春 王様の胤

約束の後味

 バレンタインデーに、私は翔に一つ告白をした。

 それは、ずっと前から頭痛が酷いこと。そして、検査をしたこと。


「腫瘍が増大しているようです」


 病勢安定状態が、崩れたのだこと。


 いくら抗癌剤で食い止めようとも、滑り止めが後退するように、段階的に増大している。

 こんな状態に、先生は東京の大病院へ移送することを提案した。


「このままじゃ、後もって三か月です。夏にすら入れるかどうか」


 でも、だからって、翔と離れ離れになるのは嫌だった。夏を迎えられないのも嫌だった。


 あれだけ必勝を願っておいて、翔にあんなことを言っておいて……。

 私は、弱い女の子だってことを、知っていたはずなのに。

 好きな人の前だったら、なんでこんなにも、意地を張ってしまうのだろう。

 せめて、彼の支えにでもなれれば、それで満足だったのに。


 本当に、悩んだ。けれど、意見はまとまらない。彼にどうしてほしいかも分からない。私がどうすればよいのかも分からない。


 お母さんは、長生きしてほしいというけれど、私の気持ちを尊重するという。

 彼の事を、雨宮さん経由で少しは知っているのだ。


 だからこそ、私は彼に一つ告白をしたというわけだ。


 本当は面と向かって言いたかった。けれど、私は臆病で、彼に心配されたいくせに、彼に心配してほしくない気持ちもあった。

 自分の事を考えるばかり、もし彼が部活に励めなくなったら。


 そう思うと、怖かったのだ。


 手紙を渡してしまった時。何度、読まれないでほしいと願っただろうか。

 でも、それでも彼は私の手紙を読んで、私のことを認めてくれた。


「長生きしてほしい。そして、付き合ってほしい」


 彼にそう言われた時、私は明確に覚悟を決めた。

 放さない。そう言ってくれたもんね。


 また、会いに来てくれるんだよね。



 そうして、今日三月一日。

 三年生の間、全く行けなかった学校の卒業式。毎回の試験も酷いことになっていたけれど、教師が手を回してくれたらしい。

 一二年、そして三年の一学期の単位のおかげで、ギリギリ卒業ができた。

 卒業式には、参加はできなかった。けれど、友達からのメッセージが届いていて、私はそのメッセージを、東京に持って行くことにした。


 特に救急でもないのに、用意してくれた救急車に乗り込む。点滴をしばらく打ったままにしなければならなかったからだと言う。一日くらい日程をずらせばいいものの、そこは甘んじておくことにした。


 あれから、翔に心配されたあの時から、私は必死に抵抗した。でも、無理だった。病気というのは、こんなにも恐ろしいもので、恋心なんかで打ち勝つことのできないものなんだって、明確に分からされたのだ。


「行ってきます」


 広島、上祇園の空気、霽月女学院、雨宮さんに別れを告げる。

 翔が、絶対私を離さないことを信じて、私は東京へ行くんだ。


 その時だった。私が救急車に乗り込んだ、直後の事。

 見送りに来てくれたお母さんが、何やら一つクーラーボックスを手に取って、私へ大声で叫んだ。


「翔君から、ホワイトデーのお返しよ!」


 その声に反応して、私は救急車の外を見る。


「嘘……。今日は、平日のはずなのに」


 外を見ると、そこには翔がいた。本物だ。手を振って、大きなクーラーボックスから、一つチョコと思われる、アルミホイルの塊を取り出していた。


 はーとだ。アルミホイルにくるまれているけれど、ハートの形だ。


 そのクーラーボックスを、救急車の近くへ持ってくる。

 翔が、目の前にやって来る。


「なんで、今日。平日なのに」

「早退したんだ。ごめん。本当は、朝から居たかったんだけれど」


 私は、翔に手を伸ばした。しかし、その手は点滴が繋がれていて、思うように伸ばせない。

 だから、翔が握ってくれた。


「このチョコ、東京まで持って行ってよ。一、二週間は持つから、ホワイトデーに食べて。また、会いに行くから。絶対、放さないから」


 手を強く握られた私は、点滴が抜けそうなことなんてお構いなく、彼の顔に近付いた。

 もう片方の左手で、彼の頭を掴む。


「大好きっ。約束だから」


 軽く口付けをした。本当は、もっと先まで行きたかった。

 でも、思えば、私はこの病気があったから、私は彼と会えたんだ。


 この病気がなかったら、この蝕みが無かったら、余命が無かったら、活力を求めなかったら、私は今、絶対に彼と会っていない。

 病気になっていない私の方が幸せだなんて、私は知ったこっちゃない。


 だって。あぁ、何だか、私は今。とっても幸せだ。


 翔の手を離したくない。けれども、すぐに出発の時間になってしまった。

 彼は、「じゃあね」と言ってしまう。行ってしまう。


 行かないで。


 言いたかったけれど、そんな言葉はすぐに飲み込まれる。


 その代わり。


「絶対に、放さないでねぇー!」


 そう、叫んだ。そう、信じた。


「必ず、私たちは―――」


 救急車の搬入口が、完全に閉まり切ったところで。


「付き…合おうね……」


 漏れることもないほど弱い。そんな漏れるようで掠れた叫びが、車内に跳ね返るように籠っていた。



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