第2話 喪失

「あの、頭を上げてください」


 私はなんだかとても居た堪れなくなって、ベッタリと這いつくばるように土下座をしてる勇者様たちに声をかけた。


 彼らは救国の英雄だ。

 彼らが命がけで戦って魔王を倒してくれたおかげで、今の私たちは平和に暮らすことができている。

 こんな冷たい床の上で、頭を下げさせたままにさせて良いわけが無い。


「そうですよ! それに、せめて椅子にお掛けください。我らが英雄様たちにこんなことをさせたなんて知られたら、私たちが街の人にいろいろと言われてしまいますよ!」


 私の母も居た堪れない気持ちは一緒なのか、必死に勇者様たちに起き上がるよう声をかけた。


 勇者様たちは渋々「そうですか、それでは失礼します……」と非常に申し訳なさそうに身を縮こませて、やっと椅子に座ってくれた。


 一人だけ、ラルフだけがきょとんとした様子で椅子に座った。


「それで、一体何があったんですか?」


 父が、ぐるりと勇者パーティーメンバーを見渡して冷静に尋ねた。

 客間に通した瞬間にいきなり謝罪されたから、私たちは何が何やら分からない状態だった。


「私が魔王を倒すために、強すぎる魔法を使ったことが原因なんです……」


 パーティーメンバーの真ん中に座っている聖女様が、非常に反省した様子でしおしおと口を開いた。


 聖女様曰く──


 魔王と勇者パーティーの戦いは、苛烈を極めていた。


 魔王と三日三晩戦い抜いた後、聖女様は渾身の魔力を込めて、最上位の聖魔法を放った。


 聖女様の魔力量は、歴代の筆頭聖女の中でも最も多かったらしい。今だかつて見たことがない程、魔法陣が眩い輝きを放っていたそうだ──そう、三日三晩戦った結果、寝不足と集中力不足で魔力コントロールができずに、聖魔法が暴発したらしい。


 魔王は一瞬にして光の中へと消え去っていった。


 暴発した聖魔法は、魔王を消しただけでは飽き足らず、勇者パーティーにも襲いかかった。


 術者の聖女様は魔力切れを起こして、その場で気を失ってしまったそうだ。

 そして術の代償に、魔王討伐から時間が経った今でも、魔力がほとんど戻っていないらしい。

 今では下級聖女の半分の魔力量も無いそう。


 賢者様は、この国の第七王子様だ。魔王討伐の旅に出る際に、あらゆる厄災から一度だけ身を守ってくれる王家の秘宝を渡されていた──その御守りが賢者様の身代わりとなって、一瞬で真っ黒焦げに燃え尽きたらしい。


 勇者様は、伝説の剣が身代わりになって三つに砕け、彗星のごとく光の軌跡を描いて、世界中に飛び散っていったそうだ。


 ラルフだけはなぜか何も影響を受けていないように見えた。

 ラルフの持ち物は何も身代わりに壊れておらず、魔力もそのまま。彼自身、どこも怪我をした様子が無かったそうだ。


 異変に気づいたのは、人間の街に戻って来てからだったみたい。


「あの人、綺麗だね」


 ラルフがぽつりと溢した一言だった。


 たまたますれ違った若い女性を褒めたらしい──番持ちの獣人だったら、決してあり得ないことだ。


 ラルフの様子がおかしいことに気づいたパーティーメンバーは、すぐさま彼を質問攻めにした。

 その結果、ラルフは身代わりとして「番の絆」を失っていたことが判明した。



 聖女様は話の途中で、いつの間にかまた土下座フォームに戻っていた。

 改めて自分の口で説明しているうちに、自分が何をしでかしたのか、居た堪れない気持ちが溢れたらしい。


「「「……」」」


 私も家族も、番の絆が消えたという前代未聞のことに、ショックを受けて何も言えずにいた。


「……なんか、ごめん……」


 ラルフが尻尾をしょんぼり垂らして、謝ってきた。周囲の雰囲気に押されて、大きな背中を丸めてる。


「なんか」って何よ!?

 全っ然、分かってないじゃない!!

 その場の勢いでよく考えずに謝るの、止めてよ!


 一人だけズレてるラルフに、私も私の家族も一瞬呆然となってしまった。


「ほ、ほら、積もる話もあるでしょうし、一度アンとラルフの二人きりで話してきたら? 番の絆がなくなったとしても、今までの記憶も無くしてしまったわけではないでしょう?」


 母がさりげなくフォローを入れてくれた。


 確かにそうだよね!


 人間にはピンとこなくて少し分かりづらいけど、獣人にとって番は特別だし、その絆が急に消えてしまってショックなのは、ラルフも私と一緒なはずだ。


 番の絆が消えてしまったことも、きっと前代未聞のことだと思うし、ラルフがどうしたらいいか分からずに困惑してしまうのも仕方ないよね。


 それに、今までの二人の思い出が無くなってしまったわけでもないし、ラルフが旅に出るまではずっと一緒にいたんだから、愛情だってあるはずだ。


「ラルフ、少し街を見てまわろうか? あれから少し変わったんだよ? 案内するよ」


 私は自分で自分を奮い立たせるように、にこりと微笑んで、彼を散歩に誘った。


 ラルフも顔を上げると少し表情を明るくして、尻尾の先も期待するようにふわっと立ち上がった。



 久しぶりに故郷の街を歩くラルフは、隣で見ていても、とても上機嫌だった。


 生まれ育った街並みを懐かしむように目を細めて眺めたり、久々に会った旧友に挨拶したり。


 でも、私は気づいていた。彼の視線の先が、時々、今までとは違うことに──


 以前、私とラルフが番だった時は、彼の視線は私が独り占めしていた。


 でも今は、魔王討伐で離れていた二年間の間に変わった街並みを眺めるついでに、私にバレないようにさりげな〜く街行く若い女性たちも視界に入れていた。

 今まではこういったことをしてこなかった分、結構彼の動きがぎこちなかったり、慣れてない感じがひしひしと伝わってくる──これで私に全然バレてないとでも思ってるのかしら?


 私は思わず半目で彼のことを見上げていた。


 私からの視線に気づいたのか、ラルフの肩がビクッと小さく跳ねた。少し焦ったように、どこか誤魔化すように話しかけてきた。


「結構変わったね、街」

「うん、そうだよ。川辺のパン屋は息子さん夫婦に変わったし、自警団の詰所も少し広くなったんだ。別の街に避難してた人たちも戻って来たし、魔王が倒されてから商人の行き来が増えて、また定期市も立つようになったんだよ」

「そうなんだ」


「……」

「……」


 互いに何を話したらいいのか、気まずい沈黙が流れた。


 踏み込んでいいのか、ダメなのか?

 どちらにしろ微妙な気もするけど、でも、ラルフの方から何も言われないってことは……?


 私は真実を聞きたいような、聞きたくないような悶々とした気持ちでいた。


 私とラルフの番の絆が消えたっていうのを聞いたのも、まだついさっきのことだし、私の中ではショックと混乱が続いていて、少し気持ちの整理をしたいって思いもある。


 でも、なんだかちょっと嫌な予感がする……


 私たちはふらふらと、いつの間にか街の中心にある公園に来ていた。二人でよくデートした場所だ。


 中央の噴水の縁に、よく二人で並んで座って、おしゃべりをしたものだった。


 私たちは吸い寄せられるように、いつもの噴水の縁に、いつものように肩を並べて座った。

 でも、隣に座るラルフの気配は、親しい彼のものじゃなくて、よそよそしい全く知らない男の人のような感じがしていた。


 ラルフは脚を広げて座り、その脚の間で指と指を合わせて、一本ずつくるくると回していた。──彼が何か難しいことを考えてる時の癖だけど、これもなんだか別人の動作のように見えた。


 ラルフは自分の手の方を見たまま、弱々しく言ってきた。


「なんか、ごめんね。番の絆が消えちゃったみたいで……」


 えっと、なんで他人事?

 私は胸のあたりに、モヤッとかつイラッと湧いてきた疑問を抑え込んだ。ここで怒っても、ラルフが話しづらくなるだけだし。


「それは聖女様の説明でも聞いたわ。魔王討伐中に起きてしまった事故だもの、仕方ないわ。でも、ラルフはどうなの? 番の絆が消えちゃって……人間の私より、ずっと影響が大きいでしょう?」


 私はさりげなさを装って、一番大切なことを訊いた。これからの二人のことを決める、大事な気持ちのことだ。


 ラルフが反射的に口を開く。


「ス……」

「す?」

「すぅー……」

「…………」


 ラルフは一瞬「しまった!」って顔をしたかと思うと、急に取り繕うように渋い顔になって言い淀んだ。彼の額には薄っすらと汗が滲んでる。


 私はじっとラルフを見上げて、一言も聞き漏らさないように、彼の次の言葉を待った。


 ラルフはしばらく黙り込んだ後、気まずそうに項垂れた。


「ごめんなさい、アンのことが好きかどうか分かりません……」


 私に衝撃が走った。まさに、雷に打たれたような感覚だった。


 ラルフの言葉は、今日聞いた話の中でも一番のショックだった。

 それどころか、人生で一番のショックだったかもしれない──ラルフがお得意さんと派手に喧嘩して相手に怪我をさせた時よりも、自警団の見回りで魔物と戦って大怪我した時よりも、さらにはラルフが勇者パーティーについて行くと決めたと話してくれた時よりも、もっとずっとショックだった。


 本当に、周りの音が何も聞こえなくなって、一瞬頭の中が真っ白になって、何も考えられなくなったぐらいだ。


 その後は、私は「ちょっと考えたい……」と口にするのがやっとで、とにかく家に帰ることにした。


 ラルフは「送ろうか?」の一言も無くて、ただただ眉を下げて「ごめん」以外の何も言わなくなっていた。



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