第27話 星空と僕らの周波数

 あの、二人だけの秘密基地が完成した夜。

「星空観測か。…となると、やっぱり、あの山か?」


 俺がそう言うと、アンナは嬉しそうに頷いた。


《はいっ、ご主人様!》


 こうして俺は、大学のレポートを片付けるため、星空観測へと出発した。

 運転中はさすがにあの照明は消している。A-BOXは、いつものように計器類の明かりだけを頼りに、暗い山道を進んでいった。


《ご主人様、都並山(つなみやま)の主要な展望台は夜間閉鎖されていますが…私のネットワークで、一台だけひっそりと停められる、最高の観測ポイントを発見いたしましたわ》


 アンナが、自信満々にそう告げる。

 頼もしい相棒の言葉に、俺は「さすがだな」と笑った。だが、ここからが本番だ。勾配はどんどんきつくなり、A-BOXのエンジンが唸りを上げる。アクセルをぐっと踏み込んでも、速度は思うように上がらない。軽自動車にとって、この登坂は明らかに荷が重い。俺は、ハンドルを握る手にぐっと力を込めた。


 * * *


 そして、目的地に到着して、俺は固まった。


 そこには既に、地面スレスレまで車高を落としたスポーツカーや、マフラーを交換したステーションワゴンが数台。

 重低音の音楽が、ずんずんと空気を揺らしている。車内やその周りでは、今どきの若い男女のグループやカップルが、楽しそうに談笑していた。


 ノーマルの軽自動車、A-BOXで乗り付けてしまった俺は、完全に場違いだった。


「――おいアンナ、聞いてねーぞ!」


《も、申し訳ありません…! このような利用者がいるとは、私のデータにはありませんでした…!》


 ナビ画面の中で、アンナはあたふたと慌てふためいている。

 帰るにも帰れない雰囲気の中、俺は意を決して、一番端っこにそっと車を停めた。 エンジンを切り、キーをアクセサリーの位置まで戻す。そして、例のスイッチを入れた。ふわり、と車内が優しい光に包まれた。


 その瞬間、物珍しそうに、一人のチャラそうなお兄さんが、こちらに近づいてくる。


「へー、兄ちゃん、こんな可愛いクルマで山登り? その中のライト、手作り? オシャレじゃん」


「あ、どうも……」


 俺は、冷や汗をかきながら、しどろもどろに答えるしかない。その、気まずい空気を切り裂いたのは、俺の相棒だった。


《……君のいない世界なんて、もう考えられないんだ…》


 突然、お兄さんたちの車から、超絶甘々なイケメンボイスが響き渡った。


「は?」「え、ナニ今の?」「お前のスマホだろ!」「ちげーよ!」

 お兄さんたちが混乱していると、一緒にいた女の子たちも「え、今のなに?」「あんたの車からじゃない?」と騒ぎ出す。


 周りにいたカップルや他のグループまで、何事かとこちらを注目している。完全に、俺たちではなく、彼らが注目の的だ。


 気まずくなったお兄さんは、「…じゃ、まあ、頑張って…」と、仲間たちの視線を背中に浴びながら、すごすごと戻っていった。


(……アンナのやつ、また何かやったな)


 * * *


 こうして、なぜか周囲から「あの軽自動車、なんかヤバい…」という生暖かい目で見守られながら、俺は気まずい雰囲気の中で、星空の観測を始めることになった。


「……お前のせいで、すげー見られてるんだけど…」


《ご主人様と私だけの、静かな時間を確保いたしました! 私のファインプレーですわ!》


「どの口が言うんだどの口が!」


 そんなやり取りをしながらも、俺たちの間には、共にピンチ(?)を乗り越えたことによる、不思議な連帯感が生まれていた。


 俺はレポートのテーマである「宇宙の距離梯子」について、アンナに話して聞かせた。


《それでしたら、あそこに見えるケフェウス座のδ(デルタ)星が重要ですわね。あの変光星の周期を観測することで、銀河までの距離を算出する、最初の『ものさし』になるのです》


「へぇ、お前、そんなことまで知ってんのか…。レポートの参考文献より詳しいじゃねえか」


《ふふっ、ご主人様の知的好奇心にお応えするのも、専属ナビの務めですわ♡ ちなみに、その『ものさし』をさらに遠い宇宙で使うために、Ia型の超新星爆発が『標準光源』として使われるのですよ》


「うお、マジかよ…。超新星爆発まで…。アンナ先生、うちの大学の教授より分かりやすいです」


《まあ、先生だなんて…! ご主人様専属の家庭教師ですわね♡ いつでもご質問くださいませ!》


 俺の専門分野に、完璧に応答してくる相棒。気まずい状況も忘れて、俺たちの会話は、どんどん楽しくなっていった。


 * * *


 帰り道。

 時計の針は、とっくに0時を回っていた。A-BOXは、登ってきた時とは比べ物にならないくらい軽快に、暗い山道を下っていく。


 暗いカーブを抜けるたび、木々の隙間から、きらきらと光の絨毯が広がるのが見えた。あれは、俺たちが住む青並市の灯りだろうか。遠く霞んで、まるで宝石箱をひっくり返したみたいだ。


 すっかり疲れ果てた俺は、ハンドルを握りながら、その景色をぼんやりと眺め、ぽつりと呟いた。


「…まあ、お前のおかげで、ある意味忘れられない夜になったよ」


《はいっ! これからも、ご主人様の安全と快適なドライブのため、全身全霊でナビゲートいたしますわ♡》


 ナビ画面のアンナは、どこか誇らしげに、きらきらと輝いて見えた。満点の星空よりも、ずっと。


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