わたしのからだ。しらないひと

「前半二十四分。上祇園高校背番号十一番、鳩山翔の先制点が決まりました――」


 黒い大きな箱は、テレビというらしい。そして、この黒い棒はリモコン。ついているボタンで切り替えることができると知った。

 それは、毎日起きればリモコンを触っていたから、白い服を着た大人に教えてもらったことだ。そして、たまに別の人にも教えられる。分からない。寝て起きたら、その言葉を知った。


 でも、なんでテレビを見ているのかは分からない。


 白い服の大人の人も、別の人も、それでいいって言うけれど。

 テレビを見つめる。すると、何だか、目の前が滲んできた。

 最近は、目がよく見えないこともあるし、知らない記憶があることも多い。

 急に知っている言葉が口から出た時は、すぐそのあとに、その言葉の意味が分からなくなることがある。


 私って、誰だっけ。

 まるで、私に何か、別に人が移り住んでいるみたい。

 誰だろう。私は、その時ずっと、夢を見ている。


「かける。かけるが取った!」


 知らず知らずに、喜ぶ私。かける……?

 かけるって、あのお兄ちゃんの事かな!?

 ……あれ、でも、なんで私はかけるの事を応援しているんだろ。


 今日は、何だかぼやぼやする。ずっとテレビを見ていたら、何だか知らない人の声がうるさい。


「あー。えー。いー。おー。うー」


 そして、私の思い通りに身体が動かない。

 ずっとそうだ。そして白い服の大人も、知らないその子の言葉を信じる。


 声を出そう。って言われて、何回も正しい発音を教えてもらった。でも、めんどくさいと思いながらも、私はやっていた。やらされていた。

 その時、私は知らないし、出来ないのに、知らない人だけの発音はどんどんうまくなっている。


「かける。かける。だ、い、す、ひ」

「だ、い、す、いぃぎ」


 大好き……って、言おうとしているのかな。


 その間も、私はテレビを見つめている。

 ぼーる。を、追いかけているのを見るのは好きだ。だいすき。

 お兄ちゃんが来てくれるのも嬉しい。


 お兄ちゃんが大好きなら、お兄ちゃんが来たとき、私の体を動かせばいいのに。

 大好きって、そこで言えばいいのに。

 私の体を、勝手に使って、失敗したらいい。


 言ってたよ。お兄ちゃんは、好きな人がいるって。

 まいにち。まーいにち。その人の話をするの。

 私は、お兄ちゃんのその話を聞いて、その人が嫌いになっちゃった。


 ねぇ、知らない人。だから、私の代わりにたしかめてよ。


「前半戦が終わりました。上祇園高校の一点先取で、後半折り返しです」


 聞いたことがある言葉、同じように、動かない体。

 知らず知らずに組んでいる……。祈っている? そんな手。何故か見つめているテレビ。


 呟く「かける」

 燃える私のしっと?


 白い服の大人が持ってきた、折りたたまれた小さいくるま。

 くるま……って、何だっけ。


 その時、テレビの中でぼーるをけるのが止まった時。

 いんたーふぉんが鳴って、知らないうちに扉が開いて、一人、白い服の大人の人がやってきた。


「ナオちゃん。翔君勝てそう?」


 まだわからないよ。と、私が言おうとしたところで。


「あまみや、さん。勝れ、なくても、私は行ひます」


 と、勝手に口は呟いた。


 ああ、そうなんだ! 行っちゃうんだ!

 何がしたいのか分からないけれど、何を言っているのか分からないけれど、行っちゃうんだ!

 好きな人がいるのに、奪っちゃうんだ!


 燃える私の、しっと。

 白い服の大人の人は、くるまのたたまれたいす? を開いて、すぐとなりのベッドの隣に座る。


「いいの? ナオ…ミ。ちゃん、もう長くないのよ?」


 長くないって、なあに?

 私、ふつう。だけど。


「はい。咳も、最近は頭痛も酷いですけれど、それでも、私は――」


 それ、ふつうの事でしょ。最初から、そうだったでしょ?


「それでも、会わなきゃいけないんです」


 だったら、会えばいいじゃない!

 叫んでみる。けれども声には出てこれない。

 知らない人の声は、少し小さくなっている。あーあ。大声出しすぎ。頑張って声を出す練習してたけれど、普通はそうなっちゃうんだから。


 その言葉を聞いた大人の人は、「じゃあ、また来るね」と言って、部屋を出て行った。


 もう。私の体なのにぃ……。

 なんでお兄ちゃんのとこに行くの。私、ぼーるけってるのみたいのに……。

 お兄ちゃんに、だいすき。って言っても、無理なのに。


「……ねぇ、ずいぶん、しつれいな、こと言ってくれる、じゃない」


 その時、知らない人の声が、私の声で、私に話しかけてきた。

 途切れ、間が空きながらもゆっくりと伝わってくる。

 その声が、私の頭の中に話しかけられていたものか、私の口を使ってきたのかは分からない。


 でも、話すのが遅いから、声に出しているんだって思う。

 私はびっくりする。


 なんで、私ずっと、ここで話していたのに。ずっと聞いてたの?


「うん。ほとんと、きいていたよ」


 驚きが止まると、耳から入ってくる声が聞こえた。

 ずっと、何かいやな気持ちがあったから気付かなかったけれど、低い私の声は、何だかおちつく。


「そうね。貴方の、声は、子供みたいに、高いもんね」


 考えていることが、全部知られていた。知らない人のくせに、そっか、分かるんだ。


「私、なおみ。っていうの。貴方は、ナオちゃん。って言うんだっけ」


 けっこう話すのがとくいになったのか、少しずつすらすらと言葉が流れるようになった。


 なおみ……。お兄ちゃんが、言ってたっけ。

 でも、それがなあに? お兄ちゃんの事、好きなんでしょ?


 口の中にある水を飲み込んだ私? は、少し間を開けて、また声を出す。


「そうよ。人生で、一番。そして、ひとりだけ」


 もじもじしたような声。聞き取りにくいけれど、私には何となくわかった。

 身体が一緒だからかな。


 でも、お兄ちゃんには、好きな人がいるって。だから、無理よ。


「無理……ね。でも、私が決めることよ。それは。それで、ちょっとお願いがあるの」


 何よ。私の体を使っていて、私が決めるって。

 ワガママ。って、言うんじゃないの、それ。


「ワガママ……。そうね。でも、いいのよ」


 なおみ。は、またゆっくりと言った。

 なおみ。か。ワガママなこと。認めちゃうんだね。

 けれども、ナオちゃん。と、なおみ。

 ……まあ、ちょっとくらい聞いてあげる。


「そう、ありがと」


 なおみは、一言、よゆう。のあるような声で言った後に、


「じゃあ、私のこくはく。を、あな……。ナオちゃんに、ちょっと手伝ってほしいの」


 すこおし、恥ずかしそうな態度で、なおみはそう言った。

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