第四話 死の匂い
コリンは一人、蝋燭の灯りを頼りに髪をとかしていた。正確には一人ではなく、寝かしつけの終わったターニャがベビーベッドに眠っている。ダインは今、連絡用の使い魔に先程したためたばかりの手紙を持たせるため外に出ていた。
宛先はリィナ、この国の国王の孫娘であり、自分より三つも年下でありながら、武力と技術力双方で要職を任されている紛うことなき天才少女だ。
コリンは彼女のことをよく知らない、顔を合わせたことは幾度かあるものの、彼女は血筋も尊ばれるべきものを持ち、且つ自身も国の中枢を担うに足る実力を持つような存在である。到底、自分のようなものが対等に話せる相手ではない。
何よりコリンは、彼女のことを恐れていた。常にその表情は変わることなく、冷静も行きすぎれば冷徹に見える。コリンの夫であるダインは年の近さもあって彼女に役目を言いつけられることが多いが、その際の物言いにも一切の無駄や遊びがなく、喋り好きのダインですら彼女にはあまり無駄口を叩かない。その様は、10代の少女が見せるにはあまりにも人間的でないように感じられた。
そして、手紙の内容は夕刻家に訪れた彼、キズナについてである。
逃亡を図ったことも驚いたが、彼女には夕食の時に見せた彼の態度が偽りだったことがショックだった。こちらの警戒を解くために友好的に接したのだろうというのが、ダインの見立てである。
しかしコリンは、本当にそれだけなのだろうかと疑問に思っていた。彼の態度が演技だったとしても、その様は堂に入ったものであったように思う。まるで、自分を偽ることに慣れているような、そんな風に彼女には思えていた。
「はぁ…………」
小さく、ため息が出てしまう。
彼がもし明日からもこの家に滞在するなら、自分は彼に対してどうやって接すればいいのだろうか。態度が偽りなのではないかと勘繰りながら接するのは、家の外でならいいが、ひとつ屋根の下で過ごす相手に対してとなると憂鬱にもなる。
彼の境遇を思えば、三つも年下の相手がそのように自分を苛んだばかりと思うと、容易に突き放せない善性がコリンにはあった。それは彼女が神職についていることを踏まえれば尚更の事である。
しかし、だとしてもどうすればいいのかわからないというのも本音だった。教会で悩める人の話を聞くことはあっても、それは神職として聞くのであり、家の中にまで持ち込むのは辛いものがあるのが正直なところだ。ましてや今は子育てでも忙しい。ダインからは自分が面倒を見るのだから気にしなくていいと言われていたが、そういう訳にもいかないだろう。
明日からの彼への態度をどうするべきなのか、そう考えると、自然とうつむき表情が暗くなってしまう。そんな顔が不意に窓硝子に映り、彼女はそちらに視線を向ける。
すると、そこに映っていたのは自分の顔と、その後ろに立つ髪の長い女の姿であった。
「…………!?」
コリンが驚いて後ろを振り向くと、そこには誰もいない。当然だ、この家には今運び込まれて寝かされているキズナと、コリンとターニャの三人だけなのだから。
しかしコリンは今確かに、窓硝子に映る女の影を見た。白い服を着た女だった。長い黒髪で隠れた顔色は更に青白く、表情は見えなかった。両手を前にだらりと垂らし、呆然と立っていた姿には生気がなく、とてもこの世のものと思えなかった。
コリンはわずかに早打ち始める自らの脈拍を感じながら、気のせいだったのだと思うことにつとめ、ゆっくりと視線をもとの位置に戻す。それは、先程女が映っていた窓硝子のもとにだ。
そうして、コリンが強張る身体で窓硝子を見据えると、そこには、こちらを凝視する女の顔が張り付いていた。
「きゃああああ!!」
恐怖に支配され、思わず叫び声を上げる。それと同時に魔力で保護されているはずの蝋燭の火がかき消え、室内が暗闇に包まれた。
ガタガタ、ガタガタと部屋の中のものが音を立てはじめ、すぐさまそれらは部屋そのものを震わすほどの大きな揺れへと変わっていく。
大地震でも来たかのような凄まじい揺れの中、コリンは必死の思いで、泣き声を上げるターニャの元へ駆け寄り、小さな身体を収めるように覆い被さった。
窓硝子が割れる音、机上のものが落ちる音、椅子か何かの木材が砕ける音、より一層泣き声を強くするターニャの声が、本来のそれよりもずっと大きく、コリンの耳朶に強く響く。彼女はそれらの音に自分の鼓膜が破れるのではないかという錯覚を覚え、吐き気やめまいに襲われてひどいパニック状態に陥る。
「やだ……やだ……なんなのこれ……!!」
ターニャを少しでも安心させようとベッドから抱き上げ庇うように胸に抱き、この異常をもたらす何かがすぐにでもここから去ってくれることを、ぎゅっと目を閉じて歯を食い縛りながら必死に祈る。
しかし音も揺れも収まることはないどころか、より一層強まっているようにすら感じる。
そして、何かが砕けるかのような激しい音が鳴り、それが少しずつ自分のもとに近づいていることに気付く。
それは、窓の方から、一歩、また一歩と自らの方に歩みより、ついにその背後で音がした。
背中から強烈な圧迫感を感じる。直感的に感じる死の恐怖に、身がすくみ気が遠くなる。せめてターニャだけでも守り切ろうと、抱き締める力を強めながら祈りを捧げていた。
「キョアアアアアアアア!!」
訳の分からない叫び声が響く。女の悲鳴か、けたたましい鳥の鳴き声かが混ざったような声とともに、死の気配が強まる。コリンは、もはや恐怖で何も分からなくなりながら、自分でも気づかずに涙を流し身を固めた。
そして、何かが振り下ろされる音がして、ついに終わったのだと思った瞬間────。
「待てッ!!」
切迫した声とともに、後ろで鈍い音がする。すると途端に部屋の揺れが弱まり、コリンの恐怖も急激に薄れパニック状態から回復した。
呼吸することを唐突に思い出したように、必死に息を切らしながら何が起こったのかと後ろを振り返ると、そこには先程の女を殴り付けた格好のキズナの姿があった。
「平気か!?」
焦ったような様子のキズナに声をかけられ、コリンは咄嗟に声が出せずに首肯のみで返答する。その様子を認めたキズナは視線を女に戻し、うめき声のようなものを発するそれを強く睨み付ける。
女はうめき声を徐々に大きくし、ついに唸りながらキズナに飛びかかるが、キズナはそれに合わせて女の顎を下から突き上げ、続け様に腹に蹴りをいれた。女は後ろに後退り、そこに間髪いれずキズナが肩から体当たりする形で飛びかかる。キズナと女はもつれながら窓の外に落下し、姿が見えなくなり、それと同時に部屋の揺れも物音も完全になくなった。
コリンは、今目の前で起こったことに何一つ理解が追い付かず呆然としていた。腕の中のターニャが静かになっていることに気付き視線を落とすが、先程までの様子が嘘のように穏やかに眠っているだけであった。
少しすると、ダインが慌てた様子で飛び込んでくる。
「な、なんだこりゃあ、なにがあった!?」
荒れ果てた部屋の様子を見て目を丸くするダインの姿を認めると、コリンは堪えきれずに声をあげて泣き出してしまった。
「わか、わかんない……、わかんない……!!」
しばらくしてようやく落ち着いたコリンは、うわずりそうになる声を抑えながら、必死で先程起きたことをダインに伝えた。
「それで……兄ちゃんはその化け物と一緒に窓からおちてどっかにいっちまったんだな?」
狼狽するコリンを落ち着けながら、ダインが彼女に確認すると、コリンは肩を震わせなから必死に何度も頷いて見せる。部屋は家の二階にあり魔力を持たない人間ならケガをしてもおかしくはなかったが、キズナの匂いが先程以上の速度で移動していることをダインは自らの鼻で感じ取っていた。
先程キズナが見せた身体能力を思えば無傷でもおかしくはないが、そもそも地球から来た人間であるキズナが魔力を行使出来ること自体が異常なのだ。ダインには彼が一体何者なのか全く見当がつかなかった。
「なんだよそりゃぁ……。兄ちゃん、あんた一体……」
彼が落ちていったという窓を睨みながら、ダインは困惑を声に浮かべた。
◇
キズナは、怪物を追って見知らぬ土地をひたすらに走っていた。怪物の足は速く、キズナが全力で追走してもその姿は遠のくばかりである。
彼は焦っていた、いつもならこの速度で平地を走って追い付けないことは無かった筈だが、このままでは見失う可能性すらあり、そうなると被害を食い止めるのは難しくなってしまう。
「くそッ……こんな世界まで追いかけてきやがったなら、俺だけを狙えばいいだろうが……!!」
悪態をついたところで、距離は縮まらない。むしろ怪物の背中はほとんど見えないところまで遠ざかっていた。それに対してキズナの背中には、相当の出血が見られる。先程怪物に体当たりして家から追い出した際、背中に爪を立てられ引き裂かれたものだ。骨や内蔵に達するほどの傷ではないが、出血を放っておけば失神しかねない程度には深い。
「治すことは出来るが……立ち止まって集中する暇はねえ、このままじゃ手が打てなくなる……!」
キズナがどうするべきかと走りながら必死に頭を回していると、後ろから声が聞こえてくる。
「おい兄ちゃん、待て!!」
強い語気で呼び止めるのはダインの声だ。わずかに怒りを孕んだ調子で叫んだ彼は、キズナの横に並走する。
「説明しろ! 兄ちゃんは一体何を追ってる、何を連れてきた!!」
コリンの怯えきった様子を見てきたダインは、キズナに対してある種の敵意のようなものすら抱いている。それは家族を守る長として当然の態度であった。
「そんなもの、俺にだってわからない。ずっと、もう何年も。あれの正体がなんなのかなんて俺が知りたいくらいだ」
「はあ!? そんなんで納得できるか!! もっとちゃんと話せってんだよ!!」
曖昧なキズナの物言いにダインがより強い口調で怒鳴り付けるが、キズナは走りながら唇を噛む。
「…………あいつは夜になると現れる。毎晩じゃないが、ここしばらくは三日より間を空けたことはない。決まった姿を持たずに、どこからともなく出てきては人間を恐怖に陥れて呪い殺す。訳の分からない怪物だ」
「現れるって……そりゃ兄ちゃんのところにってことか!? 死霊系の魔物とは戦ったこともあるが、そん時とも匂いが別物だぜ。なんつーか、直接的な死の匂いがする。血の匂いとカビ臭さが混ざったみてえな、ひでぇ匂いだ……!」
ダインはこの距離でも怪物の匂いを嗅ぎ取ることが出来るようで、悪臭に歪む表情を浮かべる。その姿を見てもキズナは何も言わず、わずかに顔をしかめるばかりだった。
「……なるほどな、兄ちゃんが散々一人になりたがってたのはアレのせいって訳か。だがいよいよあんたの正体が分からねえ。地球にあんなものが出るなんて話は、少なくとも俺は聞いてねえぞ」
「さっきも言ったろ、俺にだって分からない。俺があいつとはじめて遭遇したのは十三の時だが、俺以外にやつに対処できたやつは今まで一人だっていなかった。だからお前も帰れ」
ダインの側に首を傾けることすらなく、キズナは淡々と口にする。その言葉には明確な拒絶の意思があった。だがそれを聞いたダインはわざとらしく大きなため息をついて見せ、キズナに訝しげな顔を向かせる。
「なぁに言ってやがんだあんたは。さっきあんたが誰に手も足も出ずに伸されたか忘れやがったのか?」
「それは────っ」
ダインの呆れたような声にキズナは反論を返そうとするがしかし、ダインの方を見やると、彼がここまでですでに何度も見せた、不敵な笑みを浮かべていることに気付く。
「兄ちゃん、忘れてるかも知れねえがここはあんたの知る世界じゃぁねえ。あんたの世界じゃあれは手のつけられない化け物だったかも知れねえが、こっちの世界じゃもっとやべぇ怪物がゴロゴロいやがるんだぜ。そして、俺たちはそんなやつらと当たり前に戦ってんだ────」
怪物の背を見据え、ダインは牙をならしながら続ける。
「心配すんなよ兄ちゃん、この世界であんたは、あの怪物のせいで誰かを死なせることにはならねえ。だからそんな顔すんな!」
キズナへと顔を向け、安心させるように、優しい声色でキズナにそう言って笑うダイン。その笑顔を見て、キズナは驚いて目を見開き、それを隠すように俯いた。その言葉は、彼が今まで求めても手に入らなかったものだったからだ。
「あッ! けどな、あいつのことを黙ってたのは許してねえぞ、おかげでコリンが怖い目にあっちまったじゃねぇかッ!」
思い出したようにダインがキズナに指を指して抗議の声をあげる。キズナはバツが悪そうな顔をして目を反らし、無言の返答だ。
「ともかく、さっさとあれのことをなんとかして帰らねえとな。コリンは近くの知り合いに預けてきたが、早く帰って安心させてやりてえんだ俺は────と、待てよ。ありゃなんだ?」
不意にダインが走る速度を緩めたのを見て、キズナもそれにならい足を止める。キズナにはもう怪物の姿は視認できなくなっており、気配のみで居場所を察知していたが、ダインはすんすんと鼻を鳴らして何かの異変を感じ取っていた。キズナはそれを見て嫌な予感を覚え、恐る恐るダインに確認する。
「なあ、ひとつ聞くんだが、この先には何があるんだ? 段々と住宅地から離れてるみたいだが……」
「奇遇だな兄ちゃん、俺もひとつ聞きてえ。もしかするとよ、決まった姿を持たないってことは、何かに憑依出来たりもすんのか?」
二人の間に沈黙が流れる。今二人の脳裏に浮かんでいるのは、奇しくも同じ考えだった。
「俺から答えるよ。答えは、イエスだ」
「じゃあ次は俺だな。この先にあるのは────」
二人の前方から、夥しい数の影が迫ってくるのが見える。それはのろのろとうめき声を発しながら歩き、ところどころ身体が崩れていた。
「同時に言おうか」
「ああ……せーの────」
「「墓地だ!!」」
数千に及ぶゾンビの大群。
現実とは思えないが、異世界とも思えない悪夢の光景が、今始まろうとしていた。
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