆく。キズナは振り落とされないように必死にダインの背中の毛並みにしがみついた。


 当然鞍や手綱があるわけでもないので、うなじ辺りの毛を鷲掴みにして両の内腿で爪先まで使って胴を挟む形になる。キズナはこのようにして痛くはないだろうかと考えたものの、それを気にするような余裕のある速度ではなかった。舌を噛むことがないようにと無駄口を叩かず、時折後ろを確認しながら歯を食い縛って耐える。


 亡者の大群は次第にその姿が見えなくなっているが、それでも濃密な死の気配をキズナは感じ取っていた。足を止めれば数分で追い付かれるだろう。


 しかし、走り出してしばらくした後、ダインの足が唐突に止まった。疑問に思うキズナだが、まるで思わぬ何かに出くわしたかのような緊張をダインから感じ取る。


「……兄ちゃん、悪いがすぐ降りてくれ」


 目的地である場所には思えず疑問符を浮かべながらもキズナは言われた通りにすると、それまで黄金色の獣だったダインの身体が光に包まれ、元の人間の身体に戻った。


「おいダイン、どうし──」


「兄ちゃん、俺の真似をして静かにしてろ。余計なことは言うなよ」


 キズナはダインの言葉に疑問を返そうと考えたが、唐突に巨大な気配を前方から感じ取り、それを呑み込んだ。感じたことのない重圧に思わず息が詰まるが、なんとか呼吸を立て直して前を見ると、いつの間にそこにいたのか、二つの影を見つける。


 ひとつは、既に見知った相手だ。長い緑色の髪を少し先にある街灯の灯りで艶めかせ、金色の瞳を光らせる少女、リィナである。


 そして、その隣にはリィナか縦に二人並んでも足りるかどうかという巨大な影。見上げると、人であることが分かる。長い白髪を後ろで括り、リィナと同じ金色の瞳の片方を眼帯で隠している壮齢の男。鍛え上げられているであろう肉体はひとつの山がそこにあるかのような重圧を発し、腕を組みながらこちらを見下ろしている。


 ダインは跪いて頭を下げる最敬礼の姿勢を取るが、キズナはダインの言葉も忘れ、どうするべきか考えあぐねて思わず棒立ちしていた。


「ダイン、説明なさい。一体何事なのか」


 まず口を開いたのはリィナだ。ちらりとキズナを一瞥しながらも、冷静な声音を崩さずにダインへと問いかけを放つ。


「申し開きもねぇ、墓地の遺体が乗っ取られました。この男を追って大挙して迫ってきています」


「そんなものは見れば分かるわよ、理由を聞いているの」


「見れば分かる……?」


 見れば分かる、という言葉を聞きキズナは振り返る。だが、先ほどのダインの疾走でゾンビの群れとはかなり距離が離れており、キズナの目では遠目にもゾンビの姿など捉えられず、彼女の言うことが理解できなかった。


 キズナは余程離れなければ、気配で怪物のおおよその位置を探ることが出来る。だが仮に同じことが出来るとしても、見れば分かるという言葉にはならない。疑問を持ったキズナはリィナに対し怪訝な顔を向けた。


「それとそこの馬鹿、弁えなさい。一国の王の前で何を突っ立っているの」


 しかし、リィナの方もキズナに対して厳しい顔を向け、横に立つ大男がこの国の王であるという事を示す。するとすぐさまダインがキズナの服の裾を引き、同じ姿勢を取ることを強要する。キズナは不承不承ながらもダインの真似をして跪いてみせるが、頭はあくまで下げずに国王とされた男を見据えた。


「あれは俺が連れてきたもんだ。だから俺を追ってる。悪いんだが、被害が出る前にどうにかしたい、手を借りられないか」


 とても敬意があるとは言えない口振りに、大男の目線が僅かに歪む。キズナは目上に対する振る舞いなどをこれまでの人生で気にしたことがなかった、ましてや王に対するべき礼儀など知る由もない。


 その様子にダインが思わず「兄ちゃん!」と小声で注意をしようとするが、大男の手がダインに向かって制止の形で向けられ、ダインは口ごもる。


「自分が連れてきた、か。貴様、それがどういう意味を持つのか分かって言っているのか? 貴様はこの国に災いを連れ込み、あまつさえ国民の遺体を愚弄しているのだぞ」


 大男が初めて声を発する。それは深く低い声色で、まるで身体の奥底から震わせるかのような錯覚に至らせる不思議な声色だとキズナは感じた。しかしそうであるが故に、よりその言葉の内容が自らに対して明確な威圧を放っていることを感じさせる。


「俺が望んだ事じゃねえよ、あいつは勝手についてくるんだ。それに、断りもなく呼び出したのもそっちだろうが」


 だがキズナはあくまでその威圧を無視することに決め、あえて不遜な言い回しで大男に対して居直る。大男はよりその顔を厳しく歪め、その放たれる覇気に、キズナは全身が潰されるのではないかと錯覚するほどの重圧を感じていた。


「なるほど、それならば確かに仕方がないな。であれば、貴様を殺せばあれらが止まるのかどうか、試さざるを得ないのも仕方がないということだ」


 キズナはその刹那、放たれていた凄まじい覇気が自身を標的としたことを察知した。それまでの単なる存在感の発露ではない、本気でこちらに何かしようという明確な意思が乗っているものだ。


 だが、それに対して横にいるダインが止めに入る。


「が、ガンズ様……お待ちください! この男を殺したとて止まるかどうかは分かりません! むしろあれらの正体に手がかりが無くなる可能性も────」


「黙れダイン、発言を許した覚えはない」


 だが大男、ガンズには全く通用せず一蹴されてしまう。しかし意外なことに、そこに助け船を出したのはガンズの隣にいるリィナだった。


「しかし陛下、ダインの言うことも最もです。殺して止まる確証がない以上、この男は残しておくべきではないかと」


 リィナの言葉に、ガンズの放つ重圧が弱まるのをキズナは感じた。キズナはリィナの立場がどのようなものなのかと考えかけたが、しかしそれより先にあるひとつの考えが浮かぶ。


「そうだぜ王様よ、俺を殺したらむしろあいつらは止まらないかも知れねえ。それなのにそんな軽率なことをしようだなんて、あんた相当頭が悪いんじゃないか?」


 おもむろに立ち上がり、せせら笑いながら言い放つキズナ。その様子にダインは驚愕と焦りの表情を浮かべ、リィナも初めてその冷静な顔色を崩して焦りの色を浮かべた。


 不意に、ガンズの腕が上がり、キズナに向けられる。


「お祖父さま、待っ────!!」


 瞬間、キズナが見たのはガンズが自分に向けて指を弾いた様だ。と思った次の瞬間に、前後を失うほどの衝撃と共に、自分の身体が凄まじい勢いで吹き飛ばされていることに気がつく。


 何をされたのか彼には全く分からなかったが、とにかくキズナの身体は途轍もない勢いで宙を飛んでいる。風圧と重力で身体がバラバラになるのではないかと考えたが、何故そうならずに済んでいるのかを考える余裕すらない。そこで彼は自分の身体が蒼色の炎に包まれていることに気がつき、思わず気が動転しかける。


「ぐッ────!!」


 長い滞空時間の中何度か意識を飛ばされそうになりながらも、どうにか着地出来ないかと考え地面に身体を向けようとするが、あまりの勢いに身じろぎすら出来ない。やがて衝突に至り、彼はその勢いのまま何度も跳ねながら地面を転がった。受け身など取れる筈もなく倒れ伏したがしかし、彼はよろよろとふらつきながらも立ち上がって見せる。


 気づけば、辺りの風景はまるきり別のものになっており、一体どれだけの距離を飛ばされたのかと彼は驚愕に包まれた。


「ハァ……ハァ……どういうことだ、なんで無事なんだよ」


 あまりの体験に忘れていた呼吸を思い出しながら、自分の身体を確認する。しかし、不思議なことに彼の身体には擦り傷どころか、むしろ先ほどまであった筈の背中の傷まで無くなっていた。


 先ほど、キズナは死ぬつもりでガンズを挑発したのだ。あれほどの覇気を放つ怪物のような体躯の男なら、恐怖を感じる間もなく一思いに殺してくれるだろうと不意に考えたからである。


 しかし、結果として見てみれば自分は生きている。彼には何が起きているのか検討もつかなかったが、周囲を見渡すとすぐにその考えは改められることになる。


「ああ……なるほどね」


 キズナが目線をやった先には、夥しい亡者の群れ。自分は囮にされたのだと気がついたキズナは、亡者に向けて戦う姿勢を示した。


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